日向坂についての印象2021.10.31〜

昨日は…『見えない恐怖』、『落穂拾い』、『真田風雲録』、『警視庁物語 逃亡五分前』、『レイプハンター 通り魔』、『殺人ワークショップ』、『現金に手を出すな』、『黄色いリボン』そして、#ひなたの夏休み Type-Dをみた。

渡邉美穂さんが昨日の定点で『牯嶺街少年殺人事件』に言及してたってマジですか‥

あくびLetterの3人が縦に連なる振りが反復されるのをみて、完全に年越した。

かとしのナチュラル気遣いでここ3年くらいずっとちいかわになってる。

この日の愛萌さんのブログが今年の日向坂発のコンテンツで3指に入るレベルでよかったんですが、この内容は森本あんりの『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―』と併読すると、さらに実りが大きくなるような気がする。/"反知性主義は単なる知性への軽蔑と同義ではない。それは、知性が権威と結びつくことに対する反発であり、何事も自分で判断し直すことを求める態度である。そのためには、自分の知性を磨き、論理や構造を導く力を高め、そして何よりも、精神の胆力を鍛えあげなければならない。この世で一般的に「権威」とされるものに、たとえ一人でも相対して立つ、という覚悟が必要だからである。だからこそ反知性主義は、宗教的な確信を背景にして育つのである。"/"で、そのまだPではない私はとりあえずモバMをインストールし、遊んでいたのです。そしたら、麗くんがハンドクリームを塗っているカードがあって。気付いてしまったんです。詳しくは言えないですけれども、気付いてしまったんですね。"2021.12.20  宮田愛萌

“はいかわいい、表情の作り方さらに素敵になったよね〜!もしかしたら一年前から私がひなのに「これからこの顔とこの顔で自撮りするの禁止です」って色々挑戦してもらうよう言い続けたからかもです〜自惚れです〜 ”これネオリベっぽくて若干ざわざわしたけど好きです。/言うまでもないことだけどアイドルの多種多様な表情って資本の利潤の源泉なんだよなー。/小説宝石での愛萌さんとの対談を読んだときに思ったが影山さんには“自惚れです~”みたいな処世術としての謙遜を捨てられる場でガチに思索を先鋭させた文章を書いてほしい。

みくふぉとは啓示。/"世界はその際や深みで青みを帯びる。この青は迷子になった光の色だ。スペクトルの青側の端に位置する光は、大気や水の分子によって散乱するために太陽からわたしたちのところまでまっすぐには届かない。水にはもともと色がなく、浅い水は底の色をそのまま透き通らせる。しかし深みは散乱した光線に満たされ、水が澄んでいれば澄んでいるほど濃い青色となる。空が青いのも同じ理由だ。けれども、地平線の青、空に溶けてゆくような地表の青はもっと深い色をしている。現実でないような、憂いをたたえた、はるかな見通しのいちばん先にみえる青。隔たりの青。わたしたちまで届くことなく、その旅路をまっとうできなかった迷ってしまった光。この世に美を添えるのはその光だ。世界は青の色に包まれている。“/まっとうできなかった迷ってしまった光。この世に美を添えるのはその光だ。世界は青の色に包まれている。“/”わたしたちは願望を解決すべき問題のように扱う。その願望の本性や感覚よりもむしろ欲する対象に目を向け、それが何か、どうやって手に入れるのかということに集中する。しかしわたしたちと望むものとの間を憧憬の青で満たしているのはまさにその隔たりであることも多い。ほんのすこし目先を変えてその感覚そのものを大事にすることができないだろうか、ときどきそう考える。なぜなら、隔たりが自然と青色に染まるように、それは人間のあり方に不可分に備わっているものだから。その距離を埋めることを考えずにただ隔たりを見渡すこと、決して手中にはできない青色の美しさを抱くように、あこがれ自体を我がものにできないものだろうか。なぜなら、辿りついてみると山はもう青くはなく、その青みは遥かな次の頂きを染めているのと同じで、そんな望みは、まさに隔たりの青色のように勝ち獲っても辿りついてもただ次の場所へ移ってゆくだけで、充たされることはないのだ。悲劇が喜劇よりも胸を打ち、わたしたちがある種の歌や物語に込められた悲哀に悦楽を見出すことの謎もおそらくそのどこかに潜んでいる。常に遠くにしかないものがあるのだ。" レベッカ・ソルニット『迷うことについて』

日向坂で『緋牡丹博徒』やる機運が。

メンバーのことをよく知らずひらがな推しを観ていたときのフォーメーション発表で、バラエティという場では多寡あれど実感としてほぼ等しく魅力的に映っていた各人に序列があると明かされたのは衝撃的だったが、コーチェラのラインナップも大体そんな感じで眺めてる。/100 gecsとArlo ParksとSteve Lacyって同列でしかも三列目なの?みたいな。/まあこれは100 gecsのどこに置いてもそぐわなそうな異物感によるものですが。

菊地成孔が劇団雌猫の単行本『浪費図鑑』に寄せたコメント、"いまの日本で一番面白い本だと思いました。信者だのお布施だの気軽に言えなくさせる真の信仰告白は、この国の未来、近代の限界を、明らかに示していると思います。"がいまだ自分のアイドル消費について考える時の入口になっている。/つまりカルチャー男子はなぜ「布教」ができないのか。

