見出し画像

【ロングライド】愛知から京都に自転車で行ってみた。 #2 中山道編

クロスバイクエンジョイ勢22歳男が、京都を目指して自転車を漕いだ話。

いざ、出発。

 4月下旬、朝6時。出発の時が来た。愛知県一宮市の祖母宅から、いざ京都に向けて出発する。
 予定では、木曽川を渡って岐阜に入り、そこから西へ西へ漕いで関ヶ原を越え、滋賀は米原を通って琵琶湖沿いを南下し、大津、京都へと向かう行程だ。

木曽川から京都までおおよそ118km
自転車はヒットしなかったため徒歩経路検索

 前回の準備編がまだの方はそちらも是非。

大垣へ

 祖母宅から国道22号名岐バイパス)を北上して木曽川を渡ると岐阜県に入る。岐南町で交差している国道21号岐大バイパス)に切り替えるとまっすぐ西進して大垣に着ける、という算段だ。

6:12 新木曽川橋。ここから岐阜県。
名岐バイパスは車通りこそ多いものの、自転車でも安全に走行できた。

 問題は、岐大バイパスに切り替えてすぐに発覚した。

このバイパス、高架につき自転車走行不可である。

 そういえば昨日、叔父がそんなこと言っていたな…でも高架下の道路走ればいいや!と甘くみていた。これが大きな誤算だった。この下道が恐ろしいほど通りにくかったのである。第一に、用水路がやたら多く、その度に迂回させられたり一時的に高架に上らされたりする。これが何度も続くのである。第二に、右手に高架、左手には住宅街という細い道で非常に視界が悪く、名古屋走りに等しい岐阜ナンバーに轢かれそうになることも。こんな感じだから、スピードも出せないし、いちいちマップを確認したりで、とにかく走りにくかった。名古屋から大垣方面に向かう場合は、岐大バイパスを避けて県道14号などを通った方がよい。バイパス、ダメ、絶対。

6:25 岐大バイパスの入り口。自転車通行禁止の標識があるので流石に走れない。

 バイパスの高架が終わって自転車でも走れるようになり、長良川と揖斐川を越えて木曽三川を制覇したところで大垣市に入った。大垣城で1回目の休憩。inゼリーや羊羹で補給。まだ15km程度、先は長い。

7:38 大垣城
東海道線は大垣行きが多いので、馴染みのある地名。
画面左手のイケメンが筆者。

関ヶ原の戦い

 大垣を後にして、またひたすら西進。垂井を過ぎるとすぐ関ヶ原である。ちゃんと訪れるのは初めてだったので、時間的制約はあるものの2回目の補給も兼ねて少し寄り道した。天下分け目の戦いの土地だけあって、だだ広い草原かと思いきや、意外と町の中でも高低差があり、それぞれの高台に名将が戦略的に陣取っていたのだと思うと、なるほど感心である。いくつかの写真をお届けするので、かつての大合戦に思いを馳せてみてほしい。

8:46 大垣方面から来ると真っ先に着くのが家康最初陣地
攻勢を仕掛けるためこの後に前進したのだとか
9:09 石田三成本陣
町内中心部から少し登ったところにあり、関ヶ原を一望できる

 石田三成陣地の説明書きを少し読んでみよう

西軍は善戦していたが戦っていたのは一部の部隊だけだった。島津義弘は三成の度重なる参戦要請を拒否。午前11時頃、三成はここから総攻撃の烽火を上げたが、松尾山の小早川秀秋、南宮山(垂井町)の毛利秀元らは動こうとしない
その最中、正午頃に秀秋が東軍へ寝返り均衡は崩れる。大谷吉継隊が壊滅すると、西軍諸隊は次々に崩れ敗走。勢いに乗って押し寄せる東軍諸隊を相手に、石田隊は決死の覚悟で踏み止まり奮闘したが、午後2時頃にはついに壊滅。三成は再起を期して、背後の伊吹山方面へ逃れていった。

関ヶ原古戦場 石田三成陣跡 

…え、三成かわいそうすぎない??

