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ヨビノリたくみ(@Yobinori)と大和民族の学者について思うこと〜応用物理、教育系YouTuberのまなざし〜

ヨビノリたくみによる上記の記事が炎上気味になったらしい。以下では、俺はヨビノリたくみに対する大和民族の学者の反応に対する違和感を提示する。

#ヨビノリたくみ
#応用物理
#教育系YouTuberのまなざし

【ヨビノリたくみ】

(儒教系統の認識)
ヨビノリたくみは大和民族の学者の部下でない。

ヨビノリたくみと大和民族の学者の間には、命令系統の上下が存在しない。ヨビノリたくみは命令系統における学者の下位には存在しない。大和民族の学者はヨビノリたくみを学者のために無償で働く部下や家来か何かであるとみなしているように見えてしまう。

実際、ヨビノリたくみは大和民族の学者を「先生」と呼んでいる一方、大和民族の学者の一部はヨビノリたくみを失礼に批判したり、呼び捨てで呼んだり、彼に偉そうに振る舞ったりしている。ヨビノリたくみも学者も同じ「一般の民」であるのにも関わらず、言語的に表現されない上下関係が存在しているように見える。

ヨビノリたくみが学者に意見をしたり、逆らえない状態は一般社会から見ると、極めて不健全であるように感じる。学者がヨビノリたくみを批判するのは許されるが、ヨビノリたくみが学者を批判するのは許されないという"雰囲気"がある。学者を批判すると、真理や学問を悪用した「執拗な嫌がらせ」が発生するのも見ていて不愉快である。

【言語的な表現の欠如】

(儒教系統の認識)
大和民族は物事を言語的に表現することができない。

まともな学者は上記を見た後、彼らはヨビノリたくみを部下のように扱うことを止めようとする。しかし、彼らは何も表現しないので、「俺は一般の民を部下扱いすることを悪いと判断する。」という言質がいつまでも取れない。一般の民はよびのりである。

上記は性的な嫌がらせにも言える。大和民族の学者は性的な嫌がらせに関する問題が生じると、彼らは性的な嫌がらせをしないように注意する。けれども、彼らは何も表現しない。彼らは「俺は儒教系統の性規範を持っている。そこでは、俺は性的な嫌がらせを悪いと判断する。」などと言って、自己の宗教系統の性規範を表現しない。

その結果、大和民族の学者が作る社会には、何の性規範もなく、何の善悪も、何の労働観もなく、何の契約観、何の命令系統もないように見えてしまう。彼らは「今は違う。知らないくせに批判している。」というが、彼らは何も表現してこなかった。

何も表現しないと、そもそも、矛盾が原理的に生じない。大和民族の学者は自己の性規範を表現しないので、たとえ彼らが性的な嫌がらせを繰り返すとしても、その行為は何の宗教系統の性規範にも違反しない。西欧白人の場合は、その行為はキリスト教やユダヤ教系統の性規範に違反する可能性がある。

よびのりたくみの件に関しても同様であり、大和民族の学者は「俺はよびのりたくみを部下扱いすることを悪いと判断する。」と表現しない。そのため、たとえ彼らがよびのりたくみを部下扱いするとしても、その行為が何の善悪にも違反しない状態が残り続ける。

【嫉妬】

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