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文系学問の必要性

 昨今の人文系学問って、軽視されているでしょう。それで就職先がどうなるとかいうレベルの話ではなくて。そもそも、文系学問が世界を良くするのか、その問いに対して文系学問が答えられていない、というのが一般的な認識だと思います。僕も昔はそう思っていたんだけど、最近は、人文学の必要性を感じているし、なんなら理系学問よりも重要になるんじゃなかろうか、と思っています。

 人文系学問というのは、僕の理解で言えば、どのような社会システムを実装するか、という研究です。法律や政治というのは、まさに社会システムだし、文学や歴史学などは、そもそも人間というのはどういう生物であるかという、社会システムの前提を固めるものです。人間とは如何なるものか、そして、その人間がこれから集団として社会を築いていくときに、どのような社会システムが理想なのか、という研究です。

 これってすごく必要なんですけど、一方で、人文学研究はいつの時代にも不遇であるだろうな、とは思うのです。というのは、国なりの機関が教育に予算を配分するということは、すでに「国」などの、予算配分するほどの権力があるシステムが存在するわけです。

「新しい社会システム」を考えるということは、いわば、そのシステムが自らを殺す子を育てているようなもので、普通、しないですよね。なので、人文学の最先端のものは普通、辺境から出てくるのです。孔子やキリストや仏陀もマルクスも皆、辺境の人でしょう。システムが生み出したものでは無い。システムは、システムを維持するために働くのであって、システムを変えるものを生み出すことが無い。中央の最も良い大学から、次の時代の思想が出ることは無い。

 一方、理系学問というのは純粋なる武器と成り得ます。システムをどうにかする、という類のものでは無い。ならば、安心して予算をつぎ込めますよね。そのシステムをむしろ、強力にする方向に動きます。ということで、いつの時代も、理系的な学問──世界の仕組みを理解して再現して生産効率を上げる学問──というのは、教育を受けやすい。中央からも、新たな発見、発明が誕生する。一方で、根本的なシステムの仕組みを脅かす文系的学問というのは、予算を得にくいのではないかと思います。

 とはいえ、人文学問は必要です。ましてや、現代社会のように、複数の価値観があり、理系的学問結果による生産性も爆上げしている、軍事力も人類が滅びるほどに高まっている、でも、それを管理する社会システムが無いという状態では、最も求められているのは、これからの世界に必要な社会システムを組み上げることです。すごく必要なんだけど、先ほど言ったように、自らを滅ぼすものに、あらゆる権力は予算をつけない。なので、どの王朝も基本的に、辺境から出てきた思想と武力により「革命」が起こってきた。

 しかし、歴史上、存在したような革命がもう二度と起こり得ないだろうというのは、核兵器に登場により武力が強くなりすぎたからです。武力革命は起きない、というか、起きたら人類が滅ぶレベル。となると、人類存続のためには、意識的にシステムを変革するような、人文学系の研究に予算を注ぎ込むしか無い。殺されるのを待つのが今までだとしたら、現在は、社会システムが自殺するしか無いという環境だと思うんです。はい、がんばりましょう。がんばりどころですね。またあした。

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