今週の「ひなあい」で受けた感動をTwitterで書こうとしたら全然まとまらなかったのでnoteにしました。読んでもらえたら嬉しいです。/河田さんの「久美さんには本当に幸せになってほしくて」という言葉と愛萌さんの布教ブログに強い影響を受けています。

23歳のかとしも好きすぎるが24歳のかとしも好きすぎる。自分も歳をとっていいんだと思える。/かとしのインスタ開設、はじめてストリーミングサービス契約したときと同じくらいウキウキするな。

松田好花さんのブログを読んで、周回遅れの読書感想文を書きました。読んでもらえたら嬉しいです。

丹生ちゃんとお寿司の間でゆばレタの生まれた日の認識が年単位で食い違ってるのマジで感動してしまう。/「4年!」「2年!」「3年だよ〜」すごすぎる。

愛萌さん「青土社さんっていろんな面白い本だしてますよね」影さん「個性的」愛萌さん「結構ね癖がある感じの」影さん「最高ですよ」/これでもう私も読み方間違えないぜ。

潮さんのフェイバリット給食、衝撃と納得が同時にある。

渡邉さんの小坂さんの復帰に際して書かれたブログ/どう生きたらこんな聡明で透き通ったてらいのない文章が書けるんだ。/個人間の通信でなく照れ臭さから選択されるパブリックなメディアでの私信=本音装置としての手紙、日向坂をみるようになってから幾度か読む機会に恵まれたけど、状況のねじれにいつも新鮮に驚くし、その迂回が喚起する感慨もある。マクルーハン読まねば。

すーじーの船頭ブログ、あまりに眩しい。/マスキュラリティとホスピタリティを安易に対照させる愚を犯してしまいそうになる。/すーじーは常に先陣を切って言語化以前の感傷を繊細に包括している。本当にすごい。

ひなのの番組初登場イメージが児童!でグロテスクなアイドル産業にドン引きしていたかつての自分も、いまでは同期とSHOWROOMで気安く等身大の発信をする彼女をみて声にならない呻きをもらしているので、またあの倫理観が(転換ではなく!)摩耗していく過程を反復するのだなという諦観とひらき直り。/動揺している。

せっかく日本でアイドルについての文章を書くのなら天皇制についての本を沢山読むべきだし、仮に特定個人のアイドルの「内面」に接近したいならその人がどんな映画や音楽を好んでいるかという情報よりコスメ紹介ブログを精読したほうがいい。わかっていても私は致命的に怠惰なので永遠やらずに死ぬ。/玉城ティナがドゥルーズ読んでてぶち上がる気持ちもわからないではないし、アイドルがどんなカルチャーに興味を持っているかの情報が魅力的なのもわかるが(長濱ねる的需要)、彼人の思想は、まず第一に日々の実践でありその人の表現そのものであるファッションやメイクに読まれるべきではないかと思う。/「内面」は「普段どんなこと考えてるか」くらいのニュアンス。とかいってても私は渡邉美穂さんが牯嶺街に言及したときとかフツーにぶち上がってせっせとツイートをしています。

「ひな誕祭」両日リピート配信で。やはりファスト映像は脳に効く。のでそこに回収されない話しかしたくならないモチベを再確認。ライブはとある演出でアルドリッチ『カリフォルニア・ドールズ』想起。つまり最高。この上ない。目撃し続けられるかぎりし続けたい。またはじまっていく柔軟さと心強さと。/とはいってもMCの言及やアンコール時の推しメンタオルより何より、不在ゆえにいることは馬の金村さんのパフォーマンスで明らかになっていて、思い返せば振り入れ時の表現の強度を前にしたメンバーの揺らぎがいまここにおいてコンテクストを踏まえ共振しているようにさえみえて感動してしまうのだった。/一期生曲時の潮さんの涙にもあっけなく動員されちゃう。/構成的に三期の三人は割りを食う感じかな、致し方なしと途中まで思っていたがバースデーケーキの流れとか爆速チャリでちゃんと?バランスとってて感謝‥。二日目は期生曲も聴けたし。最近森本さんをかなり目で追ってしまう。/ここ一年くらいのライブの上村さん無敵すぎる。ずっと前から無敵だったと怒られそうだが。/枝葉ですが先のキツネの鳥居や今回のってかに通ず和モチーフの縦軸は一体?まあ自分は坂道が好きなくらいなのでナショナリストになる準備万端なんですが‥。/なんか一日目高瀬さんカメラで抜かれる機会多くなかったですか?気のせい?めちゃめちゃよかった。/小坂さんの肩をつつき続けるかとし。このディティール!反復!/富田さんのファンサ、こんなん現地で喰らったら死ぬのでは。/河田さんの進行妨害マジでヤバい笑顔になる。/渡邉さんの抱きしめてやるパフォーマンス、二日間の個人ベストかもしれない。/窓を開けなくても、華やかなストリングスがDear WOMAN思わせて好き。/MC中にパワフルにガヤを飛ばすメンバーがいつも通りで一生好き。「ほざいてたね」よすぎ。/高本さんの「それだけ」一生好き。/影山さんの髪型が一生かわいい。

