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失業率が上がると自殺が増えるけど、その本質は「お金」ではない、という話

 自殺と経済の関連性はありまして、不況で失業が増えれば自殺が増える、好景気になれば自殺は減る。というと、お金があれば自殺しないんじゃないか、という話になる。でも自殺の本質はお金ではなくて「人間関係が無くなること」なんです。お金がなくなれば人間関係がなくなる、そして自殺が増える、という流れです。本質は人間関係です。

 本当に「お金」が関係しているのなら、お金が無い世界の人は、みんな無一文なんですから、自殺者が多くないといけない。でも当然、そんなことは無い。人間はお金というシステムが無い時代から何万年も生きてきている。

 でも、その時代にも「人間関係」は存在していた。その時代には、共同体から切り離されて一人で生きることは難しかった。なので、人間関係、「共同体」というものは、人間の歴史と同じだけ、ずっと存在していたわけです。


 近年、共同体が無くなっていったのは、お金というシステムが出来上がったからです。これは「お金のせい」でもあり、「お金のおかげ」でもある。何事にも良い面も悪い面もあるように、共同体だって、良い面も悪い面もありますし、個人によっても違います。

 濃密な人間関係を、息苦しい監視社会と捉えることもできる。現代では、そういう考えは主流です。でも逆に、心理的な安心と、身体的な安定(衣食住)も与えてくれるセーフティーネットだ、と捉えることもできる。


 人間は一人では生きていけない。ま、生きていけないこともないけど、めちゃ難しい。クマのように一匹で生きるように出来ていないんです。群れの動物ですから。ですので、集まれば集まるほど、力が増える。人間が本能的に集まれる上限は、150人ぐらいです。ま、人によっては数百人ぐらいは、いけるかもしれません。それ以上は、覚えられない。普通の人間が覚えられる人間関係の数は、150ぐらいが限度です。

 民主主義の限界が「3万人」という話もあります。ルート3万は173です。本能の上限が150なら、「知り合いの知り合い」という2段階で3万人ぐらいは、いけます。そのぐらいだと、お互いに分かり合えるし、同情しあえますが、これがもう1段階増えると無理です。知り合いの知り合いの知り合いは他人です。単に、人間はそう感じてしまうからそうだ、というだけのことですが。ってことで、3万に173をかけて、ざっくり500万人ですか。「国」のレベルです。こうなると難しい。


 話を戻して。お金というシステムは、人間関係が無い相手とも協力することを可能にしました。見知らぬ街に行っても、日本円を払えば、ご飯を食べられるし、ホテルに泊まれるわけです。相手を知らないのに。

 これは、すごいことなんですよ。見知らぬ相手も「お金」というシステムを理解していないと、いけない。本質的には何の価値も無い日本円や米ドルやクオカードで、知らない相手が、自分にサービスをしてくれるわけです。

 知らない相手とも連携が取れると、知らない人が発明したものを使える。そして、技術が発展していく。我々は、お金というシステムのおかげで、現代社会の繁栄を享受しているわけですが。

 その一方で、これは「お金のせい」と言っていいんですが、人間関係が無くなってきた。お金は「道具」であるはずなのに、それが「目的」になってしまう。日常的な感覚でも「お金は人間関係を破壊する」とか言いますが、それは正しいです。そもそも、人間関係が無い相手と取引する道具なんですから、そんなものを身近な人間関係ある人に使ったらダメなんです。


 お金は道具であり、本質的には幻想なんですが、一応、それを皆が信じていて動くのだから実利もあるし、幻想とはいえ、幻想度は低いです。

 中世の神と同じです。皆が神を信じていれば、神には実利もあるし、現実度が高い。で、神を信じなくなると、実利が無くなる。だから「神は死んだ」となる。神が死んだように、お金もそのうち死ぬと思っていますが、現代の仮想通貨とかが出ているのは、一神教から多神教への移行のようで面白い。もちろん、多神教になれば、お金の力は弱くなります。強い神は、一神教です。

 お金は幻想なんですが、ま、現代ではある程度の現実度はある。しかし、お金が全てであるとか、お金が人間の価値である、とかいう「思想」にまでなっちゃうと、これは幻想度が高い。ほぼ「妄想」です。人間は「幻想の世界」に生きているんですが、それでも、ある程度の「現実」を原材料にした幻想と、現実がほとんど無い幻想があるんです。「お金が全て」みたいなものは後者です。

 最初に、お金が無くなると自殺が増える、でもその本質はお金ではなくて人間関係が無くなることだと言いました。

 でも、現代社会(日本)では、お金が、ほぼイコール「人間関係」になっています。大人になると、顔を合わせるのは仕事の付き合いの人がほとんどでしょう。仕事って「お金の付き合い」じゃないですか。失業すると、お金を失うと同時に、人間関係をほぼ全て失ってしまうんです。だって、仕事を通しての人間関係しか無いのだから。だから失業すると自殺が増えるんです。

 そして家族も「お金」の関係になっている。お金が無いから子供を産めない、そもそも結婚できない。ま、これはかなり幻想度の高い幻想だなと、僕は思うんですが。皆がそう思っていると、幻想は現実に近づきます。結婚には相手が必要だし、相手がそう思っているなら、それが現実になる。だから、こういうような、本質的に意味のないことでも現実的になるのでしょう。まさに「現実「的」」なんです。的、なだけ。


 昔から「貧乏人の子沢山」とも言いますが。ちょっと、ふわっとした話になりますが、子供は否応なき「現実」なんですよ。お金は「幻想」。子供という現実に対処していれば、お金という幻想に力をさけない。

 というか、子供に力を入れると、お金が無くなる。時間というか、人間の「行動量」は有限ですから、その行動を、子供という現実に割くか、お金という幻想に割くかということです。これは天秤ですから、どちらかを重くすれば、片方が跳ね上がります。

 現実の世界の「お金」も、どんどん幻想の世界に行っているでしょう。ネットの世界なんて、ほとんどそうだし。金融もそう。ドル円で稼ぐようなFXとか、幻想度がめちゃめちゃ高いんですけど、そもそも「幻想」であるお金とは相性が良いです。

 幻想は「妄想」と言ってもいい。妄想は無限です。いくらでも思うことは、できる。でも現実は、これは物理ですから、そうそう増えない。日本円やビットコインやアップルの株が1年で倍になることはあっても、米の生産量が1年で倍にはならないし、人間の数も倍にはならない。

 お金と「幸福」が結びつきにくいのは、幸福というのは脳の機能であって、物理的なものだからです。人間の肉体は、物理ですから。いきなり「倍の幸福」を感じられるわけでは無い。そして、人間の生態は、人間関係によって幸福や安心を感じるように出来ています。

 これは、人間の本能が感じるだけなので、それが人類の生存や安定に正しい結果をもたらすわけでは無い。特にこれだけ科学技術が発達すると、人間の感覚との「ズレ」は生じる。人間は飛行機を自動車より「危険」と判断しますが、実際は逆です。そんなことは山ほどある。

 人間関係を豊かにしたところで、さしたる弊害は無いし、むしろメリットの方が多いと思う。ってことでね、毎度の話ですが、コミュニティです。共同体です。これからの時代は、というか、ちゃんと基本に戻るということです。この100年〜200年ぐらいがおかしいだけで、ほとんどの時代、人間はそうやって生きてきたし、そこをベースにしないとヤベェぞ、そして、そのためにはお金から離れた方が良いという毎度の話です。またあした。

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