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【万歳、 日常】 救い (2024/06/30)

電気湯の公式インスタグラムでのリレー連載『万歳、日常』から僕のポストを転載。日常を綴ります。


どうやら友人の一人が家業を継ぐようで、昨日会った時に「あと数年後に継ぐかもしれないのですが、今のうちにやっておいた方がいいことありますか?」と問われ、「死ぬほど遊んだ方がいい」と答えました。
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アジアの漁村に滞在していた時の、「もしかしたらここでずっと生きていけるかもしれない」という爽やかな諦めにも似た感覚。船の上から見た曇り空と、水平線。いつもよりちょっと早く起きてしまった土曜の朝、部屋が静かで、窓を打つ雨の音のむこうで電車の音がかすかに聞こえて、家族が起きてくる音が聞こえて、次第にお腹が空いてきて、のそのそと起き上がり「今日はちょっと早起きして、眠くなったら寝ちゃおう」と、1日が早く始まったことと、その1日が無限の可能性で満ちていることに対するふわついた嬉しさで風が吹くように足取りが軽くなる感覚とか、そういった、目の前のことだけをつぶさに見ていられた感覚は、もう遠い昔の記憶となってしまいました。
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自分で選んだ道を突き進み、そこに友人たちが活き活きとノってきてくれる、こんなに嬉しいことは人生でそうあることではありませんが、これが自分の人生を賭けた会社となると、毎日毎日どこにいても電気湯のことを考え続けている楽しさ/しんどさとして、そういうある種の「自由さ」みたいなものをちょっとずつ削り続けていきます。逃げたい時も、しんどい時も、それらを誰にも打ち明けられない時も、「自分の終着地点を決めた」という事実は、ずっとずっとそこに立ちはだかる障壁として、あらゆる選択を迫ってきては「それでよかったのか?」と繰り返し問いかけてくる。
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このしんどさ/楽しさは、自分で「これをやる」と決めていなかったらたぶんすぐに逃げ出してしまっていたのだろうなと思います。大学も、大学院も、あらゆるバイトも、ずっと天邪鬼のふりをしては、結果を出すことから逃げ続けてきました。何か一つのことをこんなに長い間(といっても5年目ですが)続けていられるのも、ちょっとの覚悟と、一緒に前に進み続けてくれるメンバーと、公私共に/メンバーも含めて支え続けてくれている両親のおかげです。
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ただ、この幸せと引き換えに、じわじわと失い続けているものも確かにある。数年前に、近所の友人と「家業は救いでもあるし、呪いでもある」という話で盛り上がりました。どこへ行っても自分の場所じゃない感じがしていた頃からすれば、自分(たち)の場所を持っていられる、という事実には大いに救われています。いつか、呪いとしての「これでよかったのか」ではなく、救いとしての「これでよかった」と思える日に辿り着けるように、いつか、早朝の静けさをもう少し感じられるように、どこかで後悔しないように、まだまだ諦めずに、この呪いと一緒に過ごしてみようと思います。
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2024/06/30 - Original Post
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