感動屋さんは、コスパよく生きられる
私たちは日々、コスパを意識した生活を送っていますよね。
企業では、経費に対する売上高( =コスパ)が社員の評価基準とされ、コスパが高い社員 = 仕事ができる優秀な社員となります。
また、私たち消費者も、企業と同じくコスパが高い商品・サービスはお得なので大好きです。
コスパが低いことは、どこでも許されない気配すら感じます。それだけ私たちは、コスパにシビアになってきているのかもしれません。
※ ※ ※
私は、スーパーでの買い物が大好き。
ただ、悲しいのが、原材料価格や物流費の高騰の影響で、数々の商品の値上げを目の当たりにしています。
内容量を微妙に減らして(消費者に勘づかれないよう)実質値上げするなど、企業もギリギリまで頑張っていくれていますが、
我が家の食卓に欠かせない納豆が、9月に入って値上げとなりショックを受けました。あと油と小麦粉類も。とうとうこの領域にまで値上げの波が来たか・・・。
と、その経緯もあり、以前よりも増して私のコスパ重視熱は上がってきました。
スーパーに行く日は、事前に特売品をチェック。
スーパーでの立ち振る舞いは(あまり人に見られたくないですが)、メーカー同士の値段に対しての量や美味しさを吟味し、なるべく消費期限が先のものを選ぶ。
リンゴやレタスを買う時は、同じ値段であれば自分の右手の測りで、ずっしりと実が詰まっているものを見極める。
買い出しは、いかに少支出で大きなメリットを享受できるか、とゴリゴリのコスパ重視な私。傍から見たら、がめついお客に見えるでしょう(笑)。
と、買い物に対しては、これほどまでにコスパを重視していますが、
では、自分の幸せに対しては、
「コスパは良い」と言えるのか?
商品のコスパ、食べ物屋さんのコスパ、サービスのコスパ、はいつも意識していますが、幸せとなるとどうでしょう。
幸せのコスパとは、
費用対効果ならぬ、幸福対満足のこと
空気のように当たり前すぎるささやかな幸せに対して、どれだけ満足(豊かさ、楽しさ、嬉しさ)できるか。
例えば、
誕生日のディナーは、高級イタリアンのフルコースじゃないと十分満足できないよりも、自宅で手作りナポリタンでも十分満足できる方が、幸せコスパは高い。
例えば、
温泉旅行じゃないと、テンションが上がらないよりは、近場の銭湯と風呂あがりのコーヒー牛乳でウキウキできる方が、幸せコスパは高い。
究極は、日常をただ生きているだけで、どれだけ幸せを感じられるかが、
幸福対満足(=幸せコスパ)が高い人生
を送れるのではないでしょうか。
ただし、幸せコスパを高めるには贅沢慣れを卒業し、日々の小さな出来事に、いちいち心を揺さぶられる感動屋さんになる必要があります。
日常をただ素通りしているだけでは、
小さな幸せに感動するどころか、気がつきもしません。
幸せになるには、
夢を叶えるより、自分の感性の感度を高める方が、
時短だし、断然コスパがいいのです!(笑)
とりあえず、明日の朝、無事に目が覚めたら、「今日も生きてる〜!」と、幸せを感じてみるのはいかがでしょうか。
まずは、カタチからでも!
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