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錯綜する故郷

 家業を継いだ弟が実家を売ることになったと聞き、私は長く帰ってなかった故郷を訪れる。かつて住んでいたその家を、もう一度見ておこうと考えたのだ。懐かしい町並みを歩いて行くと、何十年とやりとりのなかった幼なじみが、いまは工務店のあとをつぎ、働いているのを見かける。だが、記憶をたどってみると、ありえない事実に気づき——。

 ノスタルジックなホラーです。お楽しみください。


ひらタン)

 久しぶりに、帰郷した。
 実家を継いだ弟が、家を売るという。
 正確には、もう売ったということだったが。
 私が小学生の頃まで暮らしていた、木造平屋建ての小さな家である。
 父が独立して小売店を始めることになり、私たち一家は、住居付きの店舗に引っ越した。
 住まなくなったそれまでの家は、身内の者に貸したりしていたのだが、その身内も自分の家を建てて出て行き、もう長いこと空き家であった。住むものもなく時が経過し、あちこちガタが来て、床も沈み、壁紙も剥がれ、建て替えに等しいくらいのリフォームを行わなければ、もう住めそうになく、弟は、土地ごと家を売ってしまうことにしたのだった。
 その知らせがとどき、私は、この機会にいちど見ておこうと、長く帰ってなかった郷里の町を訪れたのだ。
 ローカル線の駅は、記憶にあった木造からコンクリ製の無骨な建物にかわり、駅員の常駐もない、無人駅となっていた。
 私は、切符を、改札(といってもただの出入り口でしかない)の、切符入れの箱に放りこんで、駅を出た。
 学校も冬休みのこの時期、駅に人の気配はない。
 さて。
 弟のところに——。
 いや、その前に、あの古い家の方にいってみよう。
 幸い、駅から歩いても、そんなに離れているわけではない。
 気温は低いが、天気は良い。行けるだろう。
 私は、コートの襟を立て、かつて住んでいた、裏通りの小さな家に向かって歩き出した。

 天神通、という市道がある。
 名前は立派だが、繁華街などではなく、ごく普通の道路の両側に、一般の家にまじって、製茶屋、米屋、電気屋などが並んでいた。今はそれらの店も、ほとんど廃業してしまい、ほぼすべて普通の民家にかわっているが、家の造りや、看板の外されたあとに、かつての名残があった。
 私は懐かしみながら、その通りを歩いていった。
 と、そんな中に見つけたのは「平澤工務店」という、ペンキも褪せた木の看板であった。
 大きなガラス戸が通りに面したその古びた工務店は、他の店が閉じていく中、まだ営業を続けているらしかった。
 ああ、これ、ひらタンの家じゃないか!
 私の中で、あのころの記憶が蘇る。
 幼稚園、小学校と、同級生だったその少年を、私はひらタンと呼び、よくいっしょに遊んだものだ。その平澤工務店にも、なんども遊びに行った。
 いろいろな機材や道具が並んだ店をぬけて、裏に入ると、中庭があって、その奥にようやくひらたんの部屋があった。お母さんが出してくれたスイカの種を、中庭に飛ばして遊んだ。ひらタンの綺麗なお姉さんが、スイカの種を間違って呑みこむと、腹の中で発芽し、耳から芽が出てくると言って、幼稚園児の私は恐怖におののいた。笑い話だ。
 私はひらタンの家の前を通りすぎる。
 通りすぎながら、ちらっとのぞきこむと、店の奥、作業台のところに、人影があった。
 白髪の、眼鏡をかけた丸顔の老人が、うつむいて、何か作業をしていた。
 どきり、と胸が鳴った。
 ひらタン、あれはひらタンなのか?
 もどって話しかければはっきりするかもしれないが、何十年も言葉を交わしていない。そもそも、あれがひらタンである確証はない。
 ためらわれ、私は、とりあえず、ひらタンのことはそのままにして、先に進んだのだ。

