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熊谷俊人(千葉県知事)(@kumagai_chiba)と医者の知念実希人(MIKITO_777)の争いについて
熊谷知事のようにコロナのはじめの頃は未知のウイルスに対して慎重な姿勢をとり医クラかも絶賛され、コロナがオミクロンになって以降は過剰な対策を要求する医クラ達を振り払って社会を前に進める、これが正解過ぎるリーダーの姿だろう。政治家は専門家を「利用」すればいいんだよ。
医者は健康を守る専門家だからダラダラと同じ対策を求め続けるのはしょうがない。政治家が「お前らの言うことはもう聞けないんだよ」という日は来ざるを得ない。熊谷さんと医クラの言い合いはそれをみているだけなんだろうな、と思う。
コロナに関して、熊谷俊人千葉県知事が知念実希人と対立しているらしい。現在では、知念実希人や救急医のtakaのような医者は競技者階級に叩かれていて、彼らは政治的な不利な状況にある。
以下では、俺はなぜこのような状態が生じたのかを民族的な観点から提示してみる。一部の医者が嫌われているのは、戦前の軍人が嫌われていることに似ている。
【医者が統治者になる】
(問題点)
大和民族の社会では、医者が統治者になろうとする。
これは戦前の軍人の暴走と同じである。彼らは口を横から統治者に出すが、彼らは彼らの行為の責任と後始末を統治者にとってほしいと感じているように見える。実際、俺のような部外者から見ると、知念も熊谷という統治者を医学で操ろうとしているように見えてしまう。
大和民族の医者、特に関西人は医学や科学を物事を分析する手法でなく、他人を統治する手法として悪用してきた。彼らにとって、他人を統治する手法は法律(法治主義や法の支配)や民主制でなく、医学や科学である。
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上記のような考えを持っている医者(関西人)は一人でないように思える。そして、彼の発言は炎上したが、彼らは指摘されるとしても、何を指摘されているのかを理解できないように見える。
なお、医学や科学を作った白人が上記のようなことを言わないように思える。医学を白人様から授けられた大和民族の医者の方が白人よりも偉そうである。これは白人と結婚したモンゴロイド人の雌が白人よりも高慢になることに似ている。
【現場主義】
(問題点)
大和民族の社会では、現場主義が蔓延している。
現場主義では、意思決定の主体が現場になる。サッカーで例えると、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナルドがサッカーの試合を管理・統治したり、サッカーシステム(産業?)を設計・統治しようとすること、またはそれらに干渉することに似ている。
なお、この現場主義は医者が悪いというよりも、大和民族の民族的な性質であるように思える。医者だけでなく、教師も学者も企業も、IT技術者も現場主義的であるように見える。
彼らは他人に社会システムを設計してもらって、他人に統治してもらって、彼らはそのシステムやその統治に口を出そうとする。しかし、彼らはその干渉行為の責任や後始末を統治者や設計者(創造者)に強制しようとする。
そのため、誰も統治者や設計者になりたがらない。なぜなら、たとえ彼らが統治者になるとしても、現場の責任や後始末をやらされるばかりで、彼らは統治を実行できない。その結果、まともな統治者がいなくなり、無能な現場が統治者や設計者として台頭する。
【階級が存在しない】
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