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生命のリドルと思考のリドル

皆さんは、自分の思考を止めてみようとしたことはあるでしょうか? 禅寺で行われる座禅は、目をつむって思考を止めることで、雑念をなくす修練をしていると聞いたことがあります。実際に、私も思考を止められるのかと試したことはありますが、非常に難しいことに気がつきます。

生物は、一度生命維持のための機能が止まってしまうと、再び動き出すことが出来ません。また、脳の思考は意図的に止めることは困難です。このため、生命と思考には動き続ける性質があることになります。特に、生命は止まってしまうと死を迎えて再び動くことはできなくなります。

これは当たり前の事のようですが、なぜこのような性質を持っているのだろうかと考えてみると、不思議なのです。エネルギーの効率が悪い上に、生存し種を保存するために信じられないほど高度な進化をしてきた生物にとって、わざわざ止まると二度と動けなくなるという性質が備わっている必然性がないように思えるのです。

この記事では、この生命と思考の不思議な性質について、掘り下げて考えてみます。

■心臓と脳

一般に、心臓を持つ生き物は、心臓が停止するとやがて死に至ります。同様に、脳を持つ生き物も、脳が停止すると死に至ります。

私たちは自分の身体の手足を自在に動かすことができます。また、呼吸のように普段は意識しなくても良い自律的な動作も、意識すれば止めたり再開することができます。

このため、自分の体は全て自分の意思で動作させているつもりになっていることがあります。

しかし心臓は、自分の意志とは無関係に動いています。動かすことも止めることも、自分の意志では不可能です。

私たちは自分で何を考えるかを自由に選び、考える対象や考えるやり方を変えることも自在にできます。

このため、身体と同じように、自分の思考は自分の意思で自由に制御できるような感覚になっていることがあります。

しかし、心臓と同じように、自分の意志では脳が考えることを止めるのは、ほぼ不可能です。考えないようにしようとしたり、思考を止めようとしたりしても、いつの間にか自動的に、脳は何かを考えてしまうのです。

このため、身体活動における心臓のように、思考活動においても自分の意志と無関係に動作し続ける装置のようなものが、私たちの脳には組み込まれていると考えられます。

それは脳の中の特定の部位なのかもしれませんし、脳全体に組み込まれた機能なのかもしれません。

■生命のリドルと思考のリドル

心臓を持たない生物であっても、何らかの身体活動が継続し続けることが、生命の維持には必要です。これは最もシンプルな生物である単細胞生物でも同様です。

もし全ての身体活動が停止すれば、生物は死を迎えます。これは必ず死を迎える生物だけしか存在しないため、当たり前の事のように感じられるかもしれませんが、考えてみると不思議なのです。

生物は環境に適応し、生き残るように進化してきました。そのために生命を維持するための機能を高度化させ、天敵から身を隠したり、できるだけエネルギー効率の良い身体メカニズムを身につけてきました。

つまり、生存しやすくエネルギー効率の良い身体を求めて進化してきたということです。

それならば、不要な時には身体活動を停止したり、一度停止したとしても身体ができるだけ保存されるようにして、再びきっかけが与えられれば再び活動ができるような仕組みの方が、理にかなっています。

もちろん、あまりに高度な生物は一度重要な身体組織が破損すれば、外部からのきっかけで復旧することは困難です。

しかし、シンプルな生物でさえも、一度停止したら再度動作することがないという脆弱な仕組みが生き残り、停止後も再起動できる仕組みがなぜ登場しなかったのかは、謎です。

この謎を、私は生命のリドルと呼んでいます。

同じように、脳の思考も、なぜ止めることができないのかは謎です。脳は身体に占める割合は小さいですが、その割に大きなエネルギーを消費します。

このため、生存に必要なエネルギーを小さくするために、必要がない時には思考が止まり、外部から刺激を受けた時に思考を開始するといった仕組みの方が望ましいはずです。

この謎は、思考のリドルと呼べそうです。

■ロボットの設計

ここで思考実験として、ロボットの設計を、考えてみます。

自己修復や自己製造のメカニズムと、自己改良や自己進化のメカニズムを持つロボットを開発できる技術を私たちが確立できたとしましょう。

また、このロボットに搭載する人工知能技術も確立し、外部からの刺激をきっかけにして思考することもできるし、自律的に思考することもできるとします。

この技術を組み合わせてロボットを設計したとして、果たして停止したら再起動できず、何も差し迫った危険がないときでもエネルギーを消費して自律的な思考を止めることができないように設計するでしょうか。

このような設計は直感に反します。

特に深く考えなければ、エネルギーが切れて動作が停止しても、エネルギーが供給されたら再度動作するような設計になるでしょう。そうでないとすれば、わざわざ死を迎えるという機能を追加する必要があります。

また、思考に関しても、基本的には外部からの刺激をきっかけにして思考するように設計するでしょう。

すぐには解決できない問題については記憶しておき、時間とエネルギーの余裕がある時に、それらの問題について思考し、全て解釈するか考えが行き詰まったら思考は終わることになります。

また、創造的な思考をすることでイノベーションが生まれる可能性もありますので、刺激や問題がなくても自律的に思考することは有効です。しかしそうした思考はよりエネルギーを使うはずですし、できるだけ条件の良い環境やタイミングで行う方が良いでしょう。

このため、場所やタイミングが整った時に行う方が良いはずです。

そう考えると、思考が止まらないという設計にわざわざする必然性がないように思えます。

■理由がある謎

この思考実験からわかることは、身体活動と思考活動が止まらないのは、進化の過程における偶然とは考えにくいということです。

死や思考が停止できない性質は、あえて選ばれて身体や脳には組み込まれている機能だと考えられるのです。

つまり、生命のリドルや思考のリドルには、理由があるはずなのです。

偶発的な進化の過程の1つの道だったのではなく、生物や知能が高度に進化する上で必然的な理由だったのだと考えられます。

そしておそらく、私たちがもし未来において、自己進化するロボットを設計する決断をし、それを開発してどこかの惑星で活動させたとすれば、時間の経過と共にそれらのロボットは、死の能力を獲得するはずです。かつ、獲得するだけでなく、死の能力を持つロボットが圧倒的に支配的な存在になると考えられます。

また、思考についても同様に、止まることなく思考し続ける能力が獲得され、その能力を持つロボットが支配的になるでしょう。

■さいごに

生命のリドルや思考のリドルに対して、残念ながら私は今のところ明確で納得できる答えを持ち合わせてはいません。

生命のリドルについては、1つの考えとしては、停止しても再開できる仕組みは、その内部に死の機能を持った部品は組み込めないという制約がある点がキーになると考えています。進化は多様性の中からより環境に適したものが生き残っていきます。

死の機能を持った部品も、死の機能を持たない部品も、両方とも組み込むことができる仕組みの方が、多様性の観点からは圧倒的に有利です。これが進化の過程で死の機能を持った生物が支配的である理由の1つだと考えています。

いずれにしても、これらのリドルは、生命や知性の理解をする上で、死という機能と非停止性の側面の重要性を浮かび上がらせていると、私には思えるのです。

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