見出し画像

ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその5「演出・舞台美術編(1)」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

宙乗りと本水の見どころと見せどころ

2018年9月21日配信

 7月大歌舞伎では昼の部も夜の部も、海老蔵が宙を舞いました。8月納涼歌舞伎第2部では、歌舞伎史上初、幸四郎、猿之助、染五郎、團子の豪華4人宙乗り! 俳優が宙を移動していくだけでハラハラドキドキ。しかもたいていは手足を大きく動かして演技をするので、宙乗りは刺激的なことこの上ないですよね。芝居、とくに歌舞伎や人形浄瑠璃では、こういった見た目の奇抜さや面白さを狙った演出を“ケレン(外連)”といいます。役者の演技力がものをいう芝居のなかにあって、ケレンはスパイス。寝不足などでうとうとしそうなときに、眠気を吹き飛ばし(笑)あらためて芝居に引き込んでくれるありがたい存在でもあります。

 ケレンには「宙乗り」のほか、「早替わり」「引き抜き」「ぶっかえり」「本水」などがあるので、2回にわけてご紹介します。まずは、大がかりな仕掛けを要する宙乗りと本水から。

江戸時代から観客を喜ばせてきた宙乗り

 現代テクノロジーを使わなければ不可能に思える「宙乗り」ですが、実は、江戸時代から使われている手法です。「フワフワ」とも。

 宙乗りは元禄(1688~1704年)ごろに始まりました。江戸時代は、舞台天井(簀の子)に設えた木製の台車(下駄)から綱で役者を宙吊りにして、台車をみぞに沿って移動させることで役者が宙をフワフワ動いているように演出。役者は連尺というパラシュートのハーネスのようなものを身に着けており、そこに綱を付けました。連尺は今でも使われています。もちろん今は頑丈なワイヤーを使用。二人乗り、三人乗り、往復など、いろいろなバリエーションがあります。『ワンピース』では隼人が客席の上を斜めに飛んで客席を沸かせました。宙乗りの一種ともいえる「つづら抜け」は、宙に吊るされたつづらからパッと人物が登場します。『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』の石川五右衛門が有名。

 宙乗りが入る演目の場合、チラシなどに書いてある題名の横に「○○宙乗り相勤め申し候」「○○つづら抜け宙乗り相勤め申し候」と記されています。宙乗りのある演目が観たいと思ったら、ここをチェックするといいですね。ちなみに題名は名題といい、ほかに、通称、略称、俗称があります。たとえばこれから上演される10月歌舞伎座公演昼の部1番目の演目の名題は『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』で通称『三人吉三』。チラシなどでその左横に幕名が書いてあります。10月公演は序幕「大川端庚申塚の場」。これは正式名称ですが、「大川端」と略称で呼ばれることも多いのです。歌舞伎は歴史が長いだけに、演目の呼び方もいろいろ。名題は難しいので、少し慣れてきたら通称のほうが使いやすいかもしれません。

 宙乗りは、どの席からも楽しめると思います。1階から宙乗りを見ると、アクロバティックな面白さを堪能できます。3階から見ると、役者が近づいてくるのをじっくり眺められます。引き込む前の瞬間に目が合う気がして、別の楽しみもありますね(笑)。宙乗りだけ観てみたいという方は、一幕見で、宙乗りのある幕だけ観るのもひとつの方法です。ただし、宙乗りがある演目では、普段より席数が少なくなるようなので、事前に確認してからのほうが安心。

臨場感抜群の本水

『鯉つかみ』『怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)』など、本水を使う演目のときは、もし運がよければ、前から2~3列目が取れるといっそうライブ感が楽しめると思います。本水場面になると、す~っと涼しくなり、俳優が激しく立ち回ったときに、舞台から水しぶきが飛んでくることも。劇場に冷房のなかった江戸時代、夏の演し物で涼しさを演出するため使われたというのもうなずけますね。

 本水が使われるのは、立ち回りの場面だけではありません。『名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)』では本水を雨として使います。『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』では天水桶にたっぷり水を張り、助六が入ると水が溢れる仕掛けに。これを「水入り」といいます。19世紀半ばに活躍した八代目市川團十郎が水入りを演じた際には、上演中に使った天水桶の水が1徳利1分で飛ぶように売れたとか*。平成22年には、22年ぶりに海老蔵が演じています。水も滴るいい男でした(笑)。この演出が付くことはまれですが、付いた場合は、水入り後、揚巻との濡れ場が続き、幕となります。

 次回は「早替わり」「引き抜き」「ぶっかえり」などをご紹介します。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック第3版』三省堂、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ、『市川團十郎代々』講談社*、公演筋書き、『歌舞伎美人』『文化デジタルライブラリー』)

Copyright (C) 2018 Nikkei Inc. & KODANSHA Ltd.