 味方の武将が参戦拒否や寝返りって、絶望すぎるじゃん。三成、そんな人望ないの?秀吉亡き後、有力な武将らが跋扈するバラバラの豊臣政権を支えようと奔走するも、失望され、終いには裏切られ敗れる始末。
いたよね、部活とかで本人はめっちゃやる気あって色々頑張ってるんだけど周りからは白い目で見られてる子。見てて辛かったなぁ…何もできなくてごめん。あとなんか家紋が漢字の組み合わせなのも意識高い系っぽいよね。

関所を越え、宿場町を抜け、米原へ

 関ヶ原を抜けてすぐに不破関がある。この関所は京都防衛のための三大関所のうちの一つで、確かにかなり急勾配な峠道であった。ここでは国道と東海道新幹線、東海道線在来線の線路が交差する。高速で駆け抜けるN700系に圧倒されたり、懐かしの特急しらさぎ号に追い抜かれたりと大興奮で登坂の疲れなど吹っ飛んでしまった。そもそも不破関って名前が厨二心くすぐられるよね、たまんねえ。
 関の細い道を越えると、滋賀県米原市に入り、少し開けた町に出る。中山道の宿場町・柏原宿である。そして、醒井宿へと続く。
 ここらの道は国道の中山道と並行して旧中山道が通っており、のどかな田舎道を爆走できる。かつての街道や宿場町の情緒をリアルに感じることができるため、自転車で通る際にはぜひ旧中山道を通ってほしい。ちなみに米原IC付近より先の旧中山道は米原市街には向かわずに番場方面へと再び上り坂になってしまうので、国道21号(中山道)に戻ることをおすすめする。

10:29 醒井宿 「さめがい」と読む
水路が綺麗だった

 米原駅までもう少しのところで、再び上り坂だが、自分はむしろ喜んでいた。そう、ここ西円寺付近の交差点が、東からの国道21号中山道)と北からの国道8号北国街道)が合流して京都へと向かう三叉路になっている。何を隠そう、境界オタクを自称する自分にとって、こうした街道の合流地点はたまらないのだ。もし右に曲がれば敦賀から北陸に入り新潟まで行けるのかと思うと、ワクワクしてしまう。言い換えれば、この三叉路が北陸、近畿、東海の結節点でもある。最高の興奮を胸に、8号線となった中山道の下り坂を颯爽と駆けて米原市街へと向かった。

10:53 西円寺交差点
左は近畿、右は北陸へと続く

 11時、米原駅に到着。在来線は東海道線(JR東海)と琵琶湖線(JR西日本)が乗り入れていて、京都と名古屋を行き来する時の乗り換え駅である。また、高校の部活の長浜遠征合宿の際の新幹線下車駅でもあるため個人的に思い入れが深い。入場券を買って構内をぶらぶらしたり、ビワイチぼうやとの記念写真を撮ったりで20分ほど休憩。

11:02 米原駅
ビワイチのサイクルステーションにもなっている
北陸本線、特急しらさぎ号のホーム
今では敦賀までしか行かないのにどこが北陸本線なん

彦根で昼休憩、ひたすら南下

 米原駅から先は比較的栄えていて、郊外といった感じの町並み。すぐに彦根市に入り、彦根城城下町にて昼休憩。美味しい親子丼とラーメンを爆食。ちょくちょく補給はしめいたがやはりお腹はペコペコ。信じられないくらい食べた。コメと麺の糖質が脳を直撃して昇天しかけた。
 彦根城の方まで歩いてみたが、天守閣周辺は有料エリアかつ結構広そうだったので断念。また時間のある時に訪れたい。
 ここまでおよそ60km、中間地点である。時間的にもちょうど半分で、概ね予定通り。

12:23 彦根で昼休憩
ひこにゃん@彦根城公園
公園内のポスト
ジェネリック天守閣

 彦根を出て後半戦に入ると、琵琶湖沿いの平坦な田園地帯をひたすら南下していく。愛知川、能登川、近江八幡… 特に面白いものは無いのだが、新幹線と国道が並走する区間が多くあるため、定期的に轟音で追い抜かれる。なんとものどかな時間であった。

14:55 近江八幡市

大津へ

 近江八幡市のあと、国道8号は竜王山にさしかかる。頂上付近の道の駅・竜王かがみの里で休憩。ここでしか売っていない念願の国道8号ステッカーをゲット。これで筆者も国道ステッカーオタクを自称できる。

