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平等と公平を間違える?使い分ける。

先日、メジャーリーガーの大谷翔平選手が、日本全国の2万の小学校に対し3個ずつ計6万個のグローブを寄贈したというニュースがあった。
実際に届いた小学校からの感謝の声が連日ニュースにも上がってきている。

一方で、せっかくのグローブを子供たちが野球をするためではなく「観賞用」として飾っている学校もあるという。

なにやら、たった3個のグローブを子どもたちが平等に使うことは現実的ではないということで、使用することを放棄したとのことらしい。


私はこのニュースをみたときに、なんて残念なのだろうと感じた。

大谷選手は、「野球しようぜ」と、子どもたちに野球をしてほしくてグローブを寄贈したというのに、それが飾られて終わっているなんて、夢にも思わなかったことだろう。

この「平等」な対応で、誰が得をしているのか、全く分からない。
これは、平等と公平をうまく使い分けれていない典型的な悪例である。

確かに、特定の誰かが使うのではなくて、誰でも同じように見ることが出来るというのは、平等(=ひとしく同じ)である。等しく同じなのだから、問題はない。けれど、誰も使えない。

確かに平等に使うことは現実的に難しいのかもしれない。
順番に使っていけば平等のように思えるかもしれないけれど、1番目に使った生徒と、300番目に使った生徒では、グローブの使い心地も違っているだろうし、厳密には等しく同じではない。

しかし、公平に使うことはできる。
例えば、このグローブを使いたい生徒全員にくじ引きを引かせて、使う順番や期間を決めて交代で使うのはどうだろうか。
くじ引きなのだから、チャンスは希望者全員に等しくある。そこに恣意的な仕組みがない限りは、公平な方法と言える。


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「平等と公平」は人事をしていたときに、よく話題に上がったテーマ。
チャンスは公平に与える必要があるけれど、評価は平等ではない。
評価を平等にするというのは、即ち同じ仕事、同じ賃金、同じ待遇と、全くイコールにしていくことを意味する。しかし、それは現実的ではないし、意味も無い。

公平にチャンスを与えて、評価基準や、処遇の仕方を一律のルールに乗っ取って対応してく。これは納得性、妥当性が高い。
このような仕組みを作って現場に落とし込んでいくのが人事の仕事の一つ。



大谷選手の寄贈したグローブのことから、日本人の平等重視の精神に対する疑問を思い出した冬の日でした。


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