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【ひやっしー】なぜ村木風海が登場するのか?~ひらけ宇宙の扉~

村木 風海(むらき かずみ、2000年平成12年〉8月18日 - )は、化学者を自称するホリプロ所属の日本タレント起業家発明家[注 1]

村木風海 - Wikipedia


 大和民族の科学者は村木風海とひやっしーを非常に嫌っている。しかし、俺は大和民族の科学者を見ると、村木風海や小保方晴子が登場するのは自然であると感じる。以下では、俺はなぜ村木風海が登場するのかを提示しよう。


#村木風海
#ひやっしー

1章 大学自体が腐敗している

右のりんごが大学の現状である。

 儒教系統の認識
 (1)大学自体が腐敗しているので、村木風海が登場する。

 村木風海や小保方晴子が登場するのは大学自体が腐敗しているからである。例えば、論文を書いていない教員が本当に多い。また、大和民族の学者の捏造も世界最高水準である。大和民族の学者の捏造も世界最高水準である。

 さらに、女子枠や女性限定公募、数学を理解していないぶりっこ女性教員(新井紀子など)、女性に群がる発情した猿(神山翼)、客や取引先に馬鹿やクズと侮辱する実質的な公務員(菊池誠)、税金という他人の富で自分の娘や息子を雇用する腐敗者、男女平等を主張して愛人を雇うクズ、…、このような腐敗した現状が存在する。

 大和民族は「疑似科学が~」と主張するが、論文の捏造が蔓延して、捏造が研究が萎縮するという理由で刑事罰にかされないような世界から、村木風海や小保方晴子が登場するのは自然である。納税者や国民から見ると、村木風海よりも、論文の捏造のほうがより悪質である

 なお、文系は本当に酷い。例えば、宮台真司や上野千鶴子、木村草太などはまともな英語論文を持っていない。にも関わらず、この種の人物が学者として社会で振舞っている。このような状態から、村木風海が化学者(科学者?)として登場するのは自然である。

 木村草太の場合、俺の記憶では、木村草太は修士号も博士号も持っていないし、まともな英語査読論文を持っていない、そして論文でないものを論文と誤魔化してきた。にもかかわらず、気鋭の憲法学者(笑)として、大学の教授になり大衆報道に登場して、統治者を批判している。木村草太は村木風海やひやっしーよりも悪質である

 大和民族の学者は論文でないゴミを”論文”と誤魔化し、学者でない悪霊を”学者”と誤魔化してきた。なぜ村木風海だけが自分を”化学者(科学者)”と呼ぶことできないのだろうか?大和民族の学者は科学や大学や学問をわかっていないと主張するが、木村草太のような存在が蔓延する世界で育った人々が何が学問であり、誰が学者であるのかを正確に認識できないのは自然であるように思える。

2章 社会が形成されていない

 儒教系統の認識
 (1)大和民族の学者は自分の学術社会を形成することができない。

 だから、村木風海や小保方晴子が登場する。大和民族の学者は気に食わない対象を叩いたり、愚痴や不平不満を述べるだけであり、彼らは彼らの学術社会を自分たちで作ろうとしない。彼らは誰かに自分たちの学術社会を作ってもらって、それに文句を付けようとする。

 例えば、村木風海に関しては、もし村木風海が政府に関係したならば、大和民族の学者は何らかの声明を発表すればよい。しかし、彼らは愚痴をX.comなどで言うだけである。それでは、村木風海の台頭を防げない。

 大和民族の学者は村木風海や小保方晴子の台頭を防ぐような社会システムも設計できないし、システムを設計する意志もないように思える。そして、彼らは権威を嫌い、ちゃんとした権威を自分の言葉で作ることを怠ってきた。

 さらに悪いことに、大和民族はちゃんとした権威を自分たちで作ることを”かっこわるい”、権威を嫌い、権威に反対することを”かっこいい”と感じているように見える。しかし、それは未開である。アボリジニには、権威が存在するのだろうか?

 大和民族はちゃんとした権威を自分たちで作らないので、部外者は何が正しいのか、誰が正しいのかすらわからなくなる。すると、村木風海や小保方晴子が登場して、彼らが大衆(学者も大衆)に受け入れられる。村木風海や小保方晴子の存在を違反とするような権威が存在しない

3章 コミュニケーション障害

 儒教系統の認識
 (1)大和民族の学者は意思疎通できないので、村木風海が登場する。

 特に、大和民族の学者は対外的な意思疎通を苦手とする。彼らは一方的に話すのを好むが、外交や商売や宗教や文明、歴史認識、人種や民族などの対外的、対立的意思疎通を苦手とする。

 大和民族の学者は先生、先生と煽ててもらわないと、彼らは他人と会話できない。反論されると、彼らはびっくりして沈黙する。村木風海に関しても、彼らは政府やTVに苦情を言って、自分の話を聞いてもらおうとするように思える。

 大和民族は大和民族の科学者が言い返されるのが怖くて、表に出てこない、大学からでてこようとしないことをちゃんと見抜いている。村木風海や小保方晴子でなく、彼らは客や取引先(国民)との意思疎通すら満足にできないように思える。村木風海や小保方晴子のほうが”コミュ力”は高いのでは?その場合、村木風海や小保方晴子が支持されるのは当然であるだろう。

 実際、日本国のTVを見ると、お笑い芸人の方が社会性があり、他人との意思疎通が上手であるように思える。学者や東大生がお笑い芸人に敗北するのはある意味自然の成り行きである。煽ててもらわないと、意思疎通できないような学者はひどく幼児的に思える。

 大和民族の学者は他人を叩いたり、論破したりすることを得意としているが、彼らは会話で主導権を握ったり、相手を言葉で統治(支配)することを苦手としているように思える。


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