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米は歴史上、常に高級品だった

 米作り、というか、百姓をしている人と話す機会があって。別に移住者でもなんでもない、もともと家が百姓の人です。百姓という言葉について触れておくと、差別用語で放送禁止用語だとかいう話もありますが、田舎では、自分のことを誇りをもって百姓だと自称する人は、かなり多い。ってことで、この人も自称百姓ですので、農家というより、百姓をしている人です。もちろん米を作っていますが、猪もとるし、家も作るし、生活全てをきちんと行う、昔ながらの清く正しいお百姓さんです。

 で、米の価格っていうのは下がり続けている。というより、上がっていない。昭和40年代に30キロ1万円だった。令和5年も30キロ1万円です。一方、初任給は昭和40年代に7万円ぐらいだったのが、現在は21万円ぐらいになっている。他のものが3倍ほどに値上がりした中、米は変わらない。物価が上がる中で値段が変わらないということは、安くなっているということです。当然、そんなことじゃ米農家の生計は成り立たないので、田んぼをやめる人が出てきます。

 数十年前は、米は高価だったから、米を一升持って夜の町に遊びに行く、なんていうことが出来た時代もあった。米が通貨としての価値も持っていた。保存もできるし、誰もが必要とするものですからね。通貨発行していたようなものなんですよ。そりゃ、山の中に棚田を一生懸命つくってまで、米を作るのも理解できます。

 ここ数十年、米の価格は下がり続けていて、我々は、米は安いものだという先入観があります。でも、もっと長いスパンで見ると、米は常に高価なものなんです。歴史上、米作が始まったのは1万年以上前、日本に伝わってから少なくとも2000年は経っている。この、少なくとも2000年の歴史の中で、米が安いのって、この30年ぐらいなんですよ。歴史上97%ぐらいで、米は通貨の代わりにもなるほどの、文句なしの高級品だったのです。

 で、ひるがえって現代ですが、田んぼなんてのは、いくらでも空いている。水もある。日本は水資源が豊富な土地ですから、どこでも水には苦労しない。稲作に適した気温でもある。米を通貨だと思うと、宝の山ですね。

 しかし現実として、米価は低い。じゃあどうすればいいかというと、身もふたもない話ですが、とにかく補助制度をきちんと使うことだと思っています。自由競争が良いなんていうのは、まやかしです。そもそも、石油の値段を0にしている時点で、自由競争も何も無いんですよ。値段設定次第で、環境汚染とか、そういうことを踏まえて石油価格を(僕が思う)適正に設定すれば、日本の稲作の競争力は上がります。自由競争と言っている、その前提ルールがおかしいと思っています。

 そんなおかしな世界なのだから、自由競争の中で勝ち抜くなんていう無益な戦いに身を投じることはなくて、米を作り、そして豊かになる、そのために使えるものがあるなら遠慮なく使う、それが農業を保護することにもなるし、世の中のためだろう、と思うわけです。もちろん、最も良いのは、自由競争の前提がきちんとなることです。でも、そうではない経済構造ならば、遠慮なく使えるものを使って、米を作りましょうや、ってことです。米は高級品ですから。はい。またあした。

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