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理想を高く、自己評価を低く

最近”迷路の本”にハマっている(子供が。)

立体パズルだったりワープしたりと、多種多様なルールの迷路が詰まった本をプレゼントしてもらい、嬉々として読み込んでいる。

大人でも難しい迷路もあり、それをクリアした子供は「よっしゃー!!」と喜びを爆発させる。

どんな小さなことでもいい、子供には「できた」という経験を次々と体験させるのはとても重要だと感じる。

そうすると子供はどんなマインドになってくるのかというと、

「僕ってすごいでしょ!」
「こんなのも出来るんだよ!」
「ああ、これね。簡単簡単!」

得意になって自慢してくる。

ただある程度大人になってきたら、ちょっと違うんじゃないかと。大人になると何か目的が達成できたらこのような反応をする人も少なくない。

「いやいや、たいしたことないですよ。」
「全然、まだまだです。」

これは問題ないのだが、僕が今回言いたいのは次の目的に向けた「走り方」のことだ。

理想を高く、自己評価を低く

何かを達成できたときは素直に喜んでいい。自己を最大限評価してあげるのだ。

その時に必要なのは、改めて理想を高く設定し直して自己評価をフラットな状態に戻すことではないか。

自惚れる期間はあってもいいけど、早々にリセットして走り出せる人はずっと努力できる。強い。最強だと思う。

よし、今月は10万円達成できた。来月は思い切って50万円目標だ!(理想を高く)だけでも全然いいんだけど、

今までの自分への評価もゼロにして「まだまだ出来るはず!」「こんなんじゃ全然足りない!」と情熱を燃やす。

100点を目指して80点から走るのを繰り返すのと、100点を目指して毎回10点から走り出すのではゴールは同じかも知れない。

でも、そこにある違いは「努力量」という何にも動かされない事実で、ゴールにたどり着いたときに気がつく。

自己評価の基準って数字には出ないし、あいまいなもの。10点だと思って走っていたらホントは自分が50点だったら?

もし50点から90点分前に進んでいたとしたら結果は全然違ってくる。

見えない基準の話をしてもしょうがないかも知れないが、自己評価を低くしつつ努力したほうがより高いところに到達できるのではないかということ。

この意識の差こそ、僕が早く見つけたかったことでもあるし子供にも早い段階で気づいてほしいことでもある。



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