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雪の花が咲く

 ——雪山で遭難したぼくの命は、風前の灯だった。死を覚悟したぼくは、自分の過去をふりかえる。悔やまれるのは、恋愛経験をいちどももてなかったことだ。ぼくには、いちどだって。いや、まてよ。思い出せ。そうじゃなくて、ぼくには、あの——。

ホラーです。
「小説家になろう」サイトで、しいなここみさまの自主企画「冬のホラー企画2」参加作品です。


 粗末な山小屋の外では、吹雪が吹き荒れている。
 強い風が吹きつけ、ぎしり、みしりと小屋が軋む。
 隙間からは雪が忍びこみ、小屋の中にも積もっている。
 ここに来て、いったい何日が過ぎたのか、それももはやわからない。
 口に入れられるものも、もうかけらも残っていない。
 携帯の電源もとっくに尽きている。
 こうして寝袋にくるまっていても、体は冷えていくばかりだ。
 頭も朦朧としてきた。
 ああ、ぼくもこれで終わりなのか……?
 これまでの人生が、まるで切り取られた映像のように、脳裏をよぎっていく。
 死に直面した人間が、走馬灯のように過去をみるというのは、このことなのか。
 ぼくは、やっぱり、もう死ぬのか。
 一人で、吹雪の山の中で、だれにも看取られず。
 ああ、でも、もしできたら、死ぬ前に、女の子と一度くらいお付き合いをしたかったなあ。
 そんな機会は、残念ながら、ぼくの人生に一度だってなかった。
 これっぱかりも。
 友人たちには、さんざんからかわれたのだけれど。
 こんなことになるんだったら、もっと勇気を出して、がんばってみればよかった。
 でも、もう手遅れだ。
 こんな今際のきわにだって、ぼくの頭の中に浮かぶ女性は、一人だっていない。
             (わ)
 思い出の中にだって、そんな女の子は一人だって……
            (わた)
 あんまり、惨めな気がする。
           (わたし)
 でも、それは自分のせいなのか……ああ……もう……
          (わたしが)
 すべてをあきらめかけたぼくの心の中に、まるで、雪を割って花が開くかのように
       (わたしがいるよ)
 一人の女性の姿が浮かび上がった。

(わたしが、いるよ)

 ぼくは、いっしゅん、呼吸も忘れた。
 そうだ。
 そうだよ!
 なんで忘れてたんだよ、こんな大事なことを。
 切長の美しい目をした、その人。
 六花りっか
 六花は、ぼくのかけがえのない恋人だった。
 今回の登山に行く時だって、やさしく見送ってくれたじゃないか。
 気をつけて行ってきてね、そう言ってくれたじゃないか。
 なんで、いままで思い出さなかったんだ。
 ああ、六花、でもぼくは君のところに帰れそうにない。
 ごめん、六花。
 六花との、楽しかった記憶が、次々に甦ってくる。
 大学時代。二人で行った、あの夏の旅行。

(そうだよ、そうやって思い出していってね)

 高校時代。体育祭で、ぼくを応援してくれた六花。

(そう、それが、今あなたの記憶)

 中学時代。二人で、プリクラをとって笑った。

(そう、あなたはわたしを思い出していくの。たとえそれが偽りの記憶だったとしても)

 ぼくの記憶はどんどん遡る。
 幼い頃まで。

(思い出していく、あの時に届くまで)

 ずっと、ずっと六花はぼくのそばにいた。
 ずっと昔から。
 はじめて、ぼくが六花にあったのは——。
 そうだ、あれはまだぼくが小学校にあがったばかりの頃。
 父さんに連れられていったスキー場で。
 初めてのスキーで、ぼくはうまく止まれず、コースを外れてしまい、こぶにのりあげて激しくころんだ。
 仰向けに倒れ、身体は半分雪にうずまり、そしてそんなぼくの上に、さらに雪は降り積もる。
 動けないでいるぼくを、のぞきこんだ小さな顔。
 切長の目の、かわいらしい、びっくりした表情で。
 それが六花だった。
 ああ、あの時も雪が、激しく降っていた。
 あとで話をしたら、六花は、なんとぼくと同じ小学校にかよっていて、ぼくらはそれから仲良くなったのだ。

(雪の中での出会い、それだけは真実)

 六花、ああ、なんでぼくはさっきまで六花のことが頭になかったのだろう。
 まるで、今、はじめて知ったかのように。
 これも、寒さの中、衰弱してしまったぼくの頭がおかしくなっている証拠なのか。
 もう、わけがわからない。
 六花、ほんとうにごめん、もうぼくは——。
「ゆうすけ、だいじょうぶだよ」
 ああ、とうとう、幻聴が。
 六花が、こんなところにいるわけはないじゃないか。こんな吹雪の雪山になんか。
「ゆうすけ、わたしはここにいるよ」
 なおもはっきりと聞こえる、かけがえのない、その優しい声。
 ぼくは、半分凍りついてしまったまぶたを、無理やりもちあげた。
「六花!」
 そこに六花がいた。
 あの時のように、ぼくをのぞきこむ六花の顔。
「六花……どうしてここに? ……これは幻覚?」
 六花はぼくに顔を近づて、
「幻覚なんかじゃないよ、ゆうすけ」
「六花」
 ぼくの目から涙が溢れる。
 涙は、溢れるそばから凍っていく。
 小屋の気温が急激にさがっているのか。
「ゆうすけ、ずっと好きだよ。スキー場であなたを見たその瞬間から」
 六花が笑った。
「わたし、ずっと、待ってたよ。さあ、わたしに、あなたをゆだねて」
 ぼくも、寒さにこわばった頬で微笑みかけた。
「もちろんだよ、うれしいよ六花、ありがとう」
 六花から猛烈な冷気がぼくに吹きつける。
 氷の花がぼくの上に咲いていく。
 それが心地よかった。魂がしびれていく。

(了)

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