口なし耳あり目なしコミュニティー

初めての一人暮らしのアパートは「くちなし荘」だった。梔子の花のくちなしで、花言葉は「私は幸せです」みたいなやつだった。家賃5万円したかしないかくらいの木造アパートで、「まぁそれなら」と思い入居した。引っ越しで荷物を運ぶ間の数分で駐禁をとられ、隣の引きこもりみたいなヤンキーみたいな人からは昼間の物音すら窓開けて怒鳴られた。最初は震えていたが、逆隣に引っ越してきた人の物音にまで壁を蹴ってきたので、その頃には「ウチじゃない」と叫び怒って家を飛び出すくらいまでにはタフになっていた。というか私も同じくらい、短気だった。今は軽量鉄骨のマンションだけど、隣の共同生活の韓国人男性にLINEがきたのが分かるくらいの音環境で、オペラみたいな発声練習を時間帯問わず聴いている。自分含め問題ありな入居者が多いので、ひたすら足踏みをして何か不満を爆発させている人の足音が止まなくて何度も起きてしまうときは、どこからかわかんないのでとりあえず隣の壁を足に布団を被らせながら蹴る。関係あるのかないのか、大体しばらくすると隣の二人の口論が聞こえてくるので、それを聞いて足踏み男が大人しくなるように「やれやれ」と思って聞いているのだけど、最終的に爆笑してることが多いので、自分に向けられてないから安心してか何なのか、足踏みも再開される。自宅がこんな環境でも、確かに私は多分「幸せ」だ。最近他にもイライラすることがあったときに感じたのは、「不満だけど、言えない」という状況だ。それは別に、社会や立場とかからのストレスみたいなことに限らず、身内でも全く一緒。そして自分自身も、いつも誰かにとってのその対象。そう思うと、足踏み男も何かあっての足踏みなのだろう。声を出さない、場所も分からない、誰か。そもそも、全員一度も顔や姿を見たこともなく、本当は足踏み男も、隣の住人の仕業という可能性も濃厚で、私もあんまりひどいと布団無しで隣を普通に蹴る。もうどこかも不明だし、床に物落としたりしてみる。見えないということは普段より想像力をつかうし、耳の集中力もつかう。また、こんな状態の中にもルールがあって、結局直接何かを言ってこない。相当だめなことはするのに、その線は誰も超えない。短気な自分は結構すぐ線超えて口にしちゃうけど、共存するためにやってはいけないこと、ずっとは続けないこと。これを学べたのは、見えない隣人たちのおかげである。
眠れない夜や朝方に爆発したら、うるさいと壁は蹴るけど、嫌なことあったのかなってまぁ多めにみよう。私もおかげで木造時代よりはほんの少しだけ大人になったし、同じ軽量鉄骨マンションの仲だし。

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