トイレについて

トイレが好きである。出先でトイレを拝借する際にトイレが十分に広く、綺麗であると無性に施工主を褒めたくなる。調布駅近くの某カフェのトイレは店内より豪華。とあるギャラリーのトイレの電球の中には植物が植わっていた。漫画の世界の話だが、おぼっちゃま君の自宅のトイレも非常に好き。

わたしがトイレ好きである背景には、実家がボットン式(又の名を垂直ブレーンバスター方式)のトイレであることと、わたし自身とてもお腹が弱いことがある(ような気がする)。

実家のトイレは平成の世も終わろうとしている昨今にあって未だボットンを貫いており、うちの両親の、世の流れも便の流れもまるで気にしない具合には敬服する他ない。

ふたつめの理由にあげた、お腹が弱い件についてだが、わたしはお腹が弱い。週7日の間、4日くらいは腹痛に見舞われている。飲み会など行くとお酒を一滴も飲んでいないにも関わらずしばらくトイレから帰ってこないというミステリアスな人間となる。

ちなみにわたしは大便のことをひそかに”悪魔”と呼んでいる。そしてここから、特に人に話したことのない話なので共感する人が存在するのかわからないのだけど、一番悪い悪魔というものが存在する。それは言わば、その腹痛の主、地震の発生源、諸悪の元凶なるものである。この一番悪い悪魔を体内から追い出さないことには腹痛はおさまらない。用を足したあとは必ず、一番悪い悪魔がまだ身を潜めている可能性について探究し、奴の不在を確認しない限り個室からは出ない。というか出ても無意味だ。ゆえに私はトイレが長い。それは一番悪い悪魔と戦っているがゆえだ。

そんな私のトイレポリシーのひとつはウォシュレットを使用しないということだ。理由はなんか怖いから。突然そこに向かってそれなりの勢いの水撃を放銃されるの怖すぎ。よくみんな使ってるね。それに命中率はいかほどなの?一発で命中させられたらさせられたで怖いし。ということで、私はウォシュレットを使用したことがない。ただ一度の例外を除いては。

忘れもしないあれは沖縄のホテル。いつものように腹痛を抱え、個室に入り便座に腰掛けていた。その日の一番悪い悪魔はかなり手強く、私は自分の頭を目の前の壁に預けるような格好で苦しんでいた。注釈、前の壁がそんなに近いトイレというのも珍しい。私が熾烈な攻防戦を繰り広げているさなか、ふいにウィーーンという電動音。ん?と思い、左右を見たが、やはりそこはトイレ。ただクリーム色の壁があるのみ。なんの音?瞬間、私の出口のあたりに生ぬるい砲撃。な、なにっ!!なぜ!おっ!守り抜いてきたバージンはあっさりと沖縄のあたたかい太陽の光の中に消えた。あまりの不意打ちに垂れていた頭を思わずあげる。ふと、目の前を見るとウォシュレットのスイッチ。な、なんと。戦いに苦戦して、もたげた頭の先にウォシュレットのボタン、、、だとぉ!、、、。くっ、なめてやがってーーーっ!施工主のばか!私がトイレで苦闘して、頭が垂れてきて、ここ押しちゃう可能性について検討してから施工して欲しかった。結果として、私は意図しないカタチで初体験をむかえ、生涯守り抜くつもりだったウォシュレット童貞を沖縄の青い海に捨てたというわけ。全くそれだけは水に流すわけにはいかない。

お読みいただきありがとうございます!