早替わり、引き抜き、ぶっ返りの見どころと見せどころ

2018年10月19日配信

 今回も“ケレン(外連)”についてご紹介します。まずは早替わりから。

役者ぶりの見せどころ、早替わり

 早替わりとは、複数の役どころをすばやく、ときにはものの数秒で変わり身して演じ分けること。『伊達の十役』『獨道中五十三番驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』など、早替わりを盛り込んだ演目はいろいろあります。8月納涼歌舞伎『東海道中膝栗毛』「相馬山大鼻寺門前の場」では、七之助、獅童、中車が3人そろって5回も早替わりして笑いを取りました。

 見どころのひとつはスピード。以前ドキュメンタリーで猿之助が舞台裏を駆け回る様子が放映されていましたが、衣装、かつら、ときには化粧までを早業で変えます。もちろん楽屋まで帰っている時間はありません。舞台袖や揚幕内に鏡台を仮設し裏方さんの手を借りて“早拵え(はやごしらえ)”をしたり、舞台上にふた役が同時に現れる場面などでは、吹き替えと呼ばれる替玉が登場したり。吹き替えはたいてい後ろ向きで出てきます。面や人形が使われることも。早替わりは宝永(1704〜11年)ごろから取り入れられており、3世紀以上もの工夫と知恵が詰まっているのです。

 より重要な見どころが、演技力。まったく異なる役を瞬間的に演じ分けなければいけないので、役者の力量が問われます。とくに立役から女形、善玉から悪玉への早替わりなど、役柄のギャップが大きいほど見ごたえもあります。なお、早替わりも題名の横に「〇〇早替わり相勤め申し候」と記されています。

 早替わりとは少し異なりますが、平成21(2009)年に海老蔵が復活上演した、歌舞伎十八番のうちのひとつ、『七つ面』も、面を変えた瞬間に別人格となって踊るという点では、舞踊と表現力の力量が問われる演目。今年1月にもさらに練り上げた形で上演されています。

心情の変化を表す引き抜き、かぶせ

 引き抜きにはいくつか方法があります。そのひとつが“かぶせ”。『京鹿子娘道成寺』『鷺娘』『女伊達』など、女形の舞踊でよく見られます。肩や袖を粗縫いで留め付け重ね着した2枚の衣装のうち上の1枚を、糸を引き抜いて瞬時にはずす仕掛け。ときに3枚重ねていることも。時間の転換、場所の転換、心情の変化などを表現し、観客を惹きつけます。滑りがよくなるように糸は蝋引きで、糸の先には玉付き。この玉は衣装と同じ布で覆われています*。

 『京鹿子娘道成寺』では、引き抜き後、色ががらりと変わり、まったく異なる衣装になったように見えます。ところが実はしだれ桜の模様は同じ。着替えて登場する場面もあり、ここでも模様は変わりません。ひとつの模様を使うことで、一人の女性の心が変化していく様を表しています。『鷺娘』では、白鷺を彷彿させる白無垢姿から引き抜いて、町娘を表す華やかな衣装に変わり、さらにもう1回引き抜きがあります。しかも最後は、ぶっ返りで鷺の姿に。

変身を表す引き抜き、ぶっ返り

 “ぶっ返り”も糸を引き抜く点では同じですが、妖怪に変化(へんげ)するときや、前述の『鷺娘』のように仮の姿から本当の姿になるとき、本性を現すときなど、役柄が一変する際に用いられる手法です。荒武者に変身するときなどは、変身したことを大々的に見せつけることもあります。ぶっ返り後、後見が、ひっくり返った後ろ身頃を持ち上げ、雄孔雀の尾のように広げたところで見得を切るのです。

かつらの形をくずす、がったり、さばき

 立役でも女形でも、かつらの根にある栓を抜き、まげの根元をくずすことを“がったり”といいます。『弁天娘女男白浪』で弁天小僧が開き直る場面が代表的。『京鹿子娘道成寺』終盤の花子のように、まげをポニーテールふうにくずすのは“さばき”。ざんばら髪は“総さばき”。さばきや総さばきは、錯乱状態や手負い、切腹などの場面で用いられます。

 次回は大がかりな舞台装置についてご紹介したいと思います。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドック第3版』三省堂、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ*、『歌舞伎の事典 演目ガイド181選』新星出版社、公演筋書き、『歌舞伎美人』『文化デジタルライブラリー』)

Copyright (C) 2018 Nikkei Inc. & KODANSHA Ltd.

「演出・舞台美術編(2)」

トップページに戻る


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?