『BLの教科書』に収録されている西原麻里「男性アイドルとBL――BLのまなざしで男性集団の〈絆〉の描かれ方を読み解く」を読むと、男性アイドルのBL的消費と女性アイドルの百合的消費をひとくくりにすることはできないと感じる。/(いま手元に本がないので引用が正確か心許ないが)この文章は"アイドルたちの絆の様子をBL的に読み換えること、冗談を楽しむことが、強靭に思われる男性主体のホモソーシャルにいくらかのほころびを生じさせ、規範を揺るがす動きへとつながるのではないだろうか。"とそのポジティブな側面に言及する。/しかし、女性アイドルの"わちゃわちゃ"感に魅せられているひとりの消費者の実感として、女性アイドルの百合的な消費に何らかの規範を揺るがす契機を見出すことは難しく思うし、例をとれば、ゆばレタ、きくとしなどの関係性に百合とラベリングする行為にも強烈な拒否感を抱く自分がいる。/男性アイドルたちの親密さを表現する雑誌グラビアなどで"わちゃわちゃ感"はキーワードやキャッチとして用いられていて、「日向撮」にも"#わちゃわちゃ感"という文言が印字されている。つまりアイドルたちの親密さを消費する手つきにはある程度重なりあう部分がある。/だからこそより慎重に男性アイドルと女性アイドル、それぞれの親密さとそれを消費するファンダムの異同には敏感であったほうがいい。重なる部分があるとそれは簡単に一つのものだとくくられてしまう。これはBLと百合をあたかも対になった表現だととらえる認識への違和感にも通じる話だった。

お知らせを受けかつてなく動揺したので寝たが、起きてまた動揺しているので寝る。/想像はしていたが、出来事とは決定的で、覚悟なんてできない。/これを繰り返して10数年ひとつのグループを観続けられる人間屈強すぎる。/消費2が完全にはじまってしまった。/寝れないので久々に当日ひなあい観る。/一夜明けて何もわからなくなった。/もとから何一つわかっていませんが。/2022.4.3〜4

こんなすごい文章を読んでしまうと、

「飛行機雲ができる理由」きっかけで数年ぶりに「ライトブルー」のMVを観たが、監督にはこれの次の次くらいのものを期待してしまうなー。

みんな『サマーフィルムにのって』の"脚本では意図しなかった「愛のかたち」"についてどう考えているのか。私は解釈の幅を広げる程度のためにさして真剣な検討が行われた様子もなく(つまり何も引き受けることなく)多様な読みにひらかれたようにみせるのは欺瞞だと思ったが。/『サマーフィルムにのって』は好きな映画です。

こんなこといってたけど、「飛行機雲ができる理由」小津になるリスクを背負いながら冒頭、この二人で真っ正面から切り返してくれた時点でもう感無量です。/女子寮電話溜まりのシーンのカメラの横移動もヤバくて、あそこは列の前と後ろで各人の時間に対する切迫にグラデーションがある様子が示され、感情が複層化されている。ちょうど中間あたりに位置する久美さんのつけてない腕時計をみる芝居がマジで効きまくってる。/本当にポカリCMでなくてよかった。

全米批評家協会賞の受賞作、岸田國士戯曲賞の受賞作、メディア芸術祭マンガ部門の審査委員会推薦作より、FIRST TAKEの富田鈴花さんをみているほうがよっぽど強烈に生を実感することができる。

このラジ聴いて泣いてる。

「B.L.T.7月号」のごりごりドーナッツ座談会は「セルフDocumentary of 日向坂46」の当事者間でさえ共有される強度の現れにたじろいでしまいました。

療養明け直後でお喋りハイになってる東村さんがみれる「しし庵」最高。

「MTV LIVE SESSIONS: Kyoko Saito from Hinatazaka46」とてもよかったなー。「死んじゃうくらい、抱きしめて。」の不足が、YOASOBI「アンコール」の選曲と歌唱で補われていた。/「生キョコロヒー」の会場アンケートでヒコロヒーにマウントをとられたあと盤石の設問で速攻勝ちに行く齊藤さんや、「ひなたのバス旅」で雰囲気につられテキトーに仕切り出す齊藤さん。最近グッとくる瞬間の供給が多い。嬉しい!

アイドルや映画に軽率に物語を見出そうとする行為への牽制です。ポン・ジュノ『パラサイト』の結末にふれています。

『僕たちの嘘と真実』はまだ多少言葉を費やして批判する必要を感じる。それに比すると『3年目のデビュー』も(メンバーは常に最高なので)面白くは観れるのだが、内容がかなり無。何も覚えていない。/上の文章を書いてみて実感したのは『3年目のデビュー 』そのものより「日向坂46『3年目のデビュー』大ヒット記念LINE LIVE」 で3人が口にした言葉のほうがよっぽど重要であるということ。映画なんて観るな、配信を観ろ、と言いたい。/なので『希望と絶望』にはほぼほぼ期待と関心がなく、『セルフ Documentary of 日向坂46』はめちゃめちゃ心待ちにしている。新3期生回も影山さん単独回もとても楽しみ。ロケ嬉しすぎ。多分こういう人結構いるのでは?

