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今日僕は少年にとって象徴となった

【要約】

僕に会いに来た少年に「好きな事に一生懸命になる事の尊さ」を説いたら、自分の存在意義を感じた。


【本文】

僕はポピュラー音楽における無伴奏合唱、即ちアカペラが大好きだ。

・合唱部でハモる魅力に 取り憑かれた小学生時代

ハモネプにハマった中学生時代

・仲間がいないので1人多重録音でハモった高校生時代

・アカペラサークルに入り、やりたい放題やった大学生時代

そんな人間が、大人になっても歌い続け、遂には少年の頃に焦がれていた

ハモネプへの出演が決定

し、更にはなんと

優勝してしまう

という、正に夢のような、『奇跡』を体現してしまったのは、我ながら、凄い。

自らの能力のみで到達できるものではないという事は重々承知だ。しかし、それでも『ラッキー』という言葉だけでは片づけられない「何か」がここにあるんじゃないかという事くらいは、流石に思ってしまっても怒られないのではないか、と思っている。

しかしまあ、そんな結果が得られたとて、本質的に何かが変わる訳ではない。評価を得たとしても、我々のハモりのレベルは世界の誰よりも僕が一番理解しており、やはり我々はTake6にはなれないし、The Real GroupにはなれないしRajatonにもなれない。そして僕はJacob Collierにはなれない。(何を言っているのか?)

今日、静岡県民とやってるアカペラグループの練習に、少年が見学に来た。メンバーのお知り合いの息子さん、小学六年生。

少年はハモネプを見て、僕のグループ、ひいては僕に憧れを抱いてくれたらしい。これはもうホントにただただ有難いこと、『結果が得られたとて』などとのたまう輩には鉄槌をくれてやろう。フジテレビさん、IVSテレビさん本当にありがとう。

少年はミュージカルをやっているとの事で、中々どうして、基礎的な発声能力、ピッチ感を持っているではないか。贔屓目抜きに将来有望、感化された僕は明らかに過剰な量の”アカペラ講釈”を練習中に垂れてしまった。

それらの”講釈”が少年の今後に直接的に役立つ気はしない。それでもアカペラについてなら幾らでも喋ってくる僕という存在の”熱量”が恐らく少年に伝わったであろうという事が、結果として僕の僕自身への肯定感の醸成に繋がった気がする。(何を言っているのか?)


僕は別れ際、少年にこう語った。


「僕はずっと歌が好きで、ハモるのが好きで、アカペラが好きで。それでずっと続けてきたら、少年の頃憧れたハモネプにも出演できることになって、優勝までしてしまって。そうしたら、『好きなことを頑張る』っていう事が、『こういった形で実を結ぶ事もあるんだな』と、思ったんだよね。普通そんなことは起こらないって思ってたんだけど。でも、あったんだよね。だから、少年が好きなこと___もちろん歌以外でも___好きなことを見つけて、見つかったら、それを頑張って欲しいなと、僕は思ってるよ」


と。

節々、少~しカッコがつくように校正してしまっている気もするけれど、大体は、こんな感じだったと、思う。


たむらまろ写真


「夢は叶う」


と、大人は子どもによく言うが、無責任だ。夢は叶わないものもある。寧ろ、一般的に夢として掲げられるモノは、叶う者の数に対して夢所持者数が飽和しているので、叶わない事の方が、圧倒的に、多いだろう。

僕が少年に語った『夢叶うゼ、マジで★的理論』も、やはり無責任な気がする。しかもどうも自己満足的だ。少年に語る事で初めて、”コレ”を言える自分の価値を強く肯定できたし、何より、その場で誰よりも”僕が満たされている”事に気が付いたし。

夢が叶うかは正直知らない。僕自身、別にハモネプに出る事や優勝する事を夢としていた訳でもないし、何がどうという事ではない。

ただ、こうして何かに一生懸命になる事、好きな事を持つことで、憧れの場所に辿り着く象徴として、僕という存在が少年の中に刻まれたという風に妄想し、今後もそういった象徴となる事、象徴となり続ける事を目指して、一生懸命頑張っていこうと思ったりした。そういう話なのである。


10年後、また新たな少年の象徴となることを目指して。


普段はYouTubeにアカペラ動画を載せています。所謂YouTuberたろうと日々、頑張っています。よければ覗いてみて下さい。

加藤ぬ。のYouTubeチャンネルリンク



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