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ヌートバーに見る戦争文化

 野球に興味が無い人には何のことやねんの話ですが、WBCにカージナルスのヌートバーが招集されたでしょう。これ、結構なターニングポイントだな、と思って。というのは、今までだってイエリッチとかも招集しようと思えば出来たでしょうけれども、しなかったでしょう。やっぱり、日本代表は日本人で、的な気持ちが、シンプルに大きかったと思う。言っておきますが、日本人というのも実体のあるものではなく概念ですけど。はい。

 いろいろなスポーツで外国の人、もしくは、外国人的遺伝子を持っている人が活躍するのは、そりゃそうだろう、としか言いようがない。で、個人競技だったら、相撲の白鵬とか、100メートル走の速い人とか、これ、平均的な感覚として、ま、しょうがないよね、外国の人でも強いもんね、と思うところがあると思う。だって強いんだし、だって速いんだし、という。だけど、日本代表となると別で、これは選ぶ人がいるわけですから。意識的に選んでいる。

 ま、スポーツによっても、どのぐらいの範囲で選ぶかという文化は結構、違っていて。ラグビーなんかは、何年間か日本国内でプレイしていれば良いぐらいの、非常に緩い規制でしょう。サッカーも、言っても、流行ったのは90年代半ばぐらいからですから、多くの日本人にとって「新しいスポーツ」です。特に僕より上の世代にとっては。僕(43)だって、Jリーグが出来た時をリアルタイムで覚えていますからね。なので、外人ぽい人が代表になっても、そりゃそうだろうと思うのが一般的感覚だと思う。

 だけど野球って、日本の国民的スポーツ、って感じじゃないですか。だからこそ、今まで代表に、選ぼうと思えば選べる、日系MLBプレイヤーを招集しなかったわけだし。で、今回のヌートバーですよ。ヌートバーが招集されて、ま、活躍度合いにもよるだろうけれども、おそらく、好意的に受け止められると思います。でも、今回、別にわざわざ招集しなくたって、誰も何も言わないですよ。なんでヌートバーを入れないだと言われるわけが無い。だけど招集して、少しでも勝つ確率を上げに行くという、なんというか、文化の転換点を見た気がしているんです。

 スポーツって、僕は、戦争の代替品だと思っています。基本的に、ルール内でどういうことをやっても勝った方が勝ち、というゲームです。gameは英語では獲物という意味もありますが、狩猟、戦争、スポーツが根っこが一緒だと、僕は思っています。で、日本に「スポーツ」があったかというと、無くて。相撲なんてのは神事だし、剣道とか柔道も、茶道とか華道と同じ「道」なんですよ。修行とか勉強という意味合いが強い。だから剣道8段は、おじいちゃんだったりするわけです。スポーツだったら、そんなことは無い。

 日本の、〇〇道と言えるような文化体系が、だんだんと「スポーツ」になっていっては、いるんです。スポーツもいろいろな側面があって、さっき言ったように、戦争の代替品という面もあれば、エンジョイするというアクティビティの面もある、プロスポーツならビジネスという面もある。他にもあると思いますが、表面上は同じスポーツでも、根っこが違う。で、戦争、エンジョイ、ビジネス、これらのスポーツへの関わり方は、本来、日本には存在していなかった。それが、じわりじわりと出てきています。

 ビジネスの側面から言えば、僕が思うに、落合博満さんが明確に現れた最初のプレイヤーだと思います。それまでの王・長嶋は「野球道」ですが、落合さんは明確にビジネスとして野球をした。もちろん、野球が好きなんだろうし、野球道の面もあるだろうけれども、ビジネスとしての側面を明確に表に出して、1億円プレイヤーになった。今では、ビジネスとしてスポーツをするのも、当たり前になりました。(だからこそ裏返しで、ビジネスの側面が低い大谷選手が珍しく見える、特にMLBにおいては)

 エンジョイ系は、エンジョイの側面がもともと強い自然系スポーツから派生しています。スキーとかサーフィンとか登山とか。で、エンジョイ文化は「道」の面が強い分野には、なかなか派生しづらいですが、野球とかサッカーぐらいは、エンジョイの面も多いですね。草野球チームとか山ほどありますし。でも、柔道とか剣道は、エンジョイ勢が少ないでしょう。道の文化が強いですから。

 で、今回のヌートバーで明確になったのが「戦争」としてのスポーツだと、僕は思っているんです。勝つためなら手段を選ばない。それは当然、伝統的な「道」では、あるまじきことです。でも、今回のWBCの栗山監督の招集を見るに、これは戦争だな、と。ビジネスでは無い。ビジネスなら、ヌートバーは招集しませんよ。単純に、勝ちに行っている。勝つことが全て。ひょっとしたら、数年前の南アフリカを破ったラグビーなんかは、そうだったのかもしれませんが、こちとら知りませんから。ヌートバーで、おっ、来たかと思ったんですよ。

 スキーなどの自然系はともかく、野球とかサッカーのように、明確にルールが決められていて、勝敗を決めるというスポーツの原型は戦争です。大きな話をすれば、明治以降、日本は戦争をしたかった、というか、せざるを得なかった。頑張って、帝国主義の列強と並び立つような戦争をしようとしていた。そのためになりふり構わず、日清日露もやってきて、だけど油断すると「道」に戻っちゃう。第二次大戦の敗因の一つは、軍が「文化」になってしまって、伝統的な「道」になったからとも、思っています。

 うっかりすると「道」になる日本文化の中で、明確に、勝つための行動が生まれている。野球という日本の代表的なスポーツ、それも「道」の色合いが強いスポーツで、戦争の色を出して、なりふり構わずやろうという態度が取れるのは、変わったなぁ、と思います。その変わることが良いか悪いかは別のことですが、とにかく、変わりました。欧米的になりました。ということで、どんな「戦い方」をするのか、WBCに注目しています。はい。またあした。

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