今年になってから初めて観た坂道関連の映像作品で傑作だと思ったのは、「飛行機雲ができる理由」のMVと久保史緒里個人PV「春、ふたり」、映画『映像研には手を出すな!』です。

「飛行機雲ができる理由」のテレ東音楽祭パフォーマンスが無事今年最も連続で繰り返し観た映像に。/「キョコロヒー」がはじまっておわってた。

卒業セレモニーってイベントについてマジで何も知らないし、どうなってしまうんだ。

「渡邉美穂 卒業セレモニー」素晴らしかったです。/22人の日向坂は「建前」が何よりも美しかった。

「キョコロヒー 1時間SP」も「セルフ Documentary of 日向坂46」も最高ねー。

坂道系ドキュメンタリー映画の作品性の有無が取り沙汰されていると、その発信における「作品」概念の内実のほうがむしろ気になってしまう。

竹中優介『希望と絶望』かとしの「〜ました」のイントネーションにずっと狂わされていると改めて実感。そして私のような凡庸な想像力の持ち主が問題に感じることは、先行してメンバーが的確に言語化している。/以前わざわざ映画に物語を見出そうとする行為への牽制の文章を書いたが、劇中で丁寧に二度も釘が刺されていたので、あんまり必要なかった。/ドキュメンタリー映画としては『僕たちの嘘と真実』と比して「大人」がより露出しその姿が解釈にひらかれていたが、かわりに時勢の影響もあって観客批判は完全に欠落。作り手と受け手双方への高度な批判が両立しないと、アイドルを対象に映画を制作する旨味は少ない。/ファンムービーとしてはとにかくでっかい画面でメンバーの姿が観れて、大満足。みんな美しすぎる。/『希望と絶望』というタイトルの二項対立の安直さに誘われて、この映画がハッピーエンドであると感じたか、そうは感じなかったか態度表明する言説が散見されるが、ドキュメンタリーにハッピーエンドもバッドエンドもない。あるのは(恣意的に切り取られた)過程だけ。/たかだかSHOWROOM二本分、ひなあい四本分の二時間程度の映像が、映画としての公開が決定し、映画館で上映されると、それを元手に日向坂というグループについて語るのは十全であると受け手に想定される格を得る。そうして人は長文を書く。みんな「映画」なる文化の権威性を強く信じている。/私個人は「映画」の権威性を温存することにあまり興味がない。映画一本だけ観て日向坂の活動全体について語る人がいるように、メンバーのSHOWROOM配信一回だけをみて日向坂全体の活動について語るような蛮行を用意する言説環境の一助となりたい。/映画もバラエティ番組もメンバー個人の配信もyoutubeの違法切り抜き動画もTLに流れるキャプ画も、全てスクリーンの前における経験としてフラットに相対化する視点をどのように立ち上げていくかに、強く関心があります。/自分が何に饒舌にさせられているかには自覚的であったほうがいい。

いずれはアイドルの図像一枚からリチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』のような実践を企てるヤバいオタクが出てきたらうれしい。

かとしがBLTのインタビューで加藤さんもZ世代じゃないんですか?ときかれて、いや私はゆとり世代ですと返していたやりとり、めちゃめちゃ共感性高かった。

潮さんのセンター多幸感あるなー。

あるとないのでは大違いな文章だ。すごいバランス感覚。『希望と絶望』について語りたい人はまずこれを読んだうえで考えれば間違いがなさそう。/私も迂闊にアイドル全体の話をしないように気をつけよう‥。

『セルフ Documentary of 日向坂46』第8回、噂以上の凄まじさだった。私見では日向坂で最も強力な物語が記述されている。サンストリート亀戸→ KAMEIDO CLOCKの「記憶は場所でなく人に宿る」アンチ柴崎友香なリアリズムもアツいが、何よりロードムービー的過程は「最終地」とのコンフリクトへ向かう。/"八方美人"で"この人はこういうことを求めてるんだろうなとかがちっちゃい頃から分かってて"、"こう答えようと思ってから喋るんですよね"と自己分析する人にドキュメンタリーのカメラが向けられるとどうなるかのドキュメント。画面内フレームに収まる自転車。/放送後のブログも含め発する言葉全てクリティカルで、強く揺さぶられた。知識欲に浮かれはしゃぐ影山さんはこの上なく魅力的なので、アドミュージアム東京の短いシーンだけでも十二分に気持ちは満たされますが。そしてやっぱりエッセイが読みたいなー。

ひなあいのスタジオにウエルベックが持ち込まれたの、今思い返しても無意味でいい話。

約束された神動画だ。/丹生ちゃんのopenのアクション狂ってしまいそう!

「W-KEYAKI FES. 2022」とてもよかったなー。期生曲ゾーンで真ん中あたりのポジションだったメンバーの映りが超よくて大満足。そして放水の場面ではブチ上がっているメンバーに移入して興奮する感覚があった。瑞々しいサディズムの発露。/途中マジで一回も聴いたことがない曲がはじまって拍子抜けしましたが。/最近ライブの上村さん見るたび狂いそうになる。あと、小坂さんの復帰以降も「キツネ」は河田さんの代表曲みたく扱われているし、二期生曲も五人だけの披露。とにかく負担は軽減し、休めるところは休み尽くして、コントロール可能な範囲でこれからもパフォーマンスを継続していってほしい。/髙橋さんのMCのケアが手厚くて笑った。/高瀬さんのジャンプ煽りもなんかいい。/高本さんが笑っているとなんかもろもろ大丈夫という気持ちに特になる。これがエンパワー‥。

かとしの動画編集のkemioみ。

宮田さんが面白いと言及した章からまず読んでみたけど、あんまりよくなかったな。

グランドフィナーレだ。永遠にマウントをとります。

更新しました。抜けている作品があれば、リプライなどで指摘してもらえると嬉しいです。/渡邉さんの卒業に際して、その足跡を辿る導線の一助になっていれば幸い。ちゃんと探せば同じことをやっている人はいそうだけれど、見つけられなかった。

