1%の映画ファンの反抗 「活弁シネマ倶楽部」を企画した理由
少し前、こんな記事が話題になっていた。
「ダサい邦題」「タレントでPR」、熱心な映画ファンが“無視”される事情
この記事で映画プロデューサーA氏が語っていることは、日本のエンタメ業界の様々な場面で見られ、語られていることに近い。
つまるところ、全体の1%に過ぎないコアなファンの熱狂は市場にドラスティックな変化は与えられないのだから、市場の「リアル」を踏まえた上でプロモーションをしている、といった論旨だろうか。
これを様々な視点から批判することは容易い。
一年間に何度も映画館に足を運ぶ映画ファンを馬鹿にしている。
観客を育てなければ市場としての、文化としての未来がない。
アートの分野では少数のファンが売上の多くを担っているし、アートはそのファンを大事に育ててきた。
業界の都合を押し付けてきた結果が、自分たちの首を絞めているのではないか。
「99%に届ける」と謳ったPRが、とりたてて観客動員に繋がっていない。
映画ファンには影響力が無いと言うなら、「配給会社を攻撃するな=批判するな」という物言いは不自然だ。
作品の本質を無視した宣伝は、誰の目にも不誠実なものとして見える。
過去のマス市場での成功を引きずっていて、時代の変化に対応していない。
など、Twitterでも多くの映画ファンが憤りを隠すことを恐れていない。
そんなこと“都合”に付き合わされるぐらいなら、日本の映画産業なんて滅びてしまえ!と言った声まで聞こえてくる。
今の時代、直接的に日本の映画産業に与さなくても、“映画ファンであり続けること”は難しくない。
映画配信サービスは手に余るぐらい存在するし、どの映画を見るかも自由で、一生かかっても見切れないだけの映画に溢れている。こんな時代が到来するなんて、10年前は誰も想像できなかった。
もちろん弊害もある。あまりに多くの映像に溢れてしまったことで、1つ1つの作品の消費スピードは異常に高まり、全く顧みられることなく流されてしまう。
そのスピードに忙殺されて、映画が簡単に“消費”されてしまう。
至極ナイーブな感情だが、一介の映画ファンとしては不意にとても悲しくなる。
1つの映画を作るのには、あまりに多くの人の想いと労働が割かれていて、それが届くべき人に届かなくなってしまっている状況は、端的に不幸だ。
配信があるのだから、いつでもどこでも見られるようになった状況こそ歓迎すべきじゃないかという意見もあるが、その自由を手に入れた代償が、1つ1つの作品と観客が密に触れ合う時間である。
コンテンツの大量生産時代においても、いやそんな時代だからこそ、作品の質が良ければ口コミで評判になり、今までのマス広告体質では絶対に日の光を浴びなかった作品がヒットすることもある。
『カメラを止めるな!』や『ボヘミアン・ラプソディ』がその好例で、どちらも公開前は全くヒットが予想されていなかった。
ポジティブな面を見れば、製作会社や宣伝規模の大小が映画のヒットと結びつかなくなったことで、すべての作品がフラットな状況の中でリアルな評価を与えられるようになったと言える。
初週にどれだけ多くのスクリーンを占領しようが、どれだけマス的な宣伝に資金を投入しようが、映画自体の出来が最終的な興行に影響を与える。
“作品の質”が前提にあって、それを届けるためのPRをどう工夫するか・本質的なPRができるかどうかで、ヒットするかどうかが決まる。
クリエイティブの自然淘汰が進み、既得権益にしがみつくことは何も成果を生み出さない今の状況は、ある種のユートピア的であるとも言える。
質の高い映画を作りさえすれば、一発逆転のチャンスがどこかに転がっているのだから、今まで産業・業界の壁に阻まれていた人にとっては夢に見た時代の到来だ。
しかし、そう簡単にはいかない。雪崩のように日々増えていく映像コンテンツの中で、ヒットに繋がる映画はほとんどない。
映画はTVだけでなく、Netflix、YouTube、TikTokなど様々な映像プラットフォームと競合することになり、その中で満足できるレベルのヒットを獲得できる映画は片手で数えるほどしかない。
99%の映画は映画館での上映終了とともに多くの人から忘れ去られ、たまさか“見ることができた”観客の記憶の中にしか存在しない。
“質が高い”という価値基準だけで考えるのであれば、驚くほどたくさんの映画があるはずなのに、そのどれもがヒットしているわけではもちろんない。
だからと言って“質の高さ”と“ヒット”が関連していないわけではない。
“質の高い”映画があまりに多すぎるのだ。
長年映画を見続けてきて思うのは、「年々素晴らしい映画が増えている」という確信めいた実感である。
世界全体のクリエイティブが同時多発的に飛躍的な向上を見せていると言い切ってしまいたいほど、素晴らしい映画が多い。
それに加えて、Netflixでは超一級品のオリジナルドラマが見切れないほど配信されている。
それが歯痒い。
