僕の生きる意味が家族愛のなかにあるということ
嶋津さんのコンテスト開催記事を見返した。参加する意思を持って。
8月13日 2:00 AM
翌日食べるパンを焼き上げてキッチンを片付けた。
愛娘(トイプードル・2才)は僕と寝る番。愛娘を小脇に抱えて2階に移動する。寝室の電気をつけてスマホに充電ケーブルを挿す。
夜中というのにうだるような暑さ。クーラーの電源を入れ27℃、3時間後に電源OFF。温度とタイマーをセットしてゴロンと横になる。
「アレクサ」と言っても反応するもの(者、あるいは物)はない。電灯のリモコンの消灯ボタンを右手の人差し指で押す。部屋の中は真っ暗になる。
いや、真っ暗ではない。スマホの画面が煌々とその周りを照らす。
なんとなくスマホのnoteをチェックする。期待通りにベルの横に赤い数字はない。ため息をつきながら「おすすめ」タブを開く。そこにともこさんの記事を見つける。
「このお話は思うことがたくさんあったけど、上手に言葉にできなくてコメントできなかったんだよな」、、、、なんて誰に言うわけでもない言い訳を思いながら、記事の冒頭に張り付けられた、広沢タダシさんの「彗星の尾っぽにつかまって」をクリックする。そして直ぐに一旦停止。こんな夜中にヘッドホンなしで聴いてはいけないと、枕元に置いてあるブルートゥースヘッドホンのスイッチをONにし、再び再生ボタンを押す。
あれ、違う。
曲の印象が違う。
ともこさんの記事は既に読んでいるし、「彗星の尾っぽにつかまって」も聴いていたが、曲の印象が違う。
聴きながら考える。
そうか、僕はちゃんと聴いていなかったんだ。
ともこさんの記事を読みながら、「広沢タダシさんという方がつくった曲をBGMにしていた」だけだったんだ。ちゃんと歌詞を読んで、どう感じたかを考えることすらせず、ただ、ただ、記事の付属として音楽を流していただけだった。
ごめんなさい。ごめんなさい。広沢さん。
僕は当初このコンテストに参加する意思があまりなかったから、広沢タダシさんが魂を込めて書いたこの曲を、一つの作品として真正面から対峙していませんでした。
少しだけヘッドホンのボリュームを上げて、左手でスマホを持って画面を顔に向ける。スマホに流れる詩を見て、ヘッドホンから流れる唄を聴く。右手をだらんとしてリラックスさせたところに、ふいに愛娘が顔を下ろして腕枕をした状態になる。
深い。
深いところに連れていかれる。
心地よいメロディ、声。そして詩。
真っ暗な中に引き込まれる。まるで宇宙にいるような感覚になる。
何度も聴く。何度も歌詞を見る。
何回目だろう。もう左手も下ろしてスマホも下に向ける。
完全な暗闇の中に曲が流れる。
僕の頭の中に家族が浮かぶ。家族のことを想う。
奥さんとの出会いも結婚も。
長男と次男が我が家に産まれてきてくれたことも。
義母が亡くなった後に愛娘が我が家に来てくれたことも。
全て運命と感じる。
長男の病気や障害は残酷と感じる。
健康がいい。健康に勝るものは無い。
「神様が、あなたなら大丈夫と思ってこの子をここにこさせた」という人がいる。
しゃらくさい。
過去に戻って何か1つ変えられるのなら、長男が健康な体で生まれてほしい。
我が子が不健康に生まれることを望む親なんていない。
我が子が苦しむ姿なんてみたくない。
僕も妻も苦しみたくなんてない。
だけど、それが運命なら。
受け入れて頑張るしかないじゃないか。
つまずいたって、転んだって、時間は流れていくだけだから。
寿命を全うできるのであれば、一番先に愛娘が逝き、僕が2番目に逝く。
本当は一番先に逝きたい。家族の死を見たくない。
僕は弱い人間だから。愛する家族が目の前で動かなくなることに耐える自信がない。
だけど生き物にはいつか死が訪れる。必ず死ぬ。
だから、僕が朽ち果てる前にやらなければいけないことがある。
自分の力で稼げるようになって、小さくても平屋でもなんでもいいから不動産を持ちたい。
1ヶ月に数万円でいい。
家族が少しでも生きるための糧が買えるように、僕が死んでも家族に少額でいいからお金が入るような仕組みを生きているうちに作りたい。
そんなものを買うよりお金を残してくれと言われるかもしれないけれど、何かしら資産と呼べるものを家族に残したい。
僕が逝ったあとはどうにでもしていい。それは残った家族の特権だ。
だけどそんな資産を残して1番に逝くことができたなら、「わが生涯に一片の悔いなし」って右手を天に突き上げて逝くことができる。
叶うなら、僕が逝くときに「ありがとう」って言ってほしい。
残った家族に「ありがとう」って言ってもらえたら、うれしくて右手だけじゃなくて左手も天に突き上げてしまうだろう。
逝くときに両手を天に突き上げたら、彗星の尾っぽにつかまることができるかな。つかめたらいいな。
・・・
実は嶋津さんとZoomで一度お話したことがある。
この交流会でインタビューを受けた時、嶋津さんが僕に言ったこと
Night Songs コンテスト*Muse*を開催していて、創作をテーマにしているからどんなものでもいいですよ、かとしんさんなら例えばパンを作って参加してくれてもいいですよ。
嶋津さん、覚えてるかな。何気なく言ったことだと思う。僕は言われたときはエヘヘって感じであまり参加とか考えてなかった。
嶋津さんには、何かきれいな言葉で返さなければいけないって思っていた。「教養のエチュード」っていうバックボーンのある方への言葉に僕は勝手に崇高なイメージを持っていて、何か唸らせるような文章や言葉でないと、なんだか嶋津さんの開催するコンテストに参加しちゃいけないくらいのイメージを持っていた。
だけど、そんなに重苦しく考える必要が無いって思った。今日思った。だから冒頭に戻ってこのコンテストに参加するために嶋津さんの記事を読み返したんだ。
・・・
8月24日 2:00 AM
嶋津さん、パンで参加してみました。パンで参加するなんて思わなかったでしょう?
彗星、そして右下は地球と月
彗星って尾っぽが2本あるんだね。1つ賢くなった。
こうして彗星を想像すると、彗星の尾っぽにつかまってどこか遠くに行きたくなる。
これから寝てまた朝に目覚めたら、現実に引き戻されて、朝ごはんを食べて、車で1時間運転して、会社で仕事してっていう繰り返し。
そんな繰り返しの中には家族がいて、良いときも悪いときも、楽しいときも苦しいときも、一緒にいてくれる。
僕はそんな家族を守りたい。
だから
僕の生きる意味が家族愛のなかにあるということ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?