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昔の写真に「AIっぽさ」を感じてしまう違和感の正体

このnoteでは現役のWebメディア編集者の目線で、
文章や写真、コンテンツ作成について語っています。

最近こんな投稿をしたところ、さまざまな反響を得られました。

この写真は昭和10年(1935年)に毎日新聞社によって撮影されたもので、
写真に映るのは今はなき有楽町更科さんです。

現代だとUberEatsの配達員さんは目にするものの、
蕎麦屋のクラシックな出前スタイルを見る光景はなくなっており、
とくに目の惹かれる写真かと思います。


最近増えた「AI写真だろ」の指摘について

この写真自体、私のアカウントで何度か紹介をしたことがあるのですが、
ここ1年ほどで私のアカウントに「AIだろ」と引用リプライがつくことが増えてきました。

少し前であればCGだとか、コラージュだと揶揄されていたかもしれないですが、
このような指摘はこれまでなく、
生成AIの成長とともに増えてきたので、
AI時代特有の事象になっていると判断しています。

とくにこの写真は画像サイズも大きく、
見た目のインパクトも強いため、
「AIだ」と思われる余地は十分にあると思っています。

しかしそれだけでなく実際「AIだろ」と思われる理由が様々あると思うので、
この記事では昔の写真に「AIっぽさ」を感じてしまう理由をいくつか整理してみたいと思います。

1.「想像しがたい」昔の写真にもつ違和感

写真を見る限り推定30段以上のせいろを積み上げており、
「現代人では想像もできない技術を持つ人が写っている」違和感がこの写真にはあります。

昭和30年代にはどれだけ蕎麦のせいろを積み上げられるかを競う「出前コンクール」もあったほどで、
当時の人からしても高くせいろを積んでバランスよく自転車を漕ぐことは、
並大抵の人ではできない認識があったと推測できます。

「出前コンクール」で2度優勝経験のある、東京の出前持ち前田和弘さん。

いわんや現代では、ほとんど(もしくは絶対に?)見ることのできなくなった技術のため、
そもそもこのような出前スタイルがあったことを知る人も減っているでしょう。

「知らない」「見たことがないもの」に対して持つ違和感から、
AIっぽさを感じてしまうのだと思います。

2.「昔の写真は鮮明ではない」という思い込みによって抱く違和感

また稀に写真の加工を疑われることもあり、
「高画質化アプリ」のようなものを使用しているのだろうと指摘が入ることもあります。

結論、加工はしていないのですが、
おそらくこのような指摘が入るのは「昔の写真は鮮明でない」という先入観から生まれているのだと思います。

1895年にギリシャで撮影された家族写真。

写真は紫外線によって劣化するため、
時間が経てば褪色(たいしょく)してしまいます。

そのため我々がよく目にする昔の家族写真などは色褪せていることが多く、
そのような先入観を持ってしまうのは仕方のないことだと思います。

冒頭に紹介した出前写真は先述通り、
毎日新聞社によって撮影されています。

日本の新聞社では写真取材において、
大正期にはゲルツ・アンシュッツ社製の「アンゴー」というカメラが、
昭和戦前期からはイカ社製の「ミニマム・パルモス」というカメラが使われていました。

毎日新聞のカメラマンが何のカメラで撮っていたかは不明ですが、
昭和10年代には報道写真の定番となっていた「ミニマム・パルモス」で撮られたと仮定します。

  1. 同機は1/1000 秒までのシャッタースピードを持っている

  2. 出前の写真が報道のために演出された写真である

  3. 演出のためにノロノロ運転で時速5km/h程度で走っていた

  4. 現像後も報道写真として(おそらく)十分に管理されていた

と仮定するとブレがない鮮明な写真として残っていたと推測でき、
「昔の写真なのに鮮明」という事実が違和感として残ってしまい、
「AIっぽさ」を感じる要因になっているのだと思います。

3.「昔の写真はモノクロ写真である」という先入観から生まれる違和感

手彩色(てさいしき)写真と呼ばれる、モノクロの写真に色がついた写真が存在します。

△手彩色写真の例

写真撮影の中でカラー写真の占める比率は、昭和40年(1965年)時点で10%程度で、
1970年代に入ってようやくカラー写真が普及していきますが、
それ以前のいわゆる「古写真」で色がついているもののほとんどが、
絵付師と呼ばれる職人によって、一点一点色が付けられた手彩色写真でした。

手彩色写真は訪日外国人向けの観光写真として日本で流行し、
明治20年代(1887-1896)には全盛期を迎えていたそうです。

これらの写真は販売目的のため、
「日本ならでは」と感じられる題材が好まれ、
ときには写真に映る演者のポーズも、色付けも、
実際よりも盛られることが多かったようです。

△本当に多く盛られた例

私のアカウントでも手彩色写真を度々紹介をしていますが、
稀に「加工をするな」と指摘が入ることがあります。
(本当にこちらは稀ですが)

おそらくモノクロ写真をアプリなどで「カラーライズ化」をしていることを指摘しているのだと思いますが、
「昔の写真はカラーであるはずがない」という先入観から入る指摘なのだと理解しています。

4.「演出」から生まれる違和感

また古い写真を見たときに「作られた写真である」と感じ、
その写真がフェイクであると思う人もいるかもしれません。

手彩色写真の事例で述べたように、
昔の写真でも「盛られる演出」は存在しています。

とくに手彩色写真は販売目的だったので、
企画者や販売者によって「何が外国人に受けそうか」などの議論を経たうえで、
演出が練られた写真が撮られたケースもおそらくあったはずです。

こうした「意図して生み出された写真」に違和感を持ち、
「この写真は現代人の意思で加工された写真である」と思ってしまうのも理解ができます。

5.「非合理的」と感じてしまう違和感

  • 何段にも積まれた蕎麦をチャリで運ぶ男。

  • 大きな米俵を1人で担ぐ女性。

  • 東京タワー建設中の危ない現場で作業をする作業員。

これらはとくに現代人から「AI判定」されてしまう写真かもしれません。
なぜなら現代人からすると非合理なことをしているからです

今はトラックがあるから重たい荷物は積めばいいし、
危険な場所で作業をする理由がないので、
当時を知らない人からすると、
「作られた嘘の歴史写真」と誤認される可能性があります。

どうすればリアルであると伝えられるか

人々は長い間、フェイク写真と付き合ってきた歴史があり、
偽造写真の歴史は、写真の歴史と同じほどとも言われています。

古い例だと米国大統領のエイブラハム・リンカーンの有名な肖像は別人の身体にリンカーンの顔がつけられていたこともわかっているほか、
最近だとAIを活用した合成技術、ディープフェイクが驚異的な技術進歩を遂げており、
その裏側には、社会に対する深刻な脅威も存在しています。

将来的にはなりすまし写真、文書偽造などのディープフェイクによって生まれる経済的損失は2027年には400億ドルまでに達すると予測されているそうです。

このような時代で警戒心を持ってコンテンツに触れる人が増えることはよいと思う一方で、
何から何までAIだと断定してしまうのは勿体無いなとも感じてしまいます。

とはいえ、警戒心やAIっぽい違和感を持つ人が増えているのであれば、
コンテンツ提供者側としてできることとしては、

  • 引用元を書く

  • 誰が登場しているのか

  • 誰によっていつ撮影されたのか

など歴史研究をする人にとっては当たり前の記載をすることで、
違和感を払拭できるのかなと思っています。

そもそもお前(筆者である私)がちゃんとしろよという話でした。
(ちゃんとするのでフォローしてね、以下の記事も読んでほしいワン)


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