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他人の日記を読む

私は自分で文章を書くのも好きですが、他人の書いた文章を読むのもとても好きです。別にプロの書き手でなくても全然よくて、それは絵も同じかなあと思います。上手い下手とはまた別に、その人の人柄や、もっと大げさに言えば『魂の形』のようなものが垣間見えるような気がするのです。

日記という、基本的に他人に見せるために書いているものではない、極めてパーソナルな文章を読める場所があるということで、代々木にある『手帳類図書室』に行ってきました。Picaresque(ピカレスク)というギャラリーの奥に併設されています。ギャラリーの入口に置いてあるベルを鳴らすと、ギャラリーの方が出てきます。手帳類図書室に来た旨を伝えると「予約していますか?」と聞かれたので、飛び込みであることを伝えると、今の時間は予約がないので大丈夫とのことで、そのまま入れました。一度に最大3名までしか入れないそうなので、本来ならばネットで予約してから行くのがよさそうです。

ギャラリーの中に入りながら、1時間1,000円であることなど、説明を受けます。まずは先にレジで会計を済ませ、それからレジの奥に通されます。壁際に小さなカウンターテーブルが備え付けられていて、すぐ横でギャラリーの方が事務作業をされており、バックヤード感がすごいです。机の上に大きめの単語帳のような目録が置いてあり、手帳類(日記)の持ち主の簡単な個人情報(年代、職業、性別)や、書かれた年代、冊数、見どころや手帳が持ち込まれた経緯などが簡単に書かれています。この目録を見て、気になったものを一度に3種類までギャラリーの方に伝えて持ってきてもらい、読むという仕組みのようです。

この目録自体が面白いというか、熟読しているとどんどん時間がなくなってきてしまい、慌てて冊数の少ない物を適当に3冊選びました。20代デリヘル嬢の、お客さんとプレイの記録の手帳、50代ギャンブルが辞められないと悩む男性の日記、もう一人も確か50代の健康に悩む男性の手帳です。手帳は元の持ち主ごとにジップロックに入れられているのですが、3つの中ではデリヘル嬢のジップロックだけボロボロになっていたのでそれだけ人気なのかなと思いました。

わかっていたこととはいえ、個人の手帳は調理されていない『生もの』感がすごく、手書きの文字から手帳のチョイスに至るまで個人がダイレクトに反映されていて、対峙するのにそれなりの体力が必要になります。それに、目録に書かれていた見どころと自分の視点もちょっと違うな…ということも気にかかり、その日はその3冊で切り上げて、別の日に再トライしてみました。

改めてトライした日には、ドグラマグラを読む小学生女子、一筆箋にメモを取るプログラマの30代男性(ここで手帳類を展示している”手帳類収集家”本人のものだそうです)、言葉のスクラップブックのような詩人女性の手帳、『北の国から』のスタッフの制作メモ、ドイツ語ネイティブ女性のマルチリンガル手帳など、どれも面白かったのですが、特に心惹かれたのは彫刻家の男性の描いた、絵手帳のようなもの。文庫本サイズの薄い無地のノートに、1ページずつ同じような絵が描いてあります。ある1冊は全ページ女性の顔らしきものが、別の1冊は全ページにくま、あるいはねずみのような生き物が、毎ページちょっとずつ違った風に描かれているのです。そうやって1日ごとに理想とする形を探っているかのようです。

その彫刻家の方の作品がギャラリーに展示されているということで、読み終えた後に教えてもらい、作品を見ることができました。石灰でできたくまのような小さな彫刻作品で、手帳に描かれたものに何となく似ていました。時間をかけて何度も何度も削ってできた作品だそうで、手帳のようにページを重ねて理想の形を探っていくプロセスを経て作られたんだろうと想像しました。

しかし、いくら『読まれてもいい』という了承を得て収蔵されているものとはいえ、なんとも後ろめたいものを感じながら読み、更にそのことをnoteにまで書くという行為に、二重の疚しさを感じずにはいられません。しかし、他人の日記はなかなか読めるものではありませんので、やはり、そのことをだれかに伝えたく、書いて公開してしまうのです。

手帳類は、撮影はもちろん、読みながらメモを取ることもダメとのことでした。


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