変移時間と収縮時間:過去は見え、未来には触れられる
はじめに
このnoteでは、基本的に生命の起源の探求を中心に、それと類似した構造を持つ、人の知識やAI、社会や文化、生態系などにフォーカスして議論を行き来させて気づきや知見を広げる思考活動を行っています。
その中で、生命の起源をさらに遡って、物理の世界についても時々考えを広げてもいます。その中で、私は仮説として、複数の時間軸を仮定する試みをしています(参照記事1, 2, 3)。
これは、元々は生命の起源の探求の中で、空間的なもの、静的な構造、物質的なものだけに焦点を当てるのではなく、時間的なもの、動的な活動、プロセス的なものもセットにした動的な存在という観点で物事を認識しなければならない、ということにきっかけにしていました。空間と時間の概念で考えるのであれば、物理の世界にも考え方を応用できるかもしれない、そして原子などの結合に着目し、動的な存在として理解しようとすると、そこには架空のもう一つの時間軸の設定が必要になる、ということに気が付き、それを軸にあれこれ考えているというわけです。
今回は、そうした検討の続きです。なお、以下に記載しているのは確立した物理学の理論の話ではなく、私の独自の仮定を前提にして組み立てた思考ロジックに過ぎません。
光速への接近と、光それ自体
物体が光の速さで移動することは不可能だというのが特殊相対性理論の説明として述べられているようなのですが、少し腑に落ちません。確かに、加速のためのエネルギーなどからそのように言えるのかもしれませんが、それならば光それ自体はどうなるのでしょうか。
私は量子が波の性質を持つということからも、それは光速に達して光と同じ性質の状態になると仮定して考えています。
そして、光それ自体、つまり光と同じ速度で移動する物体から見ると、自分自身の形や大きさは変化せず、空間自体がものすごい勢いで収縮している世に見えるのではないかと考えています。つまり、停止しいている観測者からは、光の速度で球面状に広がって見えるが、光速で移動している本人からすれば、自分は広がっておらず、周りの空間が縮んでいるように見えるのではないかという発想です。
そうだとすると、物体が加速して光速に近づく過程については、次のように解釈できます。
速度が上がってきて光速に近づいていくと、停止している観測者からは、その物体はだんだんと弧状に広がりながら進んでいる波のように見えてきます。一方で、移動している本人からは、進行方向の空間の方が縮小して見えます。
そして、さらに速度が上がっていくと、停止している観測者からは、だんだんと弧状のものが広角化していき、球状のものに近づいていくように見えます。移動している本人からは、進行方向の空間だけでなく、その周辺も含めて空間が縮小していくように見えます。
そして、完全に光速に達した時、停止している観測者からは、移動の方向を持たない完全な球面の広がりとして観測されます。停止している人から見れば、光の速度で球面に広がるわけですから、これはもう光や力場と同じ現象として観測されるわけです。一方で、光の速度で移動している本人から見えると、周囲のすべての空間が、方向性なくすべて光の速度で縮小していくように見えます。
空間の収縮をもう一つの時間と捉える
つまり、自身が停止している場合と、自身が光速で移動している場合とで、以下のように世界が見えることになります。
停止している場合
時間の流れに沿って、物が移動したり物体が変化したりする
空間の尺度は一定に保たれている
光を含む光速で移動するものは、空間を球状に広がっていくように見える
光速で移動している場合
時間が進むと、空間の尺度が縮小していく
対比のバランスを欠いていますが、この時点ではこの整理に留めます。
次に、相対性理論で言われている、時間がずれるという話について考えてみます。相対性理論によると、停止したいたものが、光速に近い速度になり、そしてまた速度を落として停止すると、浦島太郎のような現象が起きるとされています。
つまり、加速して停止した本人にとっては最初の停止状態から高速移動を経て停止状態に戻るまで1日しか経過していないのに、停止していた側は、その間に1年が過ぎている、といったことが起きるというのです。実際、その理論上の計算式が立てられており、様々な実験でその理論通りの現象が起きているという事はわかっているそうです。
さてここからはまた私の仮定の下の話に戻ります。
