秒速でスワイプされる時代に、溜息を漏らすほどの余韻を。

「売ります。赤ん坊の靴。未使用」
(原文 For sale: baby shoes, never worn)

これは世界一短い文章といわれている、
英語で6単語からなる、作者不明の短編小説の全文です。

なぜ赤ん坊の靴は売りに出されたのでしょうか。

想像力を掻き立てると、
「赤ちゃんが生まれて必要な物を用意したけど、使うことなく亡くなってしまった」という悲劇が立ち上りますが、
いずれにせよ、たった数文字でなんともいえない感情が得られたかと思います。

このように文章の外に感じ取れる思いや趣きを、
「言外(げんがい)の余情」と呼ぶようです。

この「余情」は日本の芸術理論を研究する土田耕督(1980年-)によると、

文脈および背景が確定できないからこそ想像が促進され、
その結果として共感が強化されるという逆説的な事態

出典:土田耕督和歌における〈言外の情趣〉の多元性― 「余情」とその類義語をめぐって ―」、『東京外国語大学国際日本学研究 第4号』、2024年3月、8頁。

によって生まれるのだそうです。

つまり目に見えない空気感や、直接感じ取ることのできない温度感を
言葉からこぼれる行間から感じて、頭のなかでイメージするわけです。

ちなみに冒頭の世界一短い小説が書かれたのは、
20世紀初頭のアメリカとのこと(時代については諸説あり)。

当時のアメリカは、
生まれたばかりの子どもが十分な世話を受けられずに放置され、
身元不明の遺体となって発見される痛ましい事件が度々報じられていた時代。

赤子の弱々しい泣き声が響き渡っていたからこそ、
短い文章が悲劇の物語として同時代の人々の想像力を掻き立て、
作者不明でありながら、
冷たい温度感を残す文章として現代にまで生き延びたのかもしれません。

想像力が「情報」でかき消される時代の「余韻」をクリエイター視点で考えてみる

コンテンツの配信・受信コストがゼロになっている現代。

瞬時に配信され、瞬時に流れていく、
さっき見た「何か」が文章だったのか、動画だったのか、図解だったかすらも記憶に残っていない……。

たくさんの視覚情報が勝手に集まるなかで、
記憶に残るコンテンツを作る難易度は、
有史以来、一番難しい時代と言ってもいいのではないのでしょうか。

なので日々過剰な情報のシャワーを浴びている受け手に対して、
「見覚えのある」「平均点」なコンテンツを提供するやいなや、
そのコンテンツは不要な「何か」として無意識に捨てられてしまいます。

「冒頭1秒、ファーストビューが命」
「独自性を持とう」
「読み手との関係構築を行おう」

コンテンツが埋もれないための方法論は様々ありますが、
要するに最高時速200km以上で走る東海道新幹線の車窓から見える
きぬた歯科の院長を心に飼うことが大事なんだな、
と最近は理解しています。


どういうことかは余韻、余白として残しますわね。
読んでくれてありがとう!またね、バイバイ!

参考文献:
土田耕督「
和歌における〈言外の情趣〉の多元性― 「余情」とその類義語をめぐって ―」、『東京外国語大学国際日本学研究 第4号』、2024年3月。
大鳥由香子「産声を記録せよ: アメリカ合衆国における出生登録制度」、『アメリカ研究』53号、2019年。


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