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スタッドレスが必要ですか? という質問から思うこと

 雪が降って寒いですね。うちの周りは、まぁいつも通り普通に降ったなという程度のものでしたが、高知市は歴代最高の14センチとかで。びっくりです。で、田舎暮らしでよく聞かれるのが、冬はスタッドレスとかチェーンが必要ですか? という話。で、僕の場合を言うと、正直、何も気にしていないです。道路が凍結しているところってのは、あるにはあるんですが、特定の場所で、せいぜい10メートルぐらい凍結しているのが2〜3箇所あるんですね。そこだけ気をつければいいから、ノーマルタイヤでも問題無い。

 なので、僕は履き替えずに、夏タイヤのまま過ごしているんですよ。雪がめっちゃ降っている時は、出なければいいだけだし。うちの周りだったら、昨日みたいに降ったところで、次の日には大体、溶けていますから。そうしたら、凍結に気をつけて走ればいいだけ。で、もし雪がバリバリ降っている時に、何らかの理由で、車で出なきゃいけなかったら、四駆の軽トラにチェーンを履かせますよ。そうすりゃ、どうにかなる。今まで、それが必要だったことはありませんが、一応、その準備はしてあります。

 ということで、僕は夏タイヤのままですが。それは、凍結可能性のあるのが10メートル2〜3ヶ所という特定のところであること。雪の日に出なきゃいけないようなライフスタイルではないこと。出なきゃいけない場合には、チェーンを履くこと。という条件の上で「ノーマルタイヤで過ごしています」になるんですよ。でも、それはあくまで「僕の個人的なケース」です。でも、「冬はスタッドレスが必要ですか?」と聞いてくる人は、もっと広いことで聞いているんですね。で、そんなことは、分からないですよ。あなたの暮らしを知らないから。

 なぜ、こんな話を延々と書いているかというと、この「スタッドレスが必要ですか?」に、いろいろなことが集約されているな、と思うからです。みんな、世の中には何か普遍的なマニュアルみたいなものが存在すると思っていて、それに合わせれば大丈夫だと思っている。だから、どの車が良いかとか、どの学校が良いかとか、この漫画は面白いとか、そういう話をするわけです。でも、そんなことに意味は無い。誰にとっても良い車は無いし、誰にとっても良い学校は無いし、誰にとっても良い漫画も存在しません。

 例えばこれと同じような話で、「モテたい」になるわけです。モテたいって何だよ、と思います。ある特定の人に好かれたい、なら分かりますけど、多くの女性にモテたいなんていうのは、それを仕事にしているホストとかジャニーズでも無い限り、不要でしょう。普通の人が「モテたい相手」は、せいぜい数人でしょう。その相手との関係性なら、ケースバイケースでしょう、というだけですよ。普遍的な「モテたい」なんて存在しないんですよ。

 世の中にあるのは、具体的なことだけであり、自分の身の回りに、自分を中心とした、徹底的に具体的な事物が存在するんです。そのクオリティを上げることが、人生を豊かにするということです。だけど、世の中に溢れる「情報」なり「商品」や「サービス」というものは、具体的ではなく、抽象的なんです。もちろん、そうじゃ無ければ情報や商品になりませんから、そりゃしょうがないんですけど。そんなものはクオリティが低いどころか、大抵は何の役に立つものでもない、ということです。お金で買えるものに大したものは、ありません。

 自分で徹底的に考えて、トライアンドエラーを繰り返して、具体的な、その土地での、あなたと周りの人間のノウハウを溜めていくことが大切なんです。ただ、これが難しい、というか、途切れているんですよね。それをずっとやってきたのが伝統なんです。でも、伝統は崩壊してしまった。僕もそうですが、実家は代々住んでいる土地でも無いし、親戚縁者も少ないし、ほとんどの人がそうだと思いますが、根無草の、浮遊した個人として生きているわけです。そんな生活で、具体的なノウハウもクソも無いから、商品社会で幸せになろうとするわけです。

 そういう、抽象度の高い、クオリティの低い薄い、商品社会の幸せって、どのコンビニスイーツが美味しくて、どこのレストランが美味しくて、どの車に乗って、どのハウスメーカーに頼んで家を買って、積み立てNISAで老後の不安もなく、月20万円の生活費で引退後の生活を楽しみ、最後は高級な老人ホームに行って良かったね、ということでしょう。シンプルにヤバイ話でしょう、そんなもの。軽い地獄ですよ。

 僕は、幸福の基盤になり得るのは人間関係であり、同時に、自分の身の回りの具体的なノウハウの精度を上げていくことだと思っています。現代人は、僕も含めて先代から引き継いだノウハウなんてものがほとんど無いから、ゼロから作り上げることになるんですが。逆に「薄い情報」は広く浅く、インターネットでも書籍でも手に入りますので、それを参考に、あくまで参考に、掘り下げることは出来ます。そういう意味では、昔と比べて不利な部分も有利な部分も存在する。

 で、人間関係それ自体からも幸福はもたらされますが、現実的な「ノウハウを掘り下げる」という作業において、人手は多ければそれだけ効率が良くなります。だから村なんですよ。村は、具体的なその場所での生き方、仕事、そのノウハウを皆が掘り下げていって、自分を含めて、皆のQOLを上げていく作業です。それを次代に引き継いでいき、後世の人がもっと楽に幸福に暮らせるようにするわけです。それが暮らしの基盤にあることで、自由度が上がるわけです。安心した生活が基盤になければ、自由に羽ばたけませんから。はい。またあした。

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