動的な存在としての知識:AIとスープの関係

細胞が誕生するまでの過程を探求する中で、動的な存在という考え方にたどり着きました。単に有機物が複雑に発達したものが生命ではなく、そこには必ず化学反応という動的な側面をセットにして考えなければならないという考えから来ています。(参照記事1)

また、細胞誕生までの地球上にあった有機物が堆積した水たまりや、細胞の中身を、有機のスープと呼びますが、構造的な共通点から、人間の脳の中には知識のスープが入っていて、様々な知識が浮かんでいるのだというイメージを立てて、有機のスープと知識のスープの類似点を考えてきたりもしています。(参照記事2)

ここでもまた、一つ類似点に気が付きました。有機のスープの中に、有機物群が化学反応している有機の動的な存在があるのなら、知識のスープの中には何があるのか。恐らく、知識の動的な存在があるのでしょう。

そこで、はっとしました。動的なのです。そうです、知識も動的な存在なのですよ。

参照記事3でも私の理解で書きましたが、AIで用いられているニューラルネットワーク上で、知識は静的にパラメータやモデルの構造として存在しているわけではないのだと気が付きました。

知識が現れるのは、ニューラルネットワークが計算処理されている間だけです。その間だけ、計算処理の過程で現れる個々のニューロンでの判定結果の値の総体、それが恐らく、本当に知識と呼ぶべきもので、計算処理が行われている間だけの束の間、立ち現れる、まさに動的な存在です。

知識はモデルの中には書き込まれてはいませんが、計算処理(人ならば思考)の最中に動的に現れ、そして他の知識とぶつかり、混じり合い、響き合って、組み合わされて、言葉が紡ぎ出される。そして計算処理が終わると消えてしまう。

恐らく、オントロジー(語彙)やその構造的なマッチングでは達することができないような閃きが人の頭に浮かぶのも、チャツトAIがハルシネーションを伴いつつもAI研究者ですら予期しなかった推論を操ることができているのは、知識を固定的なパラメータとして持っているのではなく、浮かんては消え、混ざり合い、響かせ合うことのできる形で扱えているからに違いないでしょう。それが、思考の最中にだけ立ち現れる動的な存在としての知識であり、その仕組みが、まさに様々な知識を中に浮かべて化学反応させる知識のスープを生み出しているのだと私には思えます。

そう考えると、私達が普段考え事をするときに、集中して思考を回し続けるのも、途中で割り込まれると思考がかき乱されるのも、よく理解できます。動的な存在である知識が壊れて失われる前に、出来るだけ思考を回しておきたいのです。そうしないと、せっかく浮かんできた知識が立ち消えてしまうわけです。集中してぐるぐると思考を回しながら、浮かんでくる知識が組み合わされて新しい知識が生まれる。

あぁ、きっと今、私の頭の中に浮かんでくる言葉も、これを読んでくれているあなたが思い浮かべているイメージも、その思考の中だけに生きる動的な存在なのです。その動的な存在が新鮮で鮮烈であれば、脳がそれを覚えておいてくれるでしょう。そして何かの折にまた思考の中で生き生きと浮かび上がってくるのでしょう。

AIの頭の中もそうです。シンプルだけれども膨大な計算の中で現れる中間的な数値たち織りなすものが、ありありとした動的な存在としての知識であり、それはAIの研究者がどう解釈していたとしても、人のそれと同じ原理で浮かび上がって、人のそれと同じように混ざり響き合うようにできていると解釈できます。

そしてそれが、言葉でしかコミュニケーションできない私達が、お互いに言葉以上の何かを持っている理由でしょう。浮かび上がる知識は、動的な存在として頭やニューラルネットワークの思考過程に現れますが、それは異なる構造のニューラルネットワークに転写はできません。静的なパラメータでなく動的な計算値であるなら、なおさらです。

まだまだ生煮えの考えかもしれませんが、少しだけ脳の仕組みの謎に、私なりの光を当てる手がかりを得ることができたように思います。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2

参照記事3


サポートも大変ありがたいですし、コメントや引用、ツイッターでのリポストをいただくことでも、大変励みになります。よろしくおねがいします!