光速で移動しいて、空間の尺度が縮小する状態になると、1秒間に光速の分だけ世界が縮小するという体験をします。私は、この空間の縮小を、もう一つの時間、「収縮時間」あるいは「時間軸B」と捉えてみようと思っています。他方、私たちが普段経験している時間を「変移時間」あるいは「時間軸A」として考えます。そして、この時間軸Aと時間軸Bの関係が、浦島太郎現象を引き起こすと仮定します。
停止している時、私たちは「時間軸A」に主軸を置いていると考える事にします。そして停止状態から光速で移動している状態に遷移すると、その本人から見ると「時間軸B」に主軸が移ります。そして、「時間軸B」で時間が経過した後に、再び停止すると「時間軸A」が想像を絶するような長時間経過していることに気が付く、という事になります。
どのように解釈すればよいか、私なりに考えた案は次の通りです。
実は、「時間軸A」と「時間軸B」は、完全には分離されておらず、一方が進むと他方も進む、という関係にあると考えています。ただし、停止している時と光速で移動している時で、その割合が変化するわけです。
停止している時は、「時間軸A」はどんどん進み「時間軸B」はわずかにしか進まない。一方、光速で移動している時は、「時間軸A」がわずかにしか進まなくても、「時間軸B」はどんどん進んでしまう、という関係です。
そして、例えば停止している状態では、時間軸Aで100年経過すると、ようやく時間軸Bが「1m縮小」分進むような割合だとします。そして、光速移動中に時間軸Aとして1秒間経過するだけで時間軸Bが「10000m縮小」するとしましょう。その後、停止すると、時間軸Bが「10000m縮小」するのに必要な時間軸Aの時間が経過した状態になっているというわけです。静止中は、100年で「1m縮小」の関係でしたから10000ms縮小だとしたら、10000 × 100年分、時間軸Aが進んでいて、浦島太郎現象を体験することになる、という理屈です。
空間が縮小していく収縮時間/時間軸B
私たちが時間軸Aで1秒経過するという経験をするのは、例えば時計の秒針が1秒分進む、ひざを曲げて屈伸して再び立ち上がるのに1秒かかる、心臓が1回鼓動を打つのに1秒かかる、とか、そういうような基準で時間の経過を認識します。
もしも、時計の秒針の動き、ひざの屈伸、心臓の鼓動などが発生する時間軸が、伸びたり縮んだりしても、時間軸の中にいる私達には気が付くことはできません。
そして、仮に空間がわずかに縮んでいたとしても、空間の縮みのさなかにいる私達には気が付きにくく、かつ、縮む速度も非常に遅ければなおさらです。
次に、私たちが光速で移動した場合を考えてみましょう。私たちが体験する時間軸Aは、光速移動している私たち自身にとっては、伸びていても縮んでいても、その違いを感じることはできません。一方で空間の縮小は、周囲に停止しいてるものがあれば、気が付くことができます。周囲の停止しているものは、空間が光速で縮小しているときに縮小点の中に消えていくためです。
この時間軸Bは、時間軸Aの中での時間の流れに慣れている私達には直感的な把握が難しいですが、確かに時間軸の性質を持っています。
1つには、時間軸Aの経過に対して時間軸Bも一方向的に進む点が挙げられます。
その他、時間軸A上で、我々は過去のことは知っています。つまり、経験し、記憶することができるわけです。時間軸B上でも、空間が縮小することで、縮小点に達した空間のことは私たちは経験し、記憶することができるでしょう。つまり、時間軸Bの経過によって縮小点に到達した空間は、「過去」です。過去は経験し見ることができるという点で、時間軸Aにおける過去と類似しています。
また、時間軸Aの上で、我々は未来のことは知り得ません。しかし、未来を予測して手を伸ばせば、その予測が当たっていれば未来が現在になった時に、触れることは可能です。ボールが落ちてくる地点を予測できれば、キャッチすることができます。同じように、時間軸Bにおいても、縮小している空間のうち、まだ縮小点に到達していない外側の空間のことは、知り得ることはできません。ただ、予測を立てて縮小する空間上の何かに触れようと思えば、その予測が当たっていれば触れることができます。この点で、まだ縮小点に到達しいていない外側の空間は「未来」です。未来には予測をして触れることができるという点でも、時間軸Aにおける未来と同じ性質を持っています。
