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人間を一人、育て上げる育児は、1億円ぐらいもらってもいいんじゃなかろうか

 悩み相談、というほどのものでもないんだけど、人から(そりゃ犬猫からもらうわけない)いただいた相談で、「働くのが苦手で、縫い物とか、家庭菜園とかしかできない、社会不適合者です」みたいな話を聞いたんですよ。で、昨日書いた「天職」の話にも通じるんだけど、面白いなと思うのは、縫い物とか、家庭菜園というのは、僕の基準で言えば明らかに「働いている」んですよ。人の役に立っている。でも、現代社会では、お金になることが働いている、ということであり、人の役に立つかどうかは別問題です。

 典型的なのが主婦で、育児や家事って、めちゃめちゃ社会の役に立っていると思います。成果主義で言ったら、社会の役に立つ人間を育て上げたなら、1億円ぐらい、社会からもらってもいいと思うんですけど、お金は親には流れないでしょう。孫正義を育てても(孫正義が社会的に役にどのくらい立っているかは別の話として)、お父さん・お母さんは、お金をもらえないどころか、持ち出しですよ。で、相続で言えば、孫正義から子供にはお金が行くけれども、親には行かない。ということで、育児は金銭的にはマイナス価値になっています。

 ですから「お金がないから子供も作れないし、そもそも結婚できない」という話になります。育児や家事が、仕事ではなく、趣味や消費と見なされているからです。という感じに、社会にとって役立つ働きが、お金を得られるというわけでは無い。一方で、ドル円の売り買いをしている為替トレーダーなんかは、高収入を得ている人もいるでしょうが、社会の役に立っているとは思えません。ソシャゲで課金させたり、パチンコ屋とかも、社会の役に立っているとは、到底思えない。それでお金が稼げるとしても。

 お金とは集めたありがとうの数、なんていうヤバめの宗教ぽい言葉もありますが。んなわけ無いのは、お金を「あげたら」、ありがとうって言われるでしょう。サービスだって提供して、お金を受け取らない方が、ありがとうって言われるに決まっているでしょう。ただ、現代社会はマジでお金教がはびこっているので、そういうヤバい言葉に影響されてしまう人も多いし、ブラック企業で働くことになってしまう。ま、そんなのも、どげんかせんといかんですねぇ。

 先日、ネットで「底辺職一覧」みたいなものを見て。土木や建築や介護や飲食とか、人の生活の根幹に関わる重要な仕事ばかりが底辺職とされているのは、面白い。一方でホワイトカラーの仕事は、あっても無くても良いような無駄な仕事になっていく、いわゆる「ブルシット・ジョブ」です。同名タイトルの本、昔、ここでも紹介したと思いますが、面白いのでぜひどうぞ。高収入のブルシット・ジョブと、底辺のエッセンシャル・ワーカーに二分化されていくことになるのでしょう。で、当然のことですが、どちらも不幸です。

 どちらも不幸は不幸ですが、違う形の不幸ですね。お金はあれど、自分の人生や仕事に意味を感じられない不幸か。仕事に意味を感じられるけれども、生活が苦しい不幸か。

 ただ、個人レベルで言えば、単なる知識不足で不幸に陥っている場合がほとんどだとは、思います。社会全体の構造を変えることと、社会を変えずにこの社会の中でどうやってうまくやるかは、別の話。後者のことで言えば、生活費をできるだけ落として、人間関係を築いていくこと。人間関係を築けば生活費を落とせるので、これがうまく回ると、良いスパイラルに入ります。人間関係とは、人のために役立つことをすること、です。そうやって、お金ではない資産を築いていくことが第一。

 そして生活費を低くするのなら田舎の方が良いですので、また、もらえる補助や支援をガッツリ利用すれば、現代日本は生きやすいと思います。全員がそんなことできないのは明らかですが、社会を変えるとかいう話ではなく、個人がどうサバイバルするかということで言えば、収入を増やすのではなく、生活費を低くするライフスタイルに移行するべきです。で、自分でモノを生み出せる田舎の方が、生活に都合が良いということです。ましてやネットがあるんだから、田舎の0円物件とかを手に入れて、ネットでバイトするとかね。これはヌルゲーです。

 ま、そうやって自分一人や家族が幸福に生きていくことは、そんなに難しくないと、僕は思っていますけれども。社会全体をどうにかしようとすると、難しい。それは毎度の言うようなコミュニティを作り、内部での交換を行い、豊かだけれど収入は低いという「反・お金教」のライフスタイルを作ることかな、と思います。お金の支配は、お金を使わなけりゃ逃れられるので。そして、そういうライフスタイルの人が多数派になれば、制度が変わらざるを得ないでしょう。はい。またあした。

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