仕事の根本は「誠実」と「丁寧」

「追悼」
というコーナーが書店の一角にありました。
その一角は伊集院静さんの書籍をあつかったものでした。

以前、どこの雑誌か新聞だったか忘れましたが、伊集院さんが読者の質問に答えるというコーナーがありました。その中で、さまざまな読者の真剣な悩みに対して、ばっさばっさと毒舌で切り捨てる感じが気持ちよくファンになりました。

毒舌って、その一側面だけを捉えると性格が悪い人の言葉のイメージがあります。
しかし、本当に性格の悪い人ならばどうしようもない質問は相手にしないのではと思ってしまいます。その点で伊集院さんは結構ありふれた質問ですらしっかり正面から向き合っていて、そこに愛を感じます。たぶん、ホントのところはネットを調べれば分かるのかもしれませんが、今は調べずにいます。

世の中には丁寧な言葉を使いながら相手を傷つける人だっています。
それを思うと言葉使いではなく、共感できることが大切なのだと思います。伊集院さんの言葉は厳しめだけど、心に刺さる言葉を発信されていると私は感じいています。

さて、その追悼コーナーのいろいろな本を物色し、一冊決めて読んでみることにしました。それがこちら。伊集院静「大人の流儀3 別れる力」。

本書籍は別れる力について延々一冊語っているものではありません。別れる力、と題した章を含む一連のショートエッセイを合体させたものです。

各ショートエッセイ、全て視点が面白くどれひとつとっても誰もが何かを語れそうな内容です。そして、どれも愛情を感じる作品です。

とても自由奔放に痛快に書き綴られているなかでとても興味を引いた一言が、「仕事の根本は誠実と丁寧である」という言葉です。そしてこの誠実と丁寧を成立させるのは品格と姿勢だといいます。

私はこの考えに共感で、古今東西、あまたある仕事の中でいつも評価される仕事というのは誠実と丁寧だと思っています。加えて私は、丁寧に加えて緻密で繊細さというものもとても大事と思っていて日々そうあるように努力しています。

しかしこれまでの私の過去の黒歴史を考えると、ずっとそうではありませんでした。

若手研究者のはしくれをやっていたとき、私は「誠実」と「丁寧」の大切さに気付かずに、あるいはそれを蔑ろにしたゆえに、暗黒時代(それとは気づかずに)を過ごしていました。

研究では実験や仮説をたて結果をきちんと表現し、議論することが必要です。しかし当時はそのようにちゃんとしたプロセスを踏んでいていなかったと思います。たとえば、画像のイメージ一枚だけ見せて安易に「この写真をもって〜という結果が導き出せます」といったりしていたこともあったと思います。

しかし、あるべき姿は違います。
たとえばその画像イメージに加えてその背後にあるストーリーや他の比較できるイメージ写真がどれほどあるのか等、さまざまなことを精査した上で初めて結果が語れると思います。

しかし、若い頃はこれをすっ飛ばしていたところがありました。一つには、その仕事だけに時間をあてるのではなく、ほかにも色々やりたかったからです。もう一つは、成果がでているかのように見せたいというケチなプライドのために結果を軽々しく出していたからです。

これにより、おそらく周囲からはあまり相手にもされず、雑に仕事をしている人とおもわれていたのではないかと思います。そして、うっすらそれに気づいてはいたものの、やめられませんでした。
うまく現状認識できていなかったのだと思います。

そんなことがあったから、今はしっかり段取りを組み、確実かつ誠実・丁寧に仕事をしているつもりです。しかし、過去のこととはいえ、雑な仕事をしていた過去を持つ身としては過去の自分の態度を教訓とし、弱いメンタルに日々うちかっていく必要があるかと思います。

そんな戒めをいただいたような言葉でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?