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農村RMOと、東京物見遊山

 農村RMO中央研修会、なるもので昨日から東京に来ていまして。RMOってのはrerigion manegement organization、ですか、スペルが出鱈目かもしれませんが。地域運営組織、みたいなやつ。今年度から農水省が始めた事業で、うちの町もそれをやっているもので、メンバーの一人として大手町で行われていた研修会とかワークショップに出席したわけです。

 住民参加で、地域をどういうふうにしていこうか、そのために、どのような予算(国の事業とか)を使って、計画を立てて、何年かかけて実行していくという。そんなやつです。話を聞いてみると、どこの地域も悩みは似たようなものでして、農家の跡継ぎがいない、空き家が増える、集落行事が維持できなくなっていく、生活インフラが乏しくなる、ということ。ま、僕が思う究極の答えは「コミュニティ(共同体)づくり」なんですが、それは現状の延長線上ではなく、普通に考えればぶっ飛んだ先の、むしろ宗教じみた遠いゴールとなります。

 自分の目の届く範囲なら、遠いゴールを一発で作るというのも可能ですし、自分の範囲でそれをやろうと思っていますが。当然、それは現代社会が想定している変化では無いです。ぶっ飛んでいるから、アートの一種だと僕は思っているんですが。一方で、現代社会の延長線上で一歩一歩、取り組んでいくことも必要でして、RMOなんてのはその類のものと、僕は理解しています。もちろん、それはそれで重要なことです。っていうか、そっちの方がインパクトが大きいでしょう、現実的に、予算もつくわけだし。

 単純なことだけど、話し合いを繰り返して、合意形成すること。それが一番大切なことでしょう。大体、やることなんて限られているんですよ。アイデアなんてのは、画期的なものを出しても意味が無い、というか、そんなものは出尽くしていると思っています。問題は、実行です。そのアイデアを実際のものにする場合に、無数の面倒くさいことがある。関係団体との調整、誰に仕事を振るのか、地域に話をどう通すか、そういうことが9割9分でそれをきちんとやることが一番大切です。机上の空論を具体化する作業ですね。

 そういう意味で、RMOのMはmanegementですが、その通りだと思うわけです。人間をどう生かすか、地元の人も移住者も含めて、です。そして、それはビジネスライクに行くものでは無い。それよりも、生活の側面が強い。暮らしの話ですから。ですから、向いているのはビジネスマンではなく、主婦だと思うんですよ。優秀な主婦の仕事って、マネジメントでしょう。僕は、自分の職業をあえて上げれば主婦(主夫)だと思っていますが。その範囲を広げていくのが、地域マネジメントだと思うのです。

 さて。そんなこんなで東京ですが。ビルが高い、夜が明るい、人が多い、というシンプルな田舎者の感想を抱きます。たまに来ると面白いですね、華やかで。ま、年3回ぐらいは物見遊山で来てみたいよなと思います。普段、田舎に住んでいて、たまに東京に来るというのは非常に、感覚的なものですが、人の生き方として正しい気がします。

 一応、昔は僕も東京に住んでいて、当時から田舎に行ったりすることもあるわけです。もう20年ほど前になりますが、富山県の朝日町というところに、特に理由は無いんですが、毎年、夏祭りに行っていたんですよ。何の変哲も無い町ですよ。毎回、行ってみたら面白いかな、ぐらいに思って。別に面白くなかったので、3回ぐらい行って辞めましたが。で、そんなこともあるけど、東京(都会)に住んでいて田舎に行くと、お客様感というか、浮ついた感があるんですよ。非常に場違いな空気を感じる。

 バチバチの観光地なら違うんでしょうけれども。例えば白川郷とかなら、それはそれでディズニーランド的な一つのアトラクションだと思うので(行ったこと無いから適当に言っていますが)、浮ついた感じもしないと思うんですけど。特に何もない田舎に行って、そこで、暇かどうかは別の話として、落ち着けるかと言ったら、違うんですよ。よそもの感がある。でも、東京って、ふらっと行ったところで、よそ者感が無いんですよ。行きやすいな、と思う。そして一方で、自分の軸足を田舎に置いておくことの安心感もある。

 故郷の本質は人間関係だというのは、毎度、言っていますが。田舎に十数年も住んでいると、それなりに人間関係も出来るし、土地のことを見知っているし、ホームが出来る。そのホームに軸足がありつつ東京を物見遊山することの心地良さ、です。これは昔は感じなかった。それこそ、移住してすぐだったら、むしろ東京に「帰ってきた」と感じていたと思うんですが(あまり記憶していないのですが)、今は、東京に「来た」、ですね。感覚的に、高知の方がずっと重くなったのでしょう。

 で、そういう感覚になった上で観光する東京というのは、とても良いものです。都会ってのは住むところじゃなくて、たまに来るぐらいがちょうど良い。そして、僕のような都会出身の者が「都会に来る」という感覚になるには、それなりの時間がかかるでしょうが、なってみると良いものだな、ってことです。またあした。

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