どんなに素晴らしい映画でも、周囲の人にオススメした時には映画館での上映が終了していたり、配信かパッケージが出るまでには多少の時間が空いてしまって、ようやく視聴が可能になった時には、また別の新しい映画が映画館で公開されている。そんなことの繰り返しで、疲弊してしまう。
もうちょっとじっくりと1つの映画と向き合いたい。素晴らしい映画と出会った時は立ち止まりたい。
どれだけ公開される映画が増えようが、1本の映画に製作者が賭けた時間と熱量はたいして変わらない。
その熱量を掬い取り、できる限り多くの人に知ってもらいたい。言葉にすると少し恥ずかしくなるような、ナイーブな願いから生まれた企画が「活弁シネマ倶楽部」だった。
他にも企画意図はある。例えば、映画上映に伴うトークショーやティーチインは、ほとんど東京の専売特許と言ってもよい。
というよりも、映画文化における地方格差は非常に根深い問題だ。
東京は世界に類を見ないほどの多様性を持った映画上映都市である一方、地方の映画館にはあらゆる側面で制限がある。
まず、“見たい映画”が公開されないといった事態は当たり前のようにある。
特にインディペンデント映画は映画祭などの企画が無ければ公開されにくい。
配信プラットフォームの浸透は、公開映画の地方格差をある一面において解消することはできるが、監督・キャストの舞台挨拶やトークショーをフォローできるまでにはなっていない。
物理的な人の移動と稼働を必要とする舞台挨拶やトークショーは、宣伝予算に比較的余裕のあるメジャー映画でも難しく、宣伝予算に制限の多いインディペンデント映画は言わずもがなである。
また、上映前後の舞台挨拶・トークショーは、映画館の興行の隙間を縫っておこなっているので、時間的な制約も大きい。
映画という情報量密度とエンゲージメントの高い映像コンテンツに対して、“語る時間”があまりに短いのだ。
だからこそ、場所に関係なく、時間制約もないWEB番組で、ネタバレも気にせずに映画について“語る”場が欲しいと思った。
そしてそれは、全ての情報がとてつもない速さで流れてしまうSNS時代の映画宣伝にとって必要なチャレンジだと信じている。
視聴者の貴重な余暇時間を様々なエンタメで奪い合っている時代の中では、1時間も映画監督の話を聞く人はほとんどいないかもしれない。
しかし、誰かが1%の映画ファンを軽視するなら、他の誰かが1%の映画ファンを信じてもよいはずだ。
筆者にとって、A氏とA氏が語るところの“リアリズム”へのカウンターが「活弁シネマ倶楽部」である。
幸いなことに、映画業界の中には、1%を5%、10%に増やすために意欲的な挑戦を続けている先人がたくさんいる。
彼ら彼女らの勇気ある“賭け”が無ければ、こんなことをやろうとは思わなかったはずで、今もなお様々な形で刺激と影響を受け続けている。
歯を食いしばって耐えながら、いつか訪れるかもしれない幸福な未来のために努力を惜しまない彼ら彼女らと“併走しているんだ”と自負できるぐらいの熱量は持ち続ける。でなければ始めた意味がない。
拙文をここまで読んでくださった殊勝な方々にも感謝を。ありがとうございます。
ぜひ活弁シネマ倶楽部の動画を、そして素晴らしい日本映画の数々をご覧ください。
『十年 Ten Years Japan』
ゲスト:高松美由紀プロデューサー、藤村明世監督
『鈴木家の嘘』
ゲスト:野尻克己監督、木竜麻生さん
『真っ赤な星』
ゲスト:井樫彩監督
『ヌヌ子の聖★戦〜HARAJUKU STORY〜』
ゲスト:進藤丈広監督、深川栄洋プロデューサー
『斬、』
ゲスト:塚本晋也監督
『からっぽ』
ゲスト:野村奈央監督
『銃』
ゲスト:武正晴監督
『ひかりの歌』
ゲスト:杉田協士監督
『生きてるだけで、愛。』『太陽の塔』
ゲスト:関根光才監督
『飢えたライオン』
ゲスト:緒方貴臣監督
『少女邂逅』
ゲスト:枝優花監督
『デイアンドナイト』
ゲスト:藤井直人監督
『足りない二人』
ゲスト:佐藤秋監督、山口遥監督
『あまのがわ』
ゲスト:古新舜監督
『夜明け』
ゲスト:広瀬奈々子監督
『ハナレイ・ベイ』
ゲスト:松永大司監督
『チワワちゃん』『疑惑とダンス』
ゲスト:二宮健監督
『シスターフッド』
ゲスト:西原孝至監督、兎丸愛美さん
『岬の兄妹』
ゲスト:片山慎三監督、松浦祐也さん、和田光沙さん
『新宿タイガー』
ゲスト:佐藤慶紀監督、小林良二さん、新宿タイガーさん
『教誨師』
ゲスト:佐向大監督
『ワイルドツアー』
ゲスト:三宅唱監督
『愛がなんだ』
ゲスト:今泉力哉監督、若葉竜也さん
『芳華-Youth-』
ゲスト:徐昊辰さん
『あの日々の話』
ゲスト:玉田真也監督
『きばいやんせ!私』
ゲスト:武正晴監督、足立紳さん
『ばあばは、だいじょうぶ』
ゲスト:ジャッキー・ウー監督
Text by 菊地陽介
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