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お金は何のためにあるのか

 お金は何のためにあるか、というと、人に頼むためにあるんです。お金は、すべからく、人に何かをしてもらうためにあるのです。お金の役割は、人に動いてもらうことです。ということは、そもそも、人に頼らずに生きていけるのならば、お金は必要無いんです。

 よく、人に頼りたくないから、お金を稼いで自立したいと言う人もいますが、それは、目の前で頼っていないから見えなくて頼っているつもりにならない、というだけのことです。ファミチキを食べていることは、鶏を殺すことかどうか、ってのと似たような話です。ファミチキを食べることは鶏を殺すことではない、と考える人は、お金を稼げば人に頼らずに生きていける、と考える人と同じです。

 もちろん、現代はその考え方が主流ですので、ファミチキを食べて鶏に心を痛めることもないし、自立したいがためにお金を稼ぐわけです。ファミチキを「買う」ということは、鶏を育てる人、その餌を育てる人、さばく人、調理する人、ファミマの店員、という多くの皆さんに「頼っている」わけです。

 さて、ポイントは「人」に動いてもらうために必要、もっと言えば、人に動いてもらうための手段の一つである、ということです。ですから、お金がなければ生きていけないという人は、まず、人に動いてもらわなければ生きていくことが出来ないと思っているし、人に動いてもらうにもお金を渡さなけりゃ人が動いてくれない、と思っているわけです。じゃあ、お金を使わないためには、まず、お金ではなく動いてくれる人に頼ること、もう一つは、人に動いてもらわなくても生きていけるようにすることです。

 お金で動くのは「人」だけです。他のものは動きません。例えば、猫は動きません。なので、猫に小判なわけです。というか、人以外は全て、お金では動きません。ですので、お金で動かない人を見ると、ひょっとして、こいつは人じゃないんじゃなかろうか、なんて思ってしまう。悪く言えばバカ、良く言えば超越した聖人と思われる。普通の「人」はお金で動く社会です。

 生きていくためには、空気、水、食べ物、家、エネルギー(火)などが必要で、これらは、人よりも、自然界の動植物に頼った方が良いんです。米を生み出しているのは水と光だし、ファミチキを生み出しているのは鶏です。お金があればなんでもできる、という人は、世界が「人」で成り立っていると思っているし、人間は何でもできると思っているんです。もちろん、そんなことは無くて、人間が出来ないことは、いくらお金があっても出来ません。それと、お金があっても動かない人も普通にいるので、そういう人しかやれないことも、出来ません。

 何が言いたいかというと、現代社会では、ほとんどの人がお金に囚われていると思うし、お金が無いから自死してしまう人もいる。でも、そもそもお金の役割を「お金で動く人を動かすもの」ぐらいに思っておけば、なんだ、それだけか、というふうに相対化できる。お金が絶対的なものだと思えなくなる。

 都会の方が、お金の世界なのは、お金で動かない動植物が少ないからです。田舎は、お金をかけなくても、種をまいて日がさせば、食べ物ができるわけです。それは、植物の世話と、食べ物のトレードなわけです。人以外とのトレードです。水が欲しければ、ホースなどで沢から引いてくる、これも、そういう労働とのトレードです。土地と自然があれば、お金がなくてもモノが手に入るので、お金が必要なくなる。

 もしくは、お金で動かない人に助けてもらうというルートは、例えば、宗教団体に入るとかもそうです。新興宗教じゃなくても、出家してお坊さんになって托鉢するとかも、お金で動かない人に助けてもらうわけです。ヒッチハイクをしたりもそうです。僕の体験上、こういう人は意外といます。たぶん、皆さんが思っているよりも、お金で動かない人は多い。だって、皆さんも少なからず、そうでしょう。逆に、お金だけで動く人の方が珍しい。ま、これは「個人」の話で、「法人」となると、より、お金でしか動かなくなりますが。

 我々は、お金が全ての世界に生まれ落ちてしまっているので、それが当然だと思ってしまうのですが、逆なんです。まず、この世界がある。そして、自分の肉体がある。どうやって生きていくか。生きていくためには、モノが要る。食べ物、水、家、エネルギー。それを、どうやって手に入れるか。自分で手に入れられなければ、人に頼む。で、頼んでも動いてくれない、助けてくれない人に、じゃあ、お金で動いてもらうか、という順番なんです。もしかしたら、お金じゃなくて、モノとか言葉で動いてくれるかもしれない。

 お金というのは、非常に狭い範囲なんです。その狭い世界を全てだと思ってしまう。人間の範囲は、本当に狭いんです。感覚の範囲は狭い。学生の時は、学校が全てだと思ってしまうから、学校で居場所がないと自死したくなってしまう。もっと言えば、人間が実感できる空間の範囲なんてせいぜい周りの数キロぐらいだし、時間の範囲もせいぜい前後数年ぐらいがマックスだと思います。超狭い。人間の感覚は、そのぐらいです。そして、うっかりすると、もっと狭くなる。今日が悪い日だと死にたくなるぐらいのものです。

 ってことで、我々の感覚はすごく狭い、その狭い感覚で捉える世界を全てだと思ってしまう、お金もその狭い世界の一つだということです。生きるということは、もっと広いことだし、自由なことだということです。はい。またあした。

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