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お金の価値観の先にあるもの

 MLBが好きなので、公式サイトの記事をよく見たりしていますが。日本と違うなぁと感じるのは、お金のこと。日本だと、年俸いくらだとか、FAして一番高いところに行くとかいう「お金の話」は、昔よりは一般的になってきたとはいえ、あまり好まれるところでは無い。でもMLBだと、それは当然のことだし、最高年俸の選手は誰かというのも、とても話題になる。

 ふと、価値基準が無いからこそ、お金で数値化する必要があるのではないか、と思ったのです。普通、人間には文化があり、それぞれの価値基準というものがあります。どんな価値基準を作るかは自由なんですが、それなりに集団が存続するものであれば、何でも良いんです。集団がまとまり、外敵に備え、豊かな生活ができる、そういう「人間関係」を支える価値基準であれば、何でも構わない。

 そして「普通の文化」には、価値基準が複数あります。なぜなら、人間はそれぞれ違うからです。なので、多くの人間が、それなりに「自分には価値がある」と思えるようになるためには、価値基準は複数あったほうが良い。商業的に裕福になる、という価値観。宗教的に生きる、という価値観。職人として道を極める、という価値観。そのどれもは、別々のベクトルで、比較できるものでは無い。ビジネスで成功して大金持ちになった人と、悟りを開いた人と、世界で最高峰の職人の、どれが一番すごいかと比べることは出来ないんです。

 アメリカという新興国家(歴史はせいぜい200年ぐらい)は、宗教もなく、文化もなく、始まりました。移民が作った国ですから、それぞれが元々、持っていた文化、そして文化に付随した価値観はあったでしょうが、それが、言語が「アメリカ英語」になっていくように、世代を重ねるごとに醸成され、一つの価値観になっていったのでしょう。それが「お金」なのではないか、と思ったのです。

 例えば、カルロス・コレアの再契約騒動があったでしょう。あんなこと、日本では考えられない。どういうことかというと、コレアはずっとアストロズっていうチームにいて、1年前に、ツインズと3年契約したんですが、去年(22年)、なかなか良い成績を残したんです。そしたら、オプトアウトっていって、ツインズとの契約を破棄して、他にもっと高く契約してくれるチームが無いかと探し出したんです。結局、出戻りでツインズと再契約したんですが。ま、MLBでも珍しいですが、日本だとこの動きは100%、考えられないですよ。

 高い給料をもらえるところに行くのが当たり前じゃないか、と言えば、そうなんです。お金を最大化するということで言えば、コレアの動きは正しいし、ほとんどの選手も、そうやって動きたいと思うはず。一方で、チーム愛だとか、自由にプレイできる方が良いとか、他の価値観もあるわけですが。あくまで比較的の話ですが、アメリカの場合は、他の価値観が他国よりもずっと弱いと思う。

 「お金という価値観」が強くなっていったというより、他の価値観が弱くなったんだと思います。日本もそういう流れです。価値観というのは、人間集団からしか生まれません。集団で認められることが「価値」なんです。人間はね、褒められたいんですよ。他の人に褒められるというのは、何よりも嬉しいことです。そういう価値観が無くなった、ということです。それは、価値を共有する集団が無くなったからです。人間集団が解体していって、個人化していく「自由な社会」は、お金の社会です。他者と共通の唯一の価値観が、お金になっていくわけです。

 そもそも、伝統的な社会において、価値観は多数あるという話をしました。それは、多くの人に居場所を作るためです。多くの人が、それぞれの才能を発揮できた方が、社会として生産性が良くなるからです。お金も、これと同じ問題を抱えていて、個人化すると「お金」という単一の価値観になっていくのであれば、より多くの人が「お金」という価値の中で、居場所ができるようにしないといけない。お金は、あくまで道具なのですから、何のために使うのか、ということです。社会の生産性を高めて、世界を良くするために在るのです。

 そういう流れは着実に出来てはいて、例えば、NPOなどの「利益を産まない事業」への補助とかも、そうです。シンプルな市場経済という仕組みでは、価値観が単一になり、活躍できない人が多くなるので、それを補うために、NPOという制度が出来る。「お金が全て」という状態にならないように、お金の仕組みを福祉的に変えていく、ということです(定義の問題ですが、それを福祉と名づけている)。「個人社会」では、そのようなお金の動きになる。今の社会が目指していく、理想とする方向は、その方向だと思います。

 とはいえ、そもそもそれは「個人社会」という土台の上に成り立つものであって、それでは、まだ「まし」にはなるだろうけれども、個人社会の根本的な問題である、孤独とか不幸という問題を解決するものには、ならない。お金があるけど不幸せ、という状況になる。社会のエネルギーも少なくなる。中国の「寝そべり族」などは、生きていけるんだから、最低限の働き(お金の稼ぎ)で良いじゃん、となる。福祉を逆手に取るようになる。

 これも、そもそも論ですが、人間が何のために活動するかというと、他者のためなんです。人間は、そういう生き物です。「自分の欲」のために動くという人は、少ない。そりゃあ、いますよ。欲が強くて、自分一人でも色々やりたい人は。でも、その欲も大抵は、他者に認められたいという思いがある。お金という幻想が社会で薄れれば、お金を稼ぎたいという欲も薄れる。人に「大したことない」と思われるからです。そうやって、社会の活性が低下していく。滅びていくわけです。

 人間社会のモチベーションをいかに上げるかという意味でも、コミュニティしか解決策が無いと思います。コミュニティを再形成する、いや、再形成というと今までのコミュニティを復活させるというイメージあるから違いますが、コミュニティを新設していくという方向が良いと思います。それがもっともシンプルに「活躍できる場所」を作る枠組みであり、社会の生産性を上げて、世界を良くしていく方向です。

 お金に関して言えば、アメリカは日本より一歩先を言っています、というか、日本がアメリカの後追いをしているんだと思いますが。子分なので。で、日本もこの先、このままいくなら、お金が全てという価値観がより強くなっていき、そこからの反動で、右傾化するとか、ロハスに行くとか、多種多様なコミュニティが形成されるという方向になると思います。当然、今もなっていますが、まだまだそれが進んでいきます。お金の社会にハマれなかった人たちが、居場所を求めて結集していくという方向です。が。根本的解決ではありません。またあした。

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