じいちゃんが死んだ。世界は変わるか、変わらないか。

じいちゃんが死んだ。

今朝、母上から連絡があった。
97歳の一人暮らし(といってもケア付き)で、
最近まで自転車で買い物に行くぐらいの体力があった。

年齢的には大往生の部類。
正直にいうと、悲しいとか寂しいとか、そういう感情はあまりなかった。

小さい頃から特に関係が深かったわけではないし、
いわゆるお年玉とか、一緒に旅行、とか、そういった思い出はない。
近くに住んでいて、帰省した時にたまに実家で会うぐらい。

どちらかというと、母の気持ちの方が心配、という温度感。

わたしはといえば、ああ、今週予定が詰まってるし、
片付けないといけない仕事もある、
毎年クリスマスに思い出すんだろうなとか、
そんなことばっかり考えていた。

事務所に向かいながら、
祖父母が一人もいない30代女性になったんだなあ、とか、
身内に不幸が起こる年齢になったんだな、とか、そんなことを思いながら歩いた。

朝の中洲は相変わらず閑散としているし、
セブンのコーヒーは今日も美味しい。
(キリマンジャロブレンドとかいうのが出てた/美味)

そう、毎日は続くし、世界は今日も何も変わらず動いている。

ただ、確実に言えることは、
私を取り巻く色々な物事は変化した。

スマホを見ないで事務所に向かったことも、
こうしてnoteをついに書き始めたことも、変化の一つだ。

今までじいちゃんに何もしてこなかったことを、
忘れちゃいけない気がした。

自分を何か変えないと、じいちゃんの人生が私の中でなかったことになる気がして。

なかったことにはさせないぞ。じいちゃん。
孫が9人もいて、よかったなじいちゃん。

書いてたら、ちょっと悲しくなってきたぞ。
よかったよかった。わたしは普通に人間だった。


最後に。
じいちゃん、とんだクリスマスプレゼントやで!
今年はサンタ我慢するから、出てくる時は脅かさんといてや。

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