百回言われてるようなことを書くけど「おひさま」は「お日様」であってファン優位っぽいネーミングが居心地悪さを生んでいるよなー。太陽は見上げるものだし。/話題の宮田さんの書評もそうだが、アイドルもファンも双方向的で水平的な視線のやりとりによって立ちあがるライブの強度を、アイドル固有の強度として信じている。日向坂の東京ドーム公演がファン全員と目を合わせられるように構想されるのもそうだし、ライブ前のブログで推しメンタオルやサイリウムを視認したい!と強調するのもそれ故。そしてその理想に垂直的なファン優位の関係性はノイズになる。アイドルカルチャーにおいて、垂直的な関係性はアイドル優位でしかあり得ないのでは?日向坂がバルーンに乗るのは上部座席のファンと水平的な視線のやりとりをするためだが、なにわ男子がワイヤーで吊られるのは、"王子様"としてファンから垂直的に見上げられるため。そしてQUEENDOM。めちゃめちゃ雑なくくりなので話半分でお願いします。/配信のみだと視線の所在が明らかでないからキツいというメンバーの証言は、乃木坂でも日向坂でもある。観測されてはじめてアイドルになると仮定するならば、配信ライブにおいてカメラから疎外される時間、メンバーはアイドルでない。

"「アイドル論」というと、ともするとアイドル文化を無邪気に称揚してまるごと肯定するような「オタク語り」の文章か、もしくは外部の視点からアイドル産業全体を粗雑に否定するような文章のどちらかに陥りかねない。本書の企画意図は、そのどちらにも安易には与せず、アイドルの文化実践として興味深い点は積極的に評価しながら、産業内の問題点にも目を向けて、揺れ動き、葛藤しながらアイドルについて複層的に考えていく文章を集めようというものである。" 中村香住「きっかけとしてのフェミニズム」/"とはいえ、アイドルの主体的な表現のうちに、社会に向けた明快なメッセージを見いだすことがあったとして、必ずしもそれが唯一絶対のあるべき姿でも「正しい」姿でもない。(…) アイドルに対して、特定のアティチュードを特定の仕方で示すべきであるといった意向を押し付けるとすれば、それもまた受け手が抱く「正しい」理想像の投影である。" 香月孝史「絶えざるまなざしのなかで――アイドルをめぐるメディア環境と日常的営為の意味」/『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』のInstagramでの書評や『ノンバイナリーがわかる本 heでもsheでもないtheyたちのこと』を紹介するブログばかりが宮田さんが書いた文章の中でも目立って取り沙汰されている現状は、まさに香月氏が書くところの"「正しい」理想像の投影"で違和感が大きい。

宮田さんは上記のようなコンシャスな文章も書くが、"アイドル文化を無邪気に称揚してまるごと肯定するような「オタク語り」の文章"もまた書く(書かせる!友達の一般人に坂道の公式ブログで長文を書かせたメンバーって前例あるのだろうか?)多面的な書き手。/宮田さんが書くコンシャスな文章、典型的な"「オタク語り」"の文章、そのどちらも面白いが、自分は後者により強く魅かれる。後者は「布教」に必要不可欠な「熱狂」の渦中でしか残せない文章だから。前ツイートにリンクを貼ったブログはマジで最高!葛藤で連帯するより、欲望で繋がったほうがいい。/"典型的な"と前ツイで書いている通り、私が宮田さんのオタク語りの文章が面白いと思うのは、希少性ゆえではなく、その類型的な(劇団雌猫『浪費図鑑』的な)内容と文体ゆえですねー。坂道に関して、珍しいことをやってるから注目するというのは、動機として素朴であんまり面白いと思えない。/リンクを貼ったブログで一番好きなところは"そしたら、麗くんがハンドクリームを塗っているカードがあって。気付いてしまったんです。詳しくは言えないですけれども、気付いてしまったんですね。"という部分。/これは"信仰"に目覚める啓示的な瞬間を"詳しくは言えないですけれども"と言外の体験として記述しているのがめちゃめちゃいい。

ベイカー街のVR自殺はほんと名シーン/影山さんの授業でまた思い出したけど、映画『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』は傑作なのでオススメ。初っ端から子供が投身自殺して勢いがある。脚本の野沢尚(吉川英治文学新人賞など受賞)も自殺してますが。

筆者の方のつぶさな観察に尊敬の念を抱く文章だった。期待薄の鉱脈を無理やりに掘り起こす行為自体に、抵抗を学ぶ思い。この記事ではクィア・リーディングだけど、一つの視点に立ってグループの表象全体を見つめ直す文章を日向坂で読めるのが、そもそもめちゃくちゃ嬉しい。/あんまり詳しくない私でも日向坂と比してすぐに思い浮かぶ表象があるくらいだから、同一テーマのまとめの文章が乃木坂でも存在しそうだけど、書かれているのだろうか。

