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未知との遭遇

残念ながら、UMAに遭遇したという記事ではありません。

昨日、はぐくむが創業初期に開催していた、対話イベント「カンバセーションカフェ」を開催した。

自分はグループホストで参加し、30代女性、40代女性、そして、1才のお子さんのお父さん(赤ちゃんも一緒に参加)、4人のテーブルだった。

テーマは、「より豊かな社会に向かっていくために、今の時代に求められていることは?」。
誰も行き着く先を知ることのない対話は、さまざまな話を経て、「未知との遭遇」という話になった。

いつも、より良い教育とは何か?ということを漠然と考えている中で、未知との向き合い方は、一つの重要なテーマだと思っている。
今週ちょうど友人と毎週noteを書くという宣言をしたところだったので、このテーマについて、思うことを色々書いてみようと思う。

未知から連想される言葉

未知は、僕の中でさまざまな言葉と結びつく。

例えば、挑戦には未知がつきものだ。まだやったことがない領域への挑戦、達成したことがない難易度への挑戦、今まで関わってこなかったような人たちと関わる挑戦など、これまでと同じようにできるか未知であるからこそ、挑戦と言う。挑戦から連想されるのは、成長だ。ストレッチゾーンに挑戦するからこそ、成長するというのは、よく言われることだ。未知と成長もどうやら関係がありそうだ。

未知は人と人との関係性においても、常に存在する。ジョハリの窓で既知であると言えるのは、OPEN SELFだけ。人間関係はいつも未知を内包したまま存在する。AさんがBさんの未知の部分が大きいと、関係性は浅い状態であり、OPEN SELFが広がれば(=未知が解消されれば)関係性は深まっていく。

https://research.lightworks.co.jp/johari-window

未知は可能性だ、というふうにも言ってみよう。挑戦し、成長することで可能性が広がるし、人と人は未知を乗り越えて分り合うことで繋がれる。知らなかった選択肢や生き方に出会う、知らなかった自分を発見することも、可能性につながる。

未知から連想される言葉を並べてみて、人は未知の領域に飛び込むことで、成長し、人とつながり、価値観を広げて、自分の可能性を広げる、ということが見えてきた。

未知って、なんて素晴らしいんだ!

豊かさを阻む未知への恐れ

ただ、未知はいいことばかりじゃないかもしれない。僕が重要だと思うことは、未知は「恐れ」とつながる場合もあるということだ。未知であるが故に、結果は予測が難しく、未知に飛び込んだ末に、自分が恐れている結果を招くかもしれない、ということが恐れに繋がっているのではないか。

ゆえに、未知をどう捉えるかは、人によって、または対象によって、人それぞれだろう。例えば、知らない国に行くことにワクワクする人もいれば、怖いなと思う人もいると思う。人でも、同じで、初めて会う人にワクワクする人もいれば、苦手な人もいるし、初めて会う人でも、年上の男の人は苦手など、属性によっても違いがあるかもしれない。

未知には、恐れが付き物だ。わからないから、カンボジアだったら「物を盗まれたらどうしよう」とか、「病気になったらどうしよう」とか。人だったら、「自分のことを否定されたらどうしよう」とか。

僕が初めて訪れた国は、カンボジアだった。スタディーツアーとは言え、少しドキドキしながら渡航した気がする。でも、行ってしまえば、そこには刺激と発見に溢れていた。

初めて訪れたカンボジア

豊かさにつながる未知へのオープンさ

このように、未知は、場合によっては不快な感情を引き起こすので、避けたいと思う心の動きは誰しもが持っている。
しかし、「未知との遭遇」は、価値観を広げたり、人生に刺激を与えてくれる。

だから、「未知へのオープンさ」があるということは、とっても重要なことだと思う。さまざまなことに挑戦する意欲にもつながるし、他者との違いを受け入れ、理解する多様性の素地でもある。

今の時代において、「未知へのオープンさ」の重要性は、増す一方だ。社会が複雑化し、社会はどんどん変化する。それに伴い、さまざまな領域で、「自律」がキーワードになっているように思う。

その時、目の前にいた1才の赤ちゃんに目が向く。

赤ちゃんを見て生じた疑問

赤ちゃんは、「未知へのオープンさ」が半端じゃない。
赤ちゃんは、好奇心旺盛で、失敗を恐れずに、なんでもトライする。
例えば、自分が立って歩けるという保証はどこにもないにも関わらず、立って歩くことに挑戦し、何度失敗しても立ち上がり、ついには、成功する。そういう姿を見ていると、すごく心を動かされる自分がいることにいつも気づく。(もし、大人がこのような姿勢を持っていたら、自分に持っていないものに対する尊敬として、その人は周りから一目置かれる訳だが、よくよく考えてみると、誰もが生まれ持っている姿勢なのではないか。

ここで一つの疑問が生じる。「人間は生まれながらにして未知へのオープンさを持って生まれるとしたら、なぜそれが損なわれていくのか?」ということだ。

終わりに

本当はこの先をメインで書きたかったのですが、悪い癖でついつい導入が長くなってしまいました💧文章にアウトプットするのって難しいですね。。
毎週note更新宣言をしているので、稚拙な文章でも毎週アウトプットすることを目指します!
次回は、上記の疑問について掘り下げてみたいと思います!

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