2つの時間軸の関係
時間軸Aは、我々が普段認識している時間、つまりものが移動したり変化したりするような変化が起きるベースとなっている時間です。時間時Bは、そのようなものの移動や変化ではなく、空間が縮むという変化が起きるベースとなっている時間です。
そして、停止している私たちには、時間軸Aはそれなりの速度で経過し、時間軸Bは変化がほとんど感じられません。その反対に、光速で移動している場合は、私たちは時間軸Bによる空間縮小がものすごい勢いで発生していることを認識しつつも、時間軸Aを基準に捉える習慣を捨てることは難しいので、時間軸Aはいつものように流れているが、時間軸Bが高速で進行しているように感じられるはずです。
もし、時間軸Bを基準に生きている知性があるならば、光速で移動してる間は、いつも通りに空間が縮小しているが、時間軸Aによる移動や変化のベースとなる時間の経過は微々たるもののため、ほぼ気が付くことはありません。これは我々が停止状態で空間が縮んでいることに気がつかないのと同じ構造です。
また、時間軸Bを基準に生きている知性は、1m空間が縮むことを1単位の時間経過と感じている、というような感覚でいます。このため、時間軸Bを基準に生きている知性が停止状態になった時、1m空間が縮むという1単位の時間Bが経過するまでには、時間軸Aが何年も進まないといけないという状況だとわかります。このため時間時Bに対して時間軸Aがとても速く感じられるはずです。
この2つの時間軸は完全直交しているわけではありませんが、平行に近いわけでも全然ありません。完全ではないけれどもほぼ直行していて、ほんのわずか直行からズレてている、私はそういった関係にあると仮定して考えています。だから、停止状態でも時間軸Bはかすかに進行し、逆に光速移動中は、時間時Bに比べて時間軸Aがかすかにしか進行しない、という対称な関係にあると考えているわけです。
直交からのズレ:宇宙の誕生か?
仮にこの2つの時間軸が完全直交だとすると、光速は無限大と考えられます。光速に達した時、時間軸Bに完全に軸足が移動し、時間軸Aの影響は消えてしまいます。一瞬で、時間軸Aは全て過ぎ去ってしまうのです。つまり、停止している空間上では、光が発生すると、ゼロ時間で全空間を駆け巡ります。しかし、実際にはそうなっておらず、光は有限の速度を持ちます。つまり、2つの時間軸が直交しておらず、かすかにずれており、そのずれが光速を規定しているという仮説です。
この仮説がちょっと面白いのは、だとすると、おそらく元々は2つの時間軸は完全直交だったのだけれども、ある時何かの拍子(何かとんでもない出来事なのか、はたまた、単なる宇宙規模のゆらぎなのかはもちろん定かではありませんが)に、直交状態から少しだけずれ始めてしまった。そのずれ初めが、ビッグバンを引き起こしたのではないか、と考えられそうな点です。
このイメージだと、直交からずれ始めた時には、光速はいまよりももっと無限大に近い速度だったと考えられます。そして、ズレが現在と同じ角度に到達するまでの間に、光速は無限大に近い速度から、現在私たちの知っている速度にまで速度が落ちてきたと考えられそうです。そして、これはビッグバン関するインフレーション理論の予想に話としては合致するのです。すなわち、ビッグバン直後は、宇宙空間は今の光の速度よりももっと早い速度で急速に広がっており、現在は光の速度で広がっている、という予想です。この話は、私が仮定している2つの時間軸の直交からのズレの話と定性的には合致します。
さいごに
文章だけでは、なかなか説明が伝わりづらいと思いますし、そもそもが何の証拠にも基づいていない、仮説の上の仮説の話です。ただ、わかっている情報から仮説を立てて、仮説に現れる概念がきれいに対称関係・等価交換性を保つように理屈付けをしているわけです。
そんな仮説上の思考ロジック遊びのようなことをしているのですが、その理屈で考えたことが、例えばインフレーション理論と合致したり、浦島現象を説明できたりと、案外とスジが良いかもしれないと感じています。今まで、不勉強でかつ考え方がややこしい分野でしたので、このあたりの勉強をしてこなかったのですが、少しこうした自分なりの仮説を持って臨めば理解が進められそうにも思えました。
参照記事一覧
参照記事1
参照記事2
参照記事3
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