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資本主義とヒューマニズム

 何が正しいか、何が善であり悪であるか、という絶対的な基準なんて世の中にはありませんので。なので、何か基準を設けたら、価値観ができるわけです。資本主義とか共産主義とか国粋主義とか原理主義とかになるわけです。で、僕はどう考えているかというと、人間中心主義、です。英語にすればヒューマニズムなのでしょうけれども、一般的な「ヒューマニズム」の意味とは、かなり違うものだと思っています。

 例えば、僕は100人ぐらいの集落で生活するのが、人間にとって最も良いと思っているわけですが、なぜかといえば、その程度の集団が最も人間が安心感を得られるサイズであるから、です。そこでの物差しは、人間です。人間がそう感じるから、そうする、というだけの話です。ヒューマニズムというと、心温まるストーリーみたいな意味になっちゃいますが、人間が感じる、例えば競争心とか嫉妬心とかそういうものも、なぜ起こるのか、そもそも起こすのが人間であり、それを前提とする、っていう話です。

 現代日本が何主義かというのは色々な表現方法があると思いますが、とりあえず、資本主義と民主主義としておきましょう。資本主義とは、資本(金融資本)の増大を善とするものです。民主主義とは、みんなの意見が正しいとするものです。資本主義のためには、人間が孤独になった方が良い。孤独になれば、欲望が増えます。満たされず、安心もしていないからです。なので消費が増えて、生産が増える。資本は増大する。そして、そのような欲望を皆が抱えれば、欲望は民主主義としても肯定される。故に、資本主義と民主主義は相性が良いです。

 資本主義なのですから、人間主義(ヒューマニズム)ではありません。資本増大のためには、人間が不幸になれど、資本主義ですから資本が増大すれば正しいわけです。もっとも、あまりに人間をないがしろにすると、いくらなんでも民主主義的に否定されるので、そこがブレーキになるとは思いますが。さて、話を戻して。100人ぐらいの集団というのも、人間主義の結果です。また、環境問題も、僕はそういうふうに考えます。人間のために、環境は保護された方が良い。地球のためとか、動物のためでは無いんです。

 環境問題の謳い文句で、地球を救おうとかありますが、環境汚染されようが何しようが地球にはさしたる影響は無いわけでして。地球のためだったら、何もしなくてもいい。人類の活動なんて、地球にとってはどうでもいい。環境問題も、当たり前ですが、人間のためなんです。というと、ヒューマニズムですよね。一方で、環境規制とかで資本の増大が止められてしまえば、資本主義的にはマイナスです。なので炭素排出量の取引とかで強引に、資本主義的な文脈にもするわけです。

 人間主義の元は何かというと、文化とは関係なくホモサピエンスに共通するものであり、その上に、文化的なものもあります。ベースとして、ホモサピエンスとして共通するものは何か、と探り出す必要がある。砂糖はほとんど誰にとっても甘いし、パンは美味しいし、プラスチックは食べられないし。その程度の共通項は、ホモサピエンスとして、あるわけですよ。で、僕は100人集団というのも、そのレベルでベーシックなものだと思っています。だけど、一番、見過ごされがちなところなので、そこを対処しているってことです。

 ってことで人間主義で行くつもりなんですが、資本の増大とか、また、原理主義のように聖書があるわけでは無い。なので、まず「人間とは何か」ということを探るという、いわば、聖書というか、経典を科学的に作るという作業が必要になりますね。ま、でもそれは細かい話でして、例えば孤独は群れれば解消されるし、食べ物も、明らかにファストフードよりは伝統食の方が良い。100点じゃなくても、現状が20点ほどであれば、60点とかは明らかに狙えるわけです。ということをやっている、って話です。またあした。

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