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炊くことによって

蓄膿はだいぶ良くなりにけり。春の匂いも嗅ぐことができる状態になってまいりました。

いかがお過ごしでしょうか。

飯を食べても美味しく頂ける状態になってまいりましたので、ふるさと納税で得た鯛のアラで炊き込みご飯等を作ったりしてみました。

焼いて身をほぐし…
骨と昆布で出汁をとり…
炊き込んだ訳だ

美味しかったは美味しかったけれど、手間かけた割には…という仕上がり。

炊飯器じゃなくて土鍋で炊けばよかったのかね。べちょっとした仕上がりになってしまいました。

手間かけた割に…というのはままある事で、時間かけて作ったものが必ずしも良いものとは限らず、曲なんかも感性一発で作った方が良いことが結構あるように思う。

ロックンロールマナーな曲は感性に委ねてパッションで作った方がしっくりくること多し。

聴く側の多くもまたロジックよりもまず各々の感性によって作品を享受するだろうから、感性、パッションの感じをいかに曲に宿すかっつーのは大事なように思う。

感性に訴えるようなメロディ、それに乗る言葉なんかは教則に則っても生まれづらいし、踊れるかどうか、というのは更にパッションが重要で、踊ってないやつ(身体、精神共に)には踊れる曲書けないんじゃないかしら、等とも思う。

音楽っつー聴覚ベースの表現物ゆえの特性かもしれない。直感が大事。

料理も最終的には味覚で感じるわけだけど、そこにたどり着くまでの製造工程は直感的なものよりロジカルな積み重ねが先ず大事なように思う。

しょうゆ大匙2…皮側を強火で2分焼いて、弱火で5分…等数値的に管理された工程を踏むことが重要な気がする。ロジカル。

でもあれか。決まったレシピに忠実に調理するのはロジカルな方が良いけど、創作で料理作るときには直感が必要なのかな。ひらめき的な。

そういう意味では0から1の段階においては料理も音楽も直感がやっぱり必要なのかもしれない。

直感から膨らませて肉付けする段階では今度ロジックが重要になると思う。
そういう意味でいくと、レシピに数値的な仕様があるように、音楽も音階、音数などロジカルな工程があるか。方法論が分からないと、意図した方向に作品を導くことができないもんな。

作曲中もロジックが必要な局面で停滞する事が多い私が鯛の炊き込みご飯作ってべちょっとさせてしまうのは偶然ではない気がしてきた。

直感だけでもやはりいけない。

とりとめない話をダラダラ書いてしまった。


久しくソロでライブをやってなかったので、最近結構やっている。

新しい曲も作っている。

ソロでやりたい音像があるんだけれど、その音像に則した曲ができずにいる。ここは直感待ち。

5月にもライブやるから何曲かは間に合わせたいンゴね。

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