15:27 竜王かがみの里
全国の道の駅で国道ステッカーを買うことができる

 道の駅を出て坂を下ると、栗東市で国道1号東海道)と合流する。この合流地点が少し入り組んだJCTのようになっていて中山道から京都方面に行く場合自転車は少し危ないので注意が必要。
 草津を過ぎて中山道最後の宿場町・大津に入る。ようやくゴールが見えてきた。既に5時半を過ぎ、体力も限界が近い。

中山道(右上)が東海道(右下)と合流して国道1号線になる
17:28 大津
この山越えたら京都!(絶望)

逢坂の関、そして京都へ

 大津に着くと目の前に大きな山が立ちはだかる。大津京都間の山道、逢坂の関である。ここは不破の関に並ぶ三代関所のうちの1つで、歌にもよく詠まれる有名な場所である。

これやこの 行くも帰へるも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

蝉丸 - 『後撰集』

境界オタクとなったきっかけの一つに、中高の現代文の先生の影響がある。中2の修学旅行で伊豆に行った際、事前学習として『伊豆の踊り子』を読まされた。幼い踊子の無邪気さの陰に潜む儚さ、小さな暴力性。そのあどけない魅力に惹かれていくが何もできないでいる主人公の気持ちを、男子校中学生ながら当時の筆者も少しは汲み取ることができた。念のため触れておくが、筆者はロリコンでは無い。
 旅芸人一行との出会いという非日常は、伊豆トンネルを越えたことによる境界性が作り出すものなのだ。実際に伊豆トンネルを訪れると、自分はすっかり境界に魅了されてしまった。トンネルを越えた先は異郷であって、何かよくわからない異質が自分を待ち受けている。それに染まってしまえば、元いた側に戻ってきてももうかつての自分ではないのだ。こういうわけで、筆者は境界が大好きだ。
 実際に逢坂に差し掛かったとき、絶望した。今までの上り坂とは比べ物にならない。最大勾配13%にもなる急勾配で、既に100キロ以上漕いだ筆者は心が折れる寸前であった。しかし、ここを越えれば京都と奮い立たせ、必死にペダルを漕いだ。
 頂上付近には記念碑があり、とうとう最大の難所を越えたのだと思うと汗か涙かわからない塩水が顔を滴った。

17:55 逢坂
実際に漕ぐとかなりシンドい
逢坂 - 頂上付近

 逢坂山を爆速で下ると、井筒八ッ橋の大きな看板が出迎えてくれる。嗚呼、京都に着いたのだ。
 安堵するのも束の間で、この付近は車線は増えるし下り坂で車は飛ばすし高速道路の出口などが複雑に交差するしで、自転車には優しくない。特に、この先の国道1号は五条バイパスとなり自転車走行不可のため、迂回して府道143号三条通)に入る必要があるが、難しすぎて初見殺しだ。さすが京都、関を越えたくらいじゃ歓迎はしてくれないようだ。
 どうにか三条通に入って山科を横切ると、そのまま日ノ岡峠に差し掛かる。意外と長い坂道なので、逢坂が最後の上り坂だと思っているとここで面食らう。さすが京都、ぶぶ漬けを口に押し込まれている気分だ。

 いつの間に、見覚えのある景色になっていることに気づく。

18:30 夕暮れの蹴上

蹴上じゃん!!

 桜で有名な蹴上インクライン。何度も来たよここ!!

 そのまま東山を通って中山道の終点・三条大橋に到着!!運転お疲れ様でした!!

18:42 三条大橋
すごい人の数!!

振り返り

・総距離:132.96km
・所要時間:12時間42分
・走行時間:7時間21分
・巡航速度:18km/時

 愛知から京都まで130キロ。実際に自分の足で漕ぐとなると本当に途方もない長距離だった。ましてロードバイクじゃなくてクロスバイクだし。しかし、これまで紹介したように各地に見所があって、飽きることなく楽しみ尽くせた。
 この日は鴨川デルタに住む友人宅に泊めてもらい、翌日に備えた。

 次回に続く!

最後に京都タワーと記念撮影


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?