 ここだ。
 裏通りに入り、かつての家があった場所にきた。
 そのころの隣人、通称あだちの爺の家がみえた。偏屈なじいさんで、私はよく怒られた。
 あだちの爺の家は、完全な廃屋になり、屋根が傾いていた。
 それはそうだ。あれから何年経っている。
 横の小道から、自分たちの家の前に——。
 えっ?
 私は、ぽかんとしてしまった。
 なにも、ない。
 私たちの住んだ家があった場所は、完全な更地になっていた。
 家は取り壊され、整地され、砂利が敷かれていた。
 こうなったのは最近のことのようだ。
 整地の跡も新しい。雑草もない。
 たぶん、弟が家を売る条件に、更地にすること、というのがあったのだろう。
 それで弟はさっさと作業をすすめたのだろう。
 それはしかたのないことだ。私にどうこう言える話ではない。
 ただ、喪失感はあった。
 私は、その砂利の上に立ち、ぐるりとみまわす。
 こんなに狭かったのか、私たちが住んでいた家は?
 そういえば、ひらタンがうちに遊びに来たこともあったな。
 かわいそうなひらタン。
 あんなことがなければ。
 ひらタンは、あの夏に、赤痢にかかってしまったのだ。
 いまどき、赤痢などと言うと笑われそうだが、当時は深刻だった。
 ひらタンは、感染症病棟に隔離され、友だちと会うこともできず、そして。
 私は衝撃とともに、思い出した。
 担任の教師が、沈痛な顔で、教室のみんなに告げたあの日。

「みなさんの仲間の、平澤くんが、亡くなりました——」

 空の光がまぶしい。

かっちん)

 平澤正は、作業台で、塩ビパイプのねじを切っていた。
 すでに工務店の運営は、息子に任せているが、作業はまだまだやれる。
 老眼のため細かいところが見にくいのはつらいが。
 しかし、高校を出てからずっとやってきたこの仕事は習い性になっていて、なにかしないと落ち着かない。
 天神通に面したガラス戸から射しこむ日射しが明るい。
 その日射しをなにかがさえぎった。
 しかし、このタイミングで手は離せない。
 ねじを切り終わって顔を上げると、ガラス戸の向こうを歩き去っていく人影があった。
 自分といくらも年の変わらない、初老の男。
 近所の人ではない。
 なにしろ、生まれてからずっとこの歳になるまで、地元を離れたことはない。
 同じこの場所に住んでいるのだから、住人はみな顔見知りだ。
 だから、近隣住民ではないのはすぐわかった。
 だが——なにかひっかかる。
 なにかあの男にはみおぼえがあって。
 平澤は、遠ざかるその男を目で追った。
 小柄な男だ。
 あの、なんとなく不器用そうな、片方だけ肩を上げ下げする歩き方。
 見ていると、男がたちどまり、顔を横に向けた。
 懐かしそうに、通りの、もう閉じてしまった店をみている。
 あれは、夏目酒店の前だ。
 夏目酒店も、十年前には閉店してしまったが、あの店にはずいぶんお世話になったな。
 いや、それよりも。
 その男の横顔に、平澤は驚きの声をあげた。

「かっちん? まさかね」

 かっちん。
 野沢克之という名のその同級生は、幼稚園から小学校まで同じ学校で、気が合って、いっしょに遊んだものだ。
 この家に遊びに来たこともある。
 ああ、そういえば、かっちんと俺とスイカを食べていたら、姉貴が、スイカの種を呑みこむと鼻から芽が出てくるとかいって脅して、かっちん真っ青な顔になっていたな。あれは悪かった。
 中学以降は、二人に接点があまりなくて、俺とは疎遠になってしまったが。
 かっちんは隣町の進学校に通い、めでたく東京の大学に進学して、向こうで就職したと聞いた。
 最後にかっちんの噂をきいたのは、あれは——

 あれは!

 平澤の身体がこわばる。
 同窓会で、のぶち・・・が教えてくれた、高速道路で事故にまきこまれ、亡くなったという話ではなかったか。
 ずいぶん前のことだが。
 では、あれはかっちんではないよな。
 そんなはずはない。まさかね。
 訝る平澤の視線の向こうで、その男の影は、裏通りにはいって消えていった。
 平澤は、また塩ビパイプに顔を落とし、そしてねじを切る。
 これまで、ずっとやってきたように。
 ガラス戸から、まぶしい光がさす。


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