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名刺は「顔」になっているのか

名刺は顔だとも言うけれど。
デジタルで連絡先と名前が交換できたらOKという、ある種流れ作業的な風潮も無きにしも非ずやなあ、とぼんやりと思ってみた。

個人事業主さんや企業トップの方のこだわりぬいたお名刺をSNS上でふと見かけると、ああ素敵!捨てられないかわいいかっこいいとう感情も感じはする。ただ、企業の内側で一社員として仕事をしていると、スキャニングして取り込まれるのはやっぱりデザインではなくデータなことも事実である。

とあるSNSで見かけたポストに「こんなに素敵なお名刺にメモなんて書き込めない、それくらい素晴らしい」と言うニュアンスを先日お見かけした。ああ、人と人とが交流をして、感動の間にあるお名刺なんだなあと感じる一幕である。

そもそもメモに書き込まないと特徴が思い出せない希薄な関わりもどうかと思うが、それでも物理的にいただいたかっこいいなり、かわいいなりの感情が動くお名刺は記念に取っておきたくなる気持ちも想像できる。でも、だからと言って関わらなくなってしまったらやっぱりそのお名刺のこともきっと忘れてしまうかもしれない。でもあの一幕のあのお二人は、すごく温かいコミュニケーションがあったのだろうなと妄想が進んで妙にほっこりしたのでした。

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私は個人で活動している時の名刺的なものは持っていないのですけれど。その人の顔を想像しながらお名刺を眺めて出会いを反芻したくなるくらい素敵なやり取りが育まれるなら、そのまま飾って宝物にしたくなるようなお名刺にちょっとどころかだいぶと憧れが芽生えたのでした。

最近新しく植え始めたラナンキュラス。二つ目の蕾も少しずつ開いてきてかわいい。

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