四期生が正式加入する前に、いい加減ナボコフの『ロリータ』読まねば。/タイムリミットが生じたので読みはじめた。/"真面目なのかふざけているのか、何が嘘で何が本当なのか、見せ掛けはどれで実体はどこにあるのか見極めようという努力は、全くの無駄に終ります。実体であった筈のものが次の瞬間にはただの冗談になり、語り手自身にしてからが嘘だと思っていることが次の瞬間には本当になり、往時の思考の上に現在の思考が重ね合わされ、状況の解釈を書き換えてしまう。それが、『ロリータ』の複雑に罅割れ、絡み合う声部を為しているからです。" 佐藤亜紀『小説のストラテジー』/"私はこの惨めな記憶の頁を何度も何度もめくり、己にこう問うてみる、我が人生に齟齬が生じだしたのは、あの輝かしい遠い夏のことだったのか、それともあの女の子に過剰な欲望を抱いたのは、生来の異常が現れた初めての徴候にすぎなかったのか、と。己の願望や、動機や、行動などを分析しようとしてみると、私はいわば遡及的想像力に身を委ねてしまい、それが分析能力に無限の選択肢を供給して、思い浮かべた道筋の一本一本が際限なく分岐につぐ分岐を遂げ、私の過去は気が狂いそうなほど複雑な様相を呈してしまうのだ。"/ハンバート・ハンバートによる「ニンフェット」の定義は"九歳から十四歳までの範囲"の"乙女"。/"私が狂おしく我がものにしたのは彼女ではなく、私自身が創造したもので、もう一つの、幻想のロリータだった──おそらくそれは、ロリータよりももっとリアルなロリータだ。彼女と重なり合い、彼女を包み込む存在。私と彼女のあいだにただよい、意志も持たず、意識もない── それどころか、自分の生命も持たないのである。"/"たしかに私はロリータに永遠の恋をした。しかし、彼女が永遠にロリータでいるわけはないこともわかっていた。彼女は一月一日に十三歳になる。一年もたてば、ニンフェットではなくなり、「若い娘」になって、それから「女子大生」になるのだ──想像するだけで恐ろしい。/ナボコフ『ロリータ』ダラダラしてたら全然12日で読み終わらなかった。
坂道グループで加入時年齢が14歳以下だったメンバー。

遂に四期生でも14歳以下のメンバーが加入か。

動画終了間際になって撮影と関係なさそうな通行人の配慮が映り込むのかなりいい。タイミングの妙がある。

「BRODY」の東村さん久美さんインタビュー、とてもよかったなー。「物語」と対置する意図でキャプテンが選んだ言葉が"人間味"なの、アツい。/『希望と絶望』以降のオタクの懸念を全て潰してやろうという気概が質問の文面からあふれ出てるインタビューだった笑/西畑くんがなにわ男子のドキュメンタリーの中で、自分のことが好きで出演作を追いかけてくれるファンが多少なりとも存在することについて語った後、"だから"と結んで、"僕の中では西畑大吾っていう一つの商品を取り扱っているような感覚はあります"と言っていたのは印象深かった。/物語やパーソナリティを媒介にしたアイドルとオタクの相互的なやりとりは、アイドルに自らを"商品"と自認させる一因くらいにはなることの、一例。特段アイドルに限った話ではないけれど。/この後に"商品っていう言い方はちょっと悪いかもしれないですけど"とも、西畑くんは言うけれど。『なにわ男子 デビューまで 1100 日のキセキ natural』エピソード2より。

心の底からフツフツと湧き上がる喜びがある。/個人の公式サイトやインスタの開設だけでこんなに嬉しい気持ちになれるとは。

昨日のミニライブのコメンタリー、「飛行機雲ができる理由」の間ずっと全然関係ないご飯の話してて笑った。

影山さんのインスタ、2022年の暫定ベストコンテンツ。

以降も文筆仕事に期待したいが、そんな仕事の有無などより、まず宮田さんの存在自体が私の拠り所で、大変ツラい、体調面でも精神面でもずっと健やかに過ごせるように、一日経ただけで、もう何も分からなくなってしまった。聡明な選択の先には幸福しかないと信じます。消化し得ない思いがある。

しかし本当に名文だ。

今年の一月頃はまだ三月の東京ドーム公演が中止になる未来もあり得たし、四期生オーディションの情報も解禁前だった。/そして何より、22人の日向坂から卒業するメンバーが出るという具体的なイメージを(覚えている限りだとこの時点ですでにほのめかしがあったように記憶しているが、いずれにせよ)抱いていなかった。一年も経っていないのに、隔世の感があるな。

影山さんのこの切なくてステキなブログに触発され手にとった川添愛『言語学バーリ・トゥード』、べらぼうに面白いなー。/ユーモラスでリーダビリティ抜群な筆致がすごい。影山さんのブログは"「意味と意図のずれ」"が感傷的に作用している。同じ著者の『自動人形の城』も読まねば。

「キョコロヒー」予告の期待に違わず良回だー。イラっとしたり、人を嘲笑したりする齊藤さんをみていると本当に癒されます。

道枝くんは(なにわ男子の活動を)"30年いけたらいいな 20年25年は絶対いきたい"とデビュー前に発言していて、このタイムスケール認識の彼我の差が、男性アイドルと女性アイドルを同じアイドルのくくりで語ることの違和感を生じさせる。感覚的には、両者は全く異なる業種と言った方がしっくりくる。/これはベタでありきたりな、男性アイドルの卒業は「定年」で、女性アイドルの卒業は「転職」で、みたいな話。(かつ20〜30年も活動できるのはジャニーズの画期で男性アイドル全体に敷衍して語るのはダメそう)しかしこの程度のことも、道枝くんの発言を知る前までは全く腹落ちしていなかった。/この違和感が生じると、主語アイドルのあらゆる言説に接したとき、まずなにより(大雑把に分けても)「どっちの?」という疑問が先立つ状態になり、弱めの雑語りセンサーくらいにはなるかも。この人、男性/女性アイドル片方を集中的に観ているだけなのに、なぜか全体の話をしているなーという不信感。/自戒として、私のあらゆるアイドルについての発信は、私が大好きで多少なりとも観ている日向坂(と、ちょっぴり乃木坂、さらにちょっぴりなにわ男子)に対象をほぼ限定した視野狭窄なものだと、とりあえず言う。坂道系ドルオタは、主語アイドルより、主語秋元系アイドルを使った方がいいくらいな感じ。/私は、受け手の性差ごと、男性/女性アイドルの業種ごと、それぞれに向かう欲望は全く異なるものと思っているので、欲望の問題が主語アイドルの雑語りで混同されるのが一番キツいかも。

