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将来の夢がなくてもOKでしょ?

多くの人が「将来の夢」そんなテーマで作文を書いたことがあるだろう。

子供の頃、私はこのテのお題が苦手でしょうがなかった。

将来なりたいものなんてなかったからだ。
それこそ小学生の頃から、宇宙飛行士になりたい とか、スポーツ選手になりたい とか、大金持ちになりたい とか、漠然なものも含めても なりたい将来の夢 と言えるものが何もなかった。

幸か不幸か、小学生の頃は勉強も体育もそれなりに出来る方だったから、中学や高校で成績が低迷してからも「ただ本気出してないだけ」というイタめな勘違いをしながら、根拠のない自信だけを抱えながら、一浪を経て大学生になり、そして就活生になった。

就活を進めながらも、志望企業や職種、業界なんてものは全く絞れずにいた。そして結局、やりたいことかどうかは分からないけれど、なんとなく働いている人と合いそう、何か楽しそうという感覚で1社のベンチャー企業を選んだ。

結果として、その1社を選んだことに後悔いはなく、よい経験が積めたと思う。社会人としての基礎は間違いなく最初の会社で学ばせてもらった。
さらに付け加えて言うならば、最初の1社の経験があったからこそ、その後のキャリアに繋がっているし、現在こうしてフリーランスとして活動している。


あれやこれやと書いたけれど、そんなもんである。
子供の頃に明確な将来の夢などなくても、時が経てば大人にもなるし楽しいキャリアを歩むことだってできる。



さて、前置きが長くなったけれどここからが本題だ。

将来の夢や目標を持つこと自体を否定するわけではないけれど、具体的な職種に子供のうちからこだわる必要は全くない。というか、むしろこだわり過ぎない方がよいと思っている。

人は自分が知っている職業にしか就くことができない

字面を見ると、当たり前のことなのだけれど、仕事の存在自体を知らなければ、それを志すこともない。偶然のきっかけや、会社からの辞令のように誰かからの指図がなければ、自分の知見の中にある職業の中から選ぶことしか出来ない。

たとえば、日本には生まれたてのひよこの雄雌を選別する「ひよこ鑑定士」という仕事があるけれど、就活生でこの仕事を目指している人はほとんどいないだろう。なぜなら認知度が低いからだ。
他にも、海外には「公認エクソシスト」という仕事もある。鬼滅の刃や呪術廻戦などの流行がきっかけで、小学生のなりたい職業ランキングの上位に入っていてもおかしくなさそうなものだが、恐らくこの仕事を知っている小学生は日本にはほぼ存在しないだろう。

そんな、本当はめちゃくちゃ楽しくて魅力的(かもしれない)があったとしても、知らなければ目指すことも出来ない。
#ひよこ鑑定士や公認エクソシストが面白いかどうかは分からないけれど


違う視点で考えてみよう。
1980年代生まれの私が小学生の頃は、世の中にインターネットもスマホもなかった。当然Youtubeも無かったので、将来Youtuberを目指しているなんていう友人は一人としていなかった。

当たり前だけれど、世の中に存在しない職業(未知の職業)を目指すことは出来ない。これから先も、どんどんと新しい仕事は生まれていき、そして人知れず消えていく仕事が増えていく。

今、就いている仕事や知っている仕事が、10年後も引き続き存在しているかもしれないし、ひょっとしたら数年と経たずに消えてしまうかもしれない。消えてしまうとして、それがいつ起こるのかは誰にも分からない。

ただ、自分の知りうる職種の中での選択を繰り返すことや、子供世代に対して、既存の枠組みの中からだけ選ばせてしまうような状態を作ることは、けっこうなリスクだ。

今後ますます様々な働き方が認められる時代となり、メタバースの構築やAIの発展などの技術革新や、循環型経済の加速など、変数は無数にある。本来のプロティアンキャリア変幻自在なキャリアの使い方とは違うけれど、職種だってスタンスだって、既存の枠に沿って活動することも良いし、既存概念に捉われずに自由に選択することが出来る。


将来の夢や目標なんて決まってなくて、全然OKということだ。
大切なことは、現時点の自分の興味関心がどこに向かっているかを理解していることや、自分にとって重要度が高いことが何か優先順位が明確になっていることだろう。

すなわち自分なりの判断基準を常にアップデートしていれば、自ずといい感じの方向に向かっていく。いい感じとは、お金持ちとか有名人などということではなく、自分の満足度が高い生き方につながることを意味している。

大事なのは今。その連続でキャリアが積み重なり、将来に続いていく。

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