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良いことも悪いことにも、慣れるもの

 久しぶりに東京に来ましたが。ま、昨日の夜にこれを書いていますが。久しぶりと言っても7月ですので、3ヶ月ぶりぐらいか。そんな久しぶりじゃ無いですね。空港に降りて、ああ、空気が澱んでいるなとか、臭うな、とか思うわけですが。そんなもの30分もすれば思わなくなります。慣れってすごいですね。

 逆に言えば、しばらく東京にいて高知に帰ると、木の匂いというのはあるんですよ。ヒノキチオールでしょうか。でも、そんなのも30分もすれば感じなくなる。慣れはすごいんですよ。良くも悪くも。そして、人間は慣れている環境を「当然」と思ってしまいます。それが劣悪な環境であれ、素晴らしい環境であれ。ただ、慣れているのは脳が慣れているだけで、体はそりゃダメージも加わっているわけです。

 ストレスもそうで、まぁ、僕は就職もしたことないので他人事として書きますが。最初はきつかった仕事、そして通勤のストレスなども、慣れます。でも、それは脳が慣れていると思っているだけで、体は慣れていないから、病気になるわけです。ま、なぜ慣れるのかというと、とりあえずの生命の危機があるほどのヤバい環境では無いからです。さすがに、毒ガスとかに慣れるわけはありませんから。でも、そこそこの不健康な環境なら、慣れるわけです。

 毎度、言うように、人間の本能というのは数万年前から変わっていません。で、その頃の環境というのは、変わらないわけです。っていうか、変えようが無い。人間に、環境を変える力があるなんていうことは、想定していない。だから、慣れた方がいいんです。そこに知覚を割くよりも、突発的なことに知覚を割く方が効率的ですから。まさか、環境汚染とか、満員電車のストレスのようなものがあるとは想定していないわけです。想定していないものだから、変えようと思えないんです。

 でも我々は、変えられるんです。悪い方にも変えられるし、そこから逃れることも出来る。悪い方に変えるのはともかくとして、良い方には変えられる。で、変えられないと思うのは、本能的に、それが変えられると思えないからです。ただ、引っ越しだって出来るし、海外で暮らすことだって出来る。想定していないことは、出来ないと思ってしまうんですが、出来るんです。ま、こんなのも「慣れ」でして。例えば、自転車だって本能が想定していない行動ですが、練習すれば出来るでしょう。それと同じようなことです。

 多くの人は、環境を変えようと思っても、そこに対して、自転車に乗るほどの努力すらしないんです。せめて、自転車に乗るとか、車の免許を取るとか、その程度の行動を取れば環境は良くなります。で、変えたところで、そこの幸福感を知覚できるのは短い期間で、そのうち慣れて、なんとも思わなくなるんですが。脳が知覚しないだけで、身体は健康になっていくので、もちろん、そうした方が良いわけです。またあした。

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