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データの断捨離中に、危機感を覚えた話。

スマホで撮った写真や動画データって、放っておくとどんどん増えていきますよね。


「ストレージがいっぱいです」のお知らせが来たので、ストレージの容量を増やすことをせずに、手つかずだった過去データをこれを機に断捨離することにしました。


ここ最近、毎日コツコツとデータ削除をしているのですが、なんせ膨大な量なので、終わる気がしない。


というのも、動画データに関しては一つ一つ動画を観てから削除をしているので、カメの歩みのように進捗が遅い。

今、削除に励んでいる写真と動画データは、数年前に日本全国を旅してたときに撮影した風景がほとんど。


よくもこんなに、風景や建物や食べ物を撮り貯めし、撮ったはいいが全然見返すことなくデータを保持していたものだと、半分呆れてしまいました。


そして、要らないデータのために、ストレージは増やさないと改めて思いました。


一つ一つ写真や動画のデータを断捨離していくなかで、ふと思ったのは、


私、撮影にばかり気を取られて、実物そのものを味わうことができていなかったと反省しました。


そもそも、目の前にある実物を感じることよりも、撮影を優先してしまう理由はなんだろう?と考えました。


自分の五感や記憶力よりも

デジタル機器に依存している


確かに、スマホで簡単キレイに撮影できるし、物理的な場所も取らずいつでもデータを見返すことができる。より正確な思い出を呼び起こすには、自分の五感や記憶力とは比べものにはならない。


それに甘んじて、私は目の前のリアルをそっちのけで撮影に熱中する。Vlogを撮ってるわけでもないし、後から丁寧に見返すわけでもないのに。


今、撮影したデータを見返しているけれど、昔を思い出すことはできても、そのときのリアルな感情や感動までは鮮明に蘇ってはこない。


もっと自分の五感で感じて、記憶に留めておけばよかった。撮影することはもちろん悪いわけじゃないけれど、厳選して撮るなどしてほどほどがいい。


昔のカメラやビデオって、フィルムやテープを使って撮影していましたよね。制限がある分、今よりも撮る対象や瞬間を厳選していたと思います。


だから、いいバランスで、目の前のリアルを味わいながら、撮影もしながら記憶として残こすこともできた。


目の前の今を、

自分の五感で感じ取る



この訓練を怠ってしまうと、やがて便利なデジタル機器に私の感性はじわりじわりと侵食されてしまうのではと、危機感を覚えました。



感性を鈍らせない


現代社会の一つの課題のようにも感じました。


そして、感じたことを忘れないための記憶力
これは年齢を重ねることに衰えてきますね~。私はだんだん自信がなくなってきました(笑)。


明確な解決策はないのですが、脳のメモリが限られているので(私は容量が少ない)、記憶したいことを絞ればいいと思います。欲張らずに厳選すること。


これからは、撮影データをムダに貯めこまずに、
目の前のリアルをぞんぶんに楽しんでいきたいと思います ♪



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