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2023年湯河原町へのラブレター

2023年を振り返って、なんといっても町長選に出馬した事が私土屋の一大ニュースでした。
町長選では4570票をいただいたので、その中から自分で投じた1票を抜かすと私以外に私へ投票した方は4569名いらっしゃったという事。

私はこれをとても誇りに思います。

私を信頼し、私を選んでくださった方々に改めて心より感謝をいたします。

そして、私を選ばなかった方々にも、白票や投票に行かなかった事を含めて、それぞれの皆様の選択を尊重いたします。

これは私の持論ですが、過去の自分の選択は全て正しかった、と思うようにしています。と同時に、過去の自分以外の方々の選択も正しかったという事です。私個人としては全力でプロポーズをした相手に振られた様な、しばらく立ち直れない大失恋の痛みはありましたが、今ではその選択は正しかったのだと思えます。

その上で、湯河原町に対して、私が考えている事を書きたいと思います。

湯河原町はこれから益々少子化が進んでいきます。
湯河原町は他の自治体に比べてもとても公園が多い町なのですが、近所の公園を覗けば、学校から帰った小学生や、お散歩している保育園の子どもたち、可愛らしい赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しているお母さんやお父さんが見かけられるでしょう。
その姿も、刻一刻とひとり、またひとり減っていきます。町中から子どもたちの元気な声が無くなっていくのは寂しい限りです。

湯河原町はこれから益々財政が厳しくなっていきます。現時点でも財政はかなり硬直化(自由に出来るお金が少ない状態にある事)していますが、それに加えてインフラの整備、建ててしまった公共の施設の維持管理に追われ、益々町が自由に使えるお金は無くなっていきます。
これから新規にあれをやろう、これをやろう、という事に町の税金をかけることはできません。抜本的改革をしなければ、新規事業と言われるようなものはほとんど立ち上げる事はできません。

湯河原町は益々経済の発展が見込めません。現在湯河原町は県内でNo.1、No.2、を争うほど高齢者が多い町です。これまで以上の経済効果が見込める様な、全体的に町が発展していく様なエネルギーは持っていません。町の経済発展には若い働き盛りの人口がある一定程度必要ですが、若者はどんどん湯河原町から出ていってしまっていて、これを大逆転させる事は到底無理だと思われます。イノベーションを起こすには若き力と余所者を受け入れる体制、それから新しい事に挑戦できる柔軟さがないと難しい。先細りな経済をどうにか長引かせる様に繋いでいく事しかできません。

いつか湯河原町はなくなるかもしれません。
近隣の自治体によって合併吸収される事も数十年後にはあり得ます。人口が減り続け、インフラ事業が町独自でまわらなくなるからです。もしかすると、自治体の運営ではなく、県や国の運営に委ねることで生き延びようとするかもしれません。その時には「湯河原町である」ということを手放す時代がやってくると思います。湯河原町ではなくなって、どの様な形態になっているか、そのときに「湯河原町」というアイデンティティが残っているのかが気になります。その時が来ても、私は湯河原町民として生きたことを誇りに思おうと思っています。

でもそれに気づいている人は少ないです。子どもがいなくなっても、財政が破綻しても、新規事業ができなくても、湯河原町がなくなったとしても、死人が出るわけではありません。急に生活ができなくなるわけではありません。そして、もしそうゆう事になるとしたら、あと数十年くらい後じゃないかなと思うので、今生きている人が困る事はないかもしれません。今生きている私たちは、少しづつ少しづつ、にじりにじりと生活が不便になっていくだけです。あまりにも不便であれば、湯河原町からもう少し便利なところに引っ越せば良いのです。だから、そんなに危機感は感じていません。そして、危機感を感じている方はとっくにもう湯河原町から出て行っています。私はというと、危機感は感じているものの、湯河原町で生まれたから「じゃぁどこか別のところに行けば良いや」とはまだ思えません。

それでも湯河原町は幸せな町になれると信じています。私は湯河原町の温暖な気候と、大らかな町民性が大好きです。のんびりとしていて、多少のことなどは気にしない、そんなところに心からホッとします。それが湯河原町らしさであり、湯河原町の人たちはそんな町にゆるゆると流れる様に委ねる様に生きていて、それがとても湯河原らしいのです。
情に脆くて、人に流されやすくて、困ってる人がいたら助けてあげて、でも決して出しゃばらない。
そういった町民性と、町の雰囲気で、誰もが心地よく過ごせるはずの町なのです。今まで通り、これまで通り、そういった湯河原町を選択して来た湯河原町民です。そのものこそが湯河原町のアイデンティティなのだと思います。それが少しでも長く残っていれば良いなと感じます。最後の最後まで、もしかしたら湯河原町の人は幸せなのかもしれないとも思います。

湯河原町の未来を決めるのは湯河原町民です。
それには正解も不正解もありません。ただ、そこにある湯河原町は今までもこれからも、湯河原町民の日々の選択によって作られていくものです。
ですから、今の湯河原町は今の湯河原町民の総意なのです。
プロポーズをして振られてしまった湯河原町ではありますが、そんな湯河原町がやっぱり好きで、諦めきれず、なんだかモヤモヤとした2023年でした。
魅力的な我が町に、いつか振り向いてもらえる事はあるのでしょうか?
そんな事を考えながら、この町でまた1年を過ごして行きます。皆様、良いお年を。

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