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人から嫌われてもどうってことないのに、どうってことあると思ってしまう

 ストレスというのは、寿命をすり減らすし、不健康にするし、何のためにあるのか、ストレスなんか無ければいいのにと、僕も含めて大体の人は思っているでしょうけれども。そもそも、なぜ、ストレスなんていうものがあるのでしょうか。

 ストレスの範疇に入るかは定義次第ですが、痛みというのもストレスです。もし痛みが無ければ(そういう病気もあるそうですが)大変です。怪我していても、気がつかない。骨が折れていても、痛くないから動き回ってしまい、一向に治らない。痛みを感じるからこそ、動かずに、治癒に専念できるわけです。また、熱いものに触ると痛いです。ヤケドします。これも、痛みがあればこそ、熱いものからパッと離れることができるわけで、痛みを感知できなければ、もっとひどいことになってしまう。

 痛みも、また、一般的に言うストレスも、危険信号です。このままだと危ないよ、という信号です。現代社会では、ストレスといえば人間関係でしょう。お腹が減って苦しいとか、寒くて辛いとか、そういう身体的なストレスは、現代文明の恩恵もあり、とても少なくなりました。だからこそ、現代社会に残ったストレスは「人間関係」ぐらいになりました。

 では、人間関係のストレスとは、何か。人に嫌われることです。殴られて痛いとかいう身体的なストレスというのは、現代日本においては、ほぼ無いです。それよりも、嫌味を言われたりとか、怒られたりとか、そういう人間関係のストレスです。「痛み」が危険から遠ざけたり、身体を治癒に専念させてくれるように、人間関係のストレスも、危険を知らせているわけです。その危険とは「仲間はずれにされること」です。

 毎度、書いていることですが、人間の本能(DNA)というのは、我々がいまだに狩猟採取の世界に生きていると思っています。その集団は100人ぐらいの集団であり、その仲間から外されるというのは、一人で自然界に放り出されてしまい、死ぬことを意味します。ですから、我々は仲間はずれにされることを極端に恐れます。死ぬことと同じぐらい、恐れるのです。バンジージャンプも、いくら大丈夫だと思っていても怖いでしょう。それと同じことです。仲間はずれは死んでしまうのだから、我々は、人から嫌われることにストレスを感じます。

 しかし現実は、現代社会において人から嫌われても死にません。それどころか、この情報ツールが行き届いた社会において何か大きな行動をすれば、必ず人から嫌われます。大きな行動は、多くの人目につく、そして人の好みは千差万別ですから、中には嫌う人も出てきます。唐揚げだって嫌いだという人はいるんですから。そりゃ、万人に好かれる人、また、万人に好かれる行動なんていうのは、ありはしないのです。

 そして面倒くさいことに、現代社会では、豊かな暮らしをしようと思えば、大きな行動をするのが最適解だったりします。起業したりとか。すると、嫌われる。現代社会の最適解は、我々の原始時代適応脳にとって、ストレスフルな行動なのです。もし人間の本能が21世紀型にアップデートされていれば、我々はマクロビなどの健康的な食事を「美味しい」と心から感じ、人から嫌われることをむしろ喜ぶはずなんです。アップデートされていないから、こんななんです。我々のストレスは、原始社会の置き土産です。

 だからどうだ、って話でもないんですが。ただ、人間関係でストレスを抱えている人は、それは原始的な我々の本能が「死」と関連づけてしまうから感じてしまうんだ、というぐらいは頭で分かっていたら、多少は心が楽になるかなとも思います。そして現代では、人に嫌われても死にません。むしろ、本能のおもむくままに甘いものとか脂っこいものばかりを食べている方が、死にます。人に嫌われるよりも、カップラーメンの方が死に近づくんですけど、本能はカップラーメンを食べたがります。そして人には好かれたがるのです。

 解決策の一つは、慣れかな、と思います。バンジージャンプも、やったことないけど、たぶん何回もやっていたら怖くもなくなるでしょう。もちろん、個人差はありますよ。バンジーだって、絶対に無理な人もいるでしょう。人間関係も同じで、最初から全く気にしないような人もいます。そういう人はサイコパスと言われます。また、すごく気になるHSPと言われる人もいます。ですから、さっき言ったように、これでどうだという話でもないんですが、本能と環境のズレと思っておくと、多少は楽になるかなと思うわけです。またあした。

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