"2021年がジャニーズ事務所にとって最もCDを売った年"らしい。そんなことあるんだ。『浪費図鑑』の文脈で、性差ごとの欲望の程度の差異が端的に数字に現れる一例。/この欲望の程度の差異を、レトリックの差異を契機として理解したいがために、宮田さんの典型的な「オタク語り」の文章が一番重要と思うわけです。この連ツイが道枝くんの発言から始まるように好きな人の言葉を入口にしないと、そもそも私は考える力に欠けているので結果腹落ちしないことになる。/「布教」に欠かせない「熱狂」(宮田さんのオタク語りにはめちゃある)の程度の問題はつまり、欲望の程度の問題。だからなぜ、私には宮田さんのような文章が書けないのだろうと考えることからはじめるべきで(そのレトリックを考えることが)常に課題。/道枝くんの発言は、『なにわ男子 デビューまで 1100 日のキセキ natural』エピソード4より。

影山優佳さん可愛すぎる!!!!!!!!!!/金村美玖さん可愛すぎる!!!!!!!!!!/富田鈴花さん可愛すぎる!!!!!!!!!!/上村ひなのさん可愛すぎる!!!!!!!!!!

『セルフ Documentary of 日向坂46』の影山さん回の雑感を書きました。

影山さんがインタビューのなかで最近読んで印象に残った本として『2020年代の最重要マーケティングトピックを1冊にまとめてみた』を紹介してる。8thのプロモーションも総括してほしい。/影山さんが哲学に目覚めたエピソード、激アツ。"よく覚えているのが、日本国憲法の前文を学んだ中学受験の公民の授業です。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……」という最初の一文を読み、私は単純記憶が苦手なので一語ずつ解釈して覚えていました。そのとき、「ここに書いてある『正当』って、どういうことだろう?」と疑問に感じたんです。"

読後にみると、インスタのこの投稿が味わい深い。(そしてかわいい。)

今週の「日向坂で会いましょう」に備えて、4期生に関してのツイートをまとめました。

冨樫先生、日向坂になってからも追ってるのだろうか。/2018年2月2日発売の35巻のおまけページに載ってたコマなので、「ひらがな推し」(2018年4月9日〜)新規の私は、当時全く意味がわからなかった記憶がある。

"日向坂は私に人生をくれました。"乃木坂5期生もそうだけど、みんな坂道グループで自己啓発してる。そして爆速すぎる。

昨日はこの動画のことしか考えられなかった。

『希望と絶望』で久美さんは舞台裏の苦労が「物語」として消化されることへの懸念を表明したわけだが、平岡さんの日向坂合格までの葛藤を演出により際立たせた個人ドキュメンタリーの「物語」と上記のそれにどれほどの異同があるものなのか、測りかねている。/倫理的尺度と審美的尺度は混同されるべきでないが、しかしこの峻別もまた困難であり、こと4期生のドキュメンタリーが演出によって「物語」として秀でたものであるほど、久美さんの言葉も思い出し、こんなものに動員されてたまるかという気持ちになった。

しかしことアイドル消費において、「物語」的快楽の全てを拒否することは全く不可能であり、私はMV撮影メイキングの平岡さんのワンシーンにグッときてもしまうのです。"なんで叶わない夢を見ちゃったのかなって悩んだことも沢山ありました。"

アイドルの「恋愛禁止」という規範は論理によって支えられているわけでなく、アイドル自身やファンダムが醸成する「空気」による自粛で成り立つため、「アイドルに恋愛を禁止するのは倫理的に問題がある」というロジックとして破綻なき正論は、そもそも全く意味をなさない。/なのでアイドル自身の実践による「恋愛禁止」の風潮の相対化に期待を寄せるしかないのが現状だが『「アイドル」の読み方』(2014)において、その期待を書き手により見出されているグループ、恵比寿★マスカッツ、青SHUN学園(もう一つ名前が挙がってたが失念。たしかもう解散してた)は2022年の現在「恋愛禁止」の「空気」を是正するゲームチェンジャーになり得ていない。そして2014年の時点では現役のアイドルの活動に期待されていた相対化の機運が、2022年の『アイドル・スタディーズ』の同著者の文章においては峯岸みなみ、和田彩花といった卒業後のアイドルの発言に委ねられている。現役でない元アイドルといった理由でその発言の価値が不当に貶められるべきではないが、しかし、実際に運動として「空気」を変革し得る可能性をより秘めているのは、やはり渦中の表現者と思わざるを得ない。浅学ゆえ他のアイドルの事情に全く詳しくないのだが、現役でアイドルの「恋愛禁止」を相対化する可能性に開かれた活動をしているグループ、および個人で、メジャーの領域で活躍するような存在が、果たしてこの土壌から現れるのか、同一著者による2014年と2022年の文章の筆致の変化に、その疑念がいや増してしまった。/もちろんNegiccoなどの例外的な希望の存在があるにせよ。/とかなんとか書いてたら、高城れにさん結婚!アツすぎる。/女性アイドルの先駆者的存在として比類なき足跡を残しているのはももクロっぽいな。/仮に「恋愛禁止」が解禁されたとして、その際果たしてアイドル産業は持続可能なのかという(一見中立的な?)懸念の表明に対しては、その実現可能性を検証するためひたすら試行回数を増やすべきだとしか回答できない。/実際、『「アイドル」の読み方』で取り上げられた各グループはその挑戦(恋愛解禁下における持続的アイドル活動)に失敗し、ももクロは成功の端緒を掴みはじめているように思う。

