Live in Hiratsuka #2
さて、平塚の話。#2です。
前回の話はこちら。
3人のアーティストの出会いによって、なんだかポジティブなスパイラルが生成されて。それに誘われるように人々がアトリエに遊びに来るようになったところまでをざくりと書きました。
そんな中、次に平塚に引っ越してきたのは藤沢篤(ふじさわあつし)。(ちなみにあだ名はズール。)
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-今回、話を聞いた人-
藤沢篤さん(ブロガー)あだ名がズール。
ちなみに好きな本は『アルケミスト』
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※改めて書く際に普段と違う呼び方も不自然だったので、基本的には普段の呼び方でそのまま書いてます。
-ズールはどんな流れで平塚に来たの?
「一番最初に平塚に来たのは、布団を取りにきた時かな。」
-布団?
「俺、半年間くらい東南アジアに旅に行ってて。帰って来て、和也に預けてた布団を取りに行かないとと思って。
なぜかわからないけど、旅に出る前に和也に布団を預けてたんだよね。それで、旅から帰って来て、ちょっとハイなまま平塚行って。(笑)」
-それがいつぐらい?
「2015年4月だね」
ということは、、、
↑
いずみさんが二人のアトリエを訪ねる前に、ズールは一度遊びに来ていたということになる。
東南アジアから帰国したズール。
すぐに平塚に住むわけではなく、東京都狛江市に部屋を借りる。
「2015年5月から2016年4月まで狛江にいたんだけど、この1年がわりと俺の中で、、”暗黒”ってほどじゃないけど調子よくない1年で。ブログの収入は落ちるし、彼女にフラれるし。都心に出やすいから狛江に住んでみたけどそんなに会う友達もいなくて。週7日のうち6日は独りみたいな。今みたいにブロガー友達もいなかったし、孤独だったんだよね(笑)
それで、いつだったかな。F line(藤咲、秋濱、いずみによるコラボレーションチームの名前)のホームページ作って欲しいってことで平塚に呼ばれたんだよね。それが結構でかい出来事で。
ふらっと来たんだけど、もうここで作り切っちゃおう!ってことになって、3泊くらいして、けっこうガッツリみんなと過ごして。そこからちょくちょく平塚に遊びに来るようになったんだよね。」
-なるほど。
「それで、なんとなく平塚いいな。って思いだして、でも当時付き合っていた子が三軒茶屋に住んでて、平塚行っちゃうと遠くなってしまうから無理だよなーって思っていたんだけど、2016年の3月頃にフラれたんだよね。
その時はブログの収入も下がっていたからバイトしてて、彼女にもフラれて。それで俺めっちゃ人生つまってるやん!ってなって、そんな時に、とりあえず引っ越してきたら?ってなって。」
-それで、引っ越した?。
「うん。」
ズールが平塚に越したのは2016年5月のことである。(3年半前だね)
場所を変えることで人生の風向きが変わったのか、偶然なのか。越した直後、自身で作った電子書籍がヒット。それを機に再び、ブログ一本で生活できるようになったという。(本人曰く、再浮上した。)
「引っ越す時に大事なことはなんだと思う?」ときいてみたら、軽快に「人間関係じゃないかな。」と語っていたのが印象的。
一般的な引っ越しの際の条件項目(賃貸検索サイトのチェックボックスをイメージ)に人間関係というのは存在しない。それよりも重視されるのは、物件の設備であったり、通勤時間だったり、賃料だ。
仕事探しの際に、年収や職種のチェックマークばかりが全面に押し出されていて、誰と働くんだろう?ということが、なんなら行くまであまりわからないことに似ていると思う。
住む場所も仕事も、「誰と?」ということがとっても大切なように見えるのに、差し出されるメニューシートではその項目の重要性が伏せられているような感覚を覚える。
なぜだろう。
旅は、行き先も大事だが、誰と行くかで全く違うものになる。という視点が僕は好きだ。本当にそう思うので。
誰かと一緒に経験したり、喜んでもらったり、関わり合う中で生まれるものには豊かさを感じる。みんなはどうですかね。
これで4人。(ちなみにズールが越してきてからは毎日のように4人でみんなでお昼ご飯を食べていたという。いいな。)
さてさて、次は5人目の話を書きたいと思う。
【藤沢篤に関するあれこれ】
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