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「相変わらず物語の始まりを待っていた」 - リアル脱出ゲームに至る道

さて高校時代。

高校時代楽しかったな。初めてちゃんとした友達ができた。
恋愛の話したり、将来の不安を分かち合ったり、これまでのささやかな人生の闇を共有したり。そういう存在。
高校は京都の市立高校に入った。進学クラスというのがあってそこに。
中学の頃は成績は良かったけれど、高校に入ると特進クラスだったので途端に真ん中より下になった。
勉強全然つまんなかった。特に数学と理科はまったくついていけなくなってしまった。中学までは得意だったのに。
国語は得意だったけれど、先生に嫌われて五段階の1をつけられた。
社会も英語もあっという間に劣等生になって、中の下から下の上、下の中くらいまで下がった。
まあでもそれでも楽しかったし、何者でもない自分を楽しんでいた気がする。
あたりまえのように楽しいことと不安さが混在する毎日の中で、相変わらず物語の始まりを待っていた。いつかなにか、早くなにか始まらねえかなあと思っていた。なにも始まらなかったけど。

初めて行ったカラオケで歌がうまいといわれた。
それで自分は歌がうまいんだと思った。
これまでも確かに俺は歌がうまい気がするなあとは思っていたが、やはりそうだったかと思った。
この勘違いがこの後の人生をめちゃくちゃにしていくのだけど、それはまた別の話。

小学五年の時から好きだったHさんがカナダに留学した。
文通してたな。文通。嘘だろってくらい手紙を書いた。ほとんど帰ってこなかったけれど、たまに帰ってきたら天にも昇るようにうれしかった。
二回くらい告白して二回ともだめだった。大学に入ってからも時々電話とかしてたんだっけな。いや浪人時代だったか。とにかく手紙をたくさん書いた。あの時書いた手紙が僕の文章のリズムの礎になっていると思う。
高校三年生の時に小説を書いた。短編小説。とても短い奴。それを彼女に読んでもらった。長い感想が届いた。
幸せな感想だった。誰かに何かを投げつけて、その感想をもらうという喜びと怖さを知った。
カナダから帰ってきてからも別に会ったりはしなかったように記憶してる。でも文通はしばらく続いた。
彼女から来た最後の手紙は大学時代。「男女の友情があるのかないのかわからないけれど、わたしと加藤なら友情が成り立つのかもしれないと思います」
それが最後の手紙だった。せつない。

恋愛に関して良い記憶はまるでない。
どうやったら自分が好きになった人が、自分を好きになってくれるのか全然検討もつかなかった。
誰かにそばにいてほしいと思っていたけれど、そんな人は見つからなかった。

村上春樹のことがとにかく好きだった。高校時代むさぼるように読んでた。
あれが世界の最先端の文学だと思った。今も村上文学のきらめきは消えていない。新作が出れば買って読む。
当時抱えていた孤独とピッタリ一緒だったんだろう。文章に冷たい熱があって、当時の肌の表面温度とぴったり一致してた。自分が抱えていた「何者かになりたい」という欲望と、何者にもなれないという孤独がそこには両方とも内在していて、それがあまりにも完璧で、まるで自分のための文章だと思った。誰かが自分のためにこの小説を書いてくれたのだと思った。

授業をさぼって大体ゲームセンターにいた。
ストリートファイター2全盛期。ゲームセンターには魔物がいた。そこには人を惹きつける引力みたいなものが物理的な熱量をもって存在していて、目が覚めたらすぐに駆け付けたいくらい魅力的だった。
嫌いだった数学とか古典とかの授業は大体ゲーセンに行ってた。確か半分休んだら落第とかだったので、必死でメモを取ってあと何回休んでいいのかを考えてた。ぎりぎりまで休んでぎりぎりで卒業した。勉学としてはなにも学んだ記憶はない。何も教えてもらえなかった。でも、学生時代は初めて時間が流れることが楽しいと思える時間だった。
京都の町を北から南、自転車で駆け回って、朝焼けを見ながら御池通の歩道に腰かけて酒を飲んだ。
家には母親と妹しかいなかったけれど、停学になった時に叱られた記憶とかはないな。父親に電話で報告した時は普通に笑ってた気がする。

楽しかったのはやっと自分たちで考えたことを実行できるようになってきたからだと思う。
集まってると大体誰かが「冒険に行こう」って誰かが言い出す。
それで「ひたすら北に行こう」とか「鴨川で泳ごう」とかどうしようもないアイデアが出る。
でもみんなでちゃんとそのアイデア通りに行動した。
その結果、ひどい目にもあったけど、自分たちの思いついたことをそのまま行動したら信じられないくらい楽しいって事も知った。

ある日近所にできた散髪屋に行ったら、「今日飲みに行くけどお前も来る?」と言われて行った。
外人や社会人がたくさんいるパブみたいなところで、たまらなく刺激的だった。
何軒もはしごして、散髪屋はいろんな女の子をナンパして、まあ楽しそうだった。
僕はすみっこのほうでもじもじしてた。
それからその散髪屋としょっちゅう飲みに行ってた。なんでかわかんないけど、彼は飲みに行くときに必ず僕を誘うようになった。そのころただの小僧みたいなもんだったんだけどな。僕は彼のことをマスターと呼んでて、彼は当時30くらいだった。店を出したばかりでギラギラしてた。
彼はふらっとbarにいくとみんな知り合いで、みんな彼のことを好きだった。彼はオーストラリア人の金髪の彼女とつきあってた。異常にきれいな人だった。
僕はだいぶ歳下だったけれど、とにかく良くしてくれてよく電話がかかってきて、よく飲みに誘われた。
かっこよくて颯爽としていて、僕があこがれる大人だった。
僕が30才になったころ、フリーペーパーやイベントを始めて、10才以上年下の子たちといっぱい出会ったけれど、マスターが僕に接してくれたように接しようと思ったのを覚えている。
丁寧で偉そうにしすぎずに、とにかく一緒に面白がる。
そんな人だった。

毎日やばいほど暗い日記や詩を書いていた。死ぬ前に焼く。でも死ぬ直前までは持っておく。誰にも見せないけれど。
なぜだろうな。
楽しかった記憶の方が多いし、楽しそうに見えてたと思うのだけど、心の奥の方にずっと冷えている場所があって、もっと楽しい場所へ行きたいと思っていたし、今いる場所ではない場所を望んでいたし、なにより自分が何者でもないことにとんでもなく焦っていた。

陸上部だった。
脚は少し早かった。中途半端な速さ。
走高跳の選手だったけれど、180センチ飛べたところで学生生活を終えた。

この時代の友人とは大学に入ってからも会ったし、社会人になってからも時々会ってた。そういう人って僕の人生にはほとんどいないので多分相当貴重な存在だった。今でも4年に一回くらいは誰かしらと会う。

受験に関しては惨憺たる結果に終わった。
まあ塾に行くフリをしてずっとゲーセンに行ってたんだからうまくいくはずがない。
国語だけはなぜかそれなりに点数を取れたけれど、英語と世界史は壊滅的だった。
とてもまともな大学に行けるような学力じゃなかったけれど、いつか本気を出してちゃんと勉強すれば別人のように良い点数を取るのだと勝手に信じていた。
高校時代には本気を出すことはなかったけれど。

卒業式の後、友人の家で飲んだくれた。
朝日が昇るころ帰った。
何をあんなに話すことがあったんだろうな。
何を話したのかは覚えていないけれど、いくら時間があっても足りないくらい話すことはあった。
ゲラゲラ笑って、飲んで、当然のようにすべての受験に失敗して、僕は浪人生になっていく。


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