定点カメラで全てがはじまってるっぽい。

想像よりかなり長尺のインタビューで満足感がすごい。

よすぎ投稿だ。

北田暁大が"貰い泣き"のことを"泣く者の存在に対する身体的な次元での無前提の肯定"であり、"他者の語る内容に対する理性的同意ではなく、語る他者の存在そのものに対する無条件の肯定"と書いてたことを思い出す「ひなあい」4期生初登場回だった。

対面ドッキリで脱臼されず"ドキュメンタル"な事件として"大きな出来事"になった。

いまさら思い出したけど、文化祭テーマのワンカットMVってまんま「ライトブルー」MVだな。/桜井玲香個人PVのために書き下ろされた楽曲で、監督は松本壮史。

4期生リレーブログ1周目、規範的な態度から逸脱することなく環境への感謝と決意表明を綴る優等生的均質性と、それでも渡辺さんが"ブログだけでもみんな個性が出ていて"と書くように滲む差異がよく現れていて、この12人に"似て非なる愛こそ全て"な「ブルラズ」のコンセプトを背負わせた製作陣、達見だ。/ブログの印象だけに基づいた雑感だけど、池田さんや中西さんのような型破りの発信をする人を含まない集団ゆえに、類似と差異のテーマがよく映えるという判断が(オーディションの事前/事後にせよ)あったのでは。/集団アイドルは、容易に有徴化しない差異を売っている。

「#HappySmileTour2022」大感謝。飛行機名曲→ライブの4期生物怖じしなさすぎ!最高!→断片から全体を想像する配信でみると、少人数のユニット曲とか期別曲の方が常に見応えがあって、その他大勢タイプの富田さんや10秒天使の松田さんで泣きそうになった→多分いま1番QOLが高まるのは3期生のオタクをすることだとようやく確信したゴーフル。この4人のバランスは本当に完璧→日向坂のキュン、いまさらすぎるがなんか素朴にいい曲ねー→懺悔のパフォーマンス無性に好き。ベストかも。潮さんが毎回神がかりすぎだし、センターが潮さんであるゆえの1期生の特殊なバイブスがある→恋魚もうこの演出がベストアンサーでは。お立ち台の2人(丹生ちゃんと小坂さんのペアが澄まし顔で決める演出、脳直で気持ちいい)以外がバックダンサーにならないように腐心されたステージの上下動、なんかおもろいけど→ATとってかの金村さんでピーク。今回は中盤くらいからずっとぶち上がってた→ ファスト感傷のVTRを挟んだ月星、貫禄がある→ 知らないうちに愛されていたは終わるのが寂しくてあんまり覚えてない→ アザトカワイイもファンサ曲としての貫禄がある→久美さんとかとしとみーぱんのMC、毎度聞くたび精神が安定します→ JOYFUL LOVE日向坂はあんまエモくならないのでライブの締めにちょうどいい塩梅。/横並び一列の画、何より雄弁だ。/アイドルの整列史。

恭平くん表紙の「POTATO」を立ち読みしてたら、ジャニーズアイドル関連の記事で埋め尽くされた雑誌の中で、福本莉子と日向坂メンバーのインタビューだけが見開き1ページに収まるかたちで掲載されており、その配分に「場違い」な印象を抱いてしまったのだけれどアイドル受容における異性愛規範の温存をよしとしない立場をとるなら、この認識は改められるべきで、むしろ「男性向け」アイドル誌における男性俳優や男性アイドルに関する記事の徹底した欠如を不自然に感じる環境を育む言説の構築に励むべきなのだろう。ムズイけど。/田島悠来「「アイドル」を解釈するフレームの「ゆらぎ」をめぐって」によると、70年代の先駆的なアイドル誌「明星」は"「女性アイドル/男性アイドル」がともに登場して男女双方の読者に親しまれる雑誌"であったが、「女子向け」「男子向け」と読者層を絞った後発誌が続々と発刊されはじめた80年代以降に、"それぞれ異性との関係性に焦点が絞られるメディア空間へとアイドル誌が変質"したとまとめられている。/男性による「アイドル」語りが時として退屈なのは、その対象が多くの場合女性アイドルに限られるからで、それは結局のところ現状のアイドル誌における商業主義的な「住み分け」の温存に寄与してしまっている。かといって男性が「アイドル」について語るための正当性を得るためだけに無理に自らの趣味領域を拡張するのは本末転倒なので、女性アイドル/男性アイドルをそれぞれにみる経験によってもたらさせる快楽の相互流入を誘うような言説が、もっと存在感を増してくれるとよさげなのだが。

これは本当に重大なことです。