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損しているという感覚の正体

普段、仕事をしていて、損している感覚を感じることがある。はぐくむの仕事は人の人生を豊かにするお金には換えられないような価値を与えているし、社会にとって意義がある仕事だと、折に触れて感じている。しかし、金銭的リターンという観点でいうと、とても非効率だ。たくさん資源を投下しても、売上を上げるのが難しい(もっとベターなやり方があるのでは?というお話は耳の痛いご指摘です)。LIFE DESIGN SCHOOLだと、売上が上がった後、参加者の人生が豊かになるように、精一杯の関わりをする。ここでも、たくさんの経営資源を投下する。だから意味がないと言っているのではもちろんないし、だからやりたくないという話でもない。やりながら、なんか損してるな~という気分になることがあるのだ。最近、山口周さんの「ビジネスの未来ーーエコノミーにニューマニティを取り戻す」という書籍を読んでいて、この損している感覚の正体がわかった気がする。

この記事では、その損しているという僕の感覚の正体を明らかにしたい。普段、仕事をしていて、「社会にとって意義がある、いいことしてるはずなのに、なんだかな〜」と感じている人に、ぜひ読んでいただきたい。

市場の限界

損している感覚を説明するために、まず、経済合理性(市場)で解決できる問題には限界があるという話を紹介しよう。

(※以下は、山口周さんの書籍を読んだあと、記憶の限り殴り書きした文章です)

ビジネスの本質は問題解決だ。その問題に関して、難易度と普遍性という二軸でマトリックスを作った時に、まず資本はAの領域に集中する。

問題解決が容易(資本効率が良い)で、かつ問題が普遍的(つまり、市場規模が大きい)な領域だ。問題が普遍的であるため、国内のニーズを満たし切った後、地理的拡大(グローバル化)することができた。日本は家電市場において、この方法で成功を収めてきた。新たな需要の創出で、GDPはどんどん伸び、ものすごいスピードで経済成長した。

グローバル化と市場の限界

しかし、地理的拡大で先送りにした問題は時間の経過とともに顕在化してくる。A領域の問題が解決された後、ビジネスはBの領域か、Dの領域か、どちらかに進むことになる。大企業は市場規模が大きいため、Bの領域に進むことが一般的だ。市場規模を必要としない小規模事業者や個人はDの領域でビジネスを展開できる。こうして、世界はなんとかGDPを拡大し続けてきた。しかし、近年世界全体の経済成長率は停滞し始めている。アフリカが最後の市場だと言われているように、地理的拡大にも限界が見え始めている。マーケティングによって不必要な消費を喚起し、消費を増やしていくやり方も、環境問題がもう限界まできているというところで、倫理的な問題となっている。世界は、もう成長できないのだ。

経済成長の限界に到達したこの世界は生きるに値する豊かな世界か?

では、そんな世界で暮らしている人に目を向けてみよう。物質的な豊かさを獲得した私たちは、幸せといえるだろうか?格差が拡大し、経済的に恵まれていない人はたくさんいる。日本の子供の貧困率は10%を超えており、OECDの中で最悪の水準だ。うつ病が蔓延し、生きづらさを抱えている人たちが沢山いる。僕は教育を活動のメインフィールドにしているが、僕の視点から見えている教育は、子供の未来の可能性を広げるものには見えない。まだ解決されていない問題はたくさんある。それが、Cの領域の問題だ。

経済合理性限界曲線を描いたときに、その外側にプロットされるような問題だ。この問題を見過ごしていて、私たちは人間と言えるのだろうか?サン=テグジュペリの言葉を引用して、山口さんは主張している。

人間であるということは、まさに責任を持つことだ。おのれにかかわりないと思われていたある悲惨さをまえにして、恥を知るということだ。仲間がもたらした勝利を誇らしく思うことだ。おのれの意志を据えながら、世界の建設に奉仕していると感じることだ。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『人間の大地』

市場が解決できない問題を解決する原動力とは

経済合理性の外側の問題を解決するためには、経済合理性以外の、何か別の動機付けが必要になる。それは、人間の根源的欲求に他ならない。美しいものを見たい、自然を感じたい、困っている人を助けたい、創造的な活動がしたい、人の役に立ちたい。
(はぐくむでよく使う言葉で言えば、「願い」だと言える。その願いを形にした仕事のことを、LIFE WORKと呼んでいる。)

書籍の中では、オープンソフトウェアのLinuxの例が紹介されていた。Linuxといえば、コンピュータの世界で知らない人はいない、いろんなシステムの基盤となっているソフトウェアだ。しかし、誰か特定の個人や会社が構築したものではなく、いろんな人がボランティア的に改良を加え、今の形に進化してきたソフトウェアだ。コードは*行、工数を見積もると約8600億円になるという。これを経済合理性の中で行うのは不可能だ。これに参加した人のモチベーションは、Linuxのビジョンへのワクワクや楽しさだろう。

そして、C領域を解決するために必要なシステムとして、贈与システムの導入を挙げている。贈与とは、見返りを求めずにする行為のことだ。ボランティアなどがそうだ。また、今挿入の是非が議論されているベーシックインカムも贈与だという。Linuxに貢献してきた人は、名だたる企業でフルタイムで勤めていて、安定的な収入があった人たちだった。確かに、ベーシックインカムのような制度が整えば、C領域のビジネスでの収益がそれほど上がらなくても生活できるため、C領域で活動したい人は増えるだろう。

損している感覚の正体

話を自分の話に戻そう。僕ははぐくむが教育事業として取り組んでいることは、経済合理性の外側の領域だと思う。問題の普遍性は、潜在的にとても高く、解決する難易度はとても高い領域。すでに紹介している図でいう所の、B領域の中の経済合理性曲線の外側に当たる。

しかし、はぐくむは株式会社なので、税金の優遇を受けられるわけでもないし、寄付をいただいているわけでもない。「いいことしているのに、儲からない!」と心の中で言っている自分がいる。これが、損している感覚の正体だと思ったのだ。

そんなこと言っても仕方がないので、実力を磨いて、工夫を重ねる日々を積み重ねる所存であります。頑張れ自分!笑

目に見えないものを感じ取る

そしてもう一つ書いておきたいことがある。僕はハッピーだということ。

精一杯になるとつい忘れてしまうが、大事なことは、お金は目に見える形での、仕事の報酬の一つにすぎないということ。僕が今の仕事から受け取っているものは他にもたくさんある。LIFE DESIGN SCHOOLの中で関わった参加者がより豊かに生きられるようになったという喜び、自分自身の成長の機会、自分がいいと思ったことをやれていることで湧き上がってくるモチベーションなどなど、あげればたくさんある。

偏差値やお金などの数字は明確であり、自分を証明するものとして都合がいい。故に、人を惹きつける力がある。しかし、目に見えない価値あるものもたくさんあるのではないだろうか?目に見えないものを感じられることが、心の豊かさにつながると僕は思う。

経済成長が限界を迎え、成長し続けることは幻想だったと示された。科学が唯一絶対の真理であるという認識も、打ち砕かれた。時代は目に見えるものの追求から目に見えないものも同時に大事にする方向性に向かっている(向かわないといけない)。はたらくの未来も、人間として大切にしたい目に見えないものを大切にできるような働き方が実現する方向に向かっていきたい。

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