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首長はその町の限界値である

落選してから今日までずっと悩んでいた、悔やんでいた。
寝ても覚めても自分が落選した原因と、こうだったら勝てたのか?という分析を、考えたくなくても頭に浮かんでは消えて浮かんでは消えて、というのを繰り返していた。終わりのない思考の旅と、フラッシュバックにも近い思考の波に、起きていると辛いので、できるだけ眠る様にしていた。

そして、今日、ふと腑に落ちた。
私は今回、どうあっても勝てなかった。
真鶴の不正報道がなかったら、とか、もっと地上戦を仕掛けていれば、とか、議会で他議員とそつなくしていれば、とか、そうゆう問題じゃない事に気づいた。

私は湯河原町を見誤っていた、という事に気づいたのである。

素晴らしい資源にあふれた町である事は紛れもない事実で、本当に美しくて、心地よい。まるで桃源郷の様な町の有様に、その中に住む人々の歴史や個々人の価値観に気づいていなかったのかもしれない。

お隣真鶴町の町長による選挙人名簿の不正の時に、2回選挙に携わって、私が出した結論は「首長というのはその町の限界値だ」というものだった。

最初の選挙と、2回目の出直し選挙も松本町長を応援したのは、松本町長が仲良しだからとか、何が何でも松本さんを町長に置いておきたいとかではなくて、真鶴町にとっては、今ある最善の人だったからである。即ち、それが限界値であるという事だ。

真鶴や湯河原などの田舎町は、どんなに有名で有能な人が現れて選挙に出ても受からない。その町で生まれ、その町で暮らしていて、目に見える人で、会ったことがあり、人柄を知っている人、じゃないと選挙に受からない。

町にとって有益な人かどうか、という判断ではなくて、私にとって実存がある人、という人が選挙に強い。

時は戻るが、私が町長選の出馬表明をした直後に町で出会った旅館関係者に「冨田でいいじゃねぇか!」と言われたことがある。
へりくだってこう言った
「今のままだと少子化も続き、人口も減っています。観光にとってもそれは良くない状況です」
そういうと、その方は
「いいんだよ!移住者もいらない!子どもも増えなくていい!芸者を呼んで、どんちゃん騒ぎしてりゃいいんだ!」と言った。
私は「そうしていっても町はどんどん衰退していきますよ」と返すとその方は「観光だけやってりゃいいんだよ!」と言う。
私はすかさず「それで観光は良くなっていってますか?」と尋ねた。するとその方はちょっと間を置いて「…良くなってるんじゃねーの…?」と自信なさそうに答えたのである。

その場はそこで挨拶をする事で終わりにしたが、あぁそうか、町がどうなるとか、そうゆう事じゃなくて、信じたいものだけを信じている人がいるんだなと学んだ。

正直それが、湯河原町の限界なのだと感じた。

それでも町の大半の人は、首長選挙というのは町の未来を決める選挙である事、選ぶべき候補者が今後の4年間でどの様なことを進めていくのかというのを見て判断して選挙をするだろうと思っていたのだが、どうもそうではないらしいという事が今回分かったことである。

政策や公約や、ポテンシャルとか町の未来とかではなくて、もっと何か違うところなんだろうと思う。

そして、それと同時に、私が選挙に勝つ為には、政策を語らず、どうにかお願いしますと頭を下げて、情に訴え、そこをどうにか、情けをください、と言わんばかりに対面するという事が必要なのだと思った。しかし、それは私にはとてもできない。選挙とは政策を見て、人を見て判断するものだと思うから、私や誰かが「お願い」して町長にしてもらうものではない。だから結局、私はどう足掻いても今回の選挙には勝てなかったのだ。

相手候補の陣営が繰り広げた私に対するネガティヴキャンペーンに対しても、冷静に考えれば良識的な人間はそんなものに捉われるはずはないと思っていたし、そんな事よりも私は一生懸命に、町の未来への政策を語ったし、希望を持ってもらえると信じていた。

だけど、それは選挙に行った大半の方には伝わらなかった様だ。
そしてまた、有権者の半分の方が相変わらず選挙に行かなかったのも事実。

「この町はやっぱり変わらない」選挙が終わってからそう嘆く方のご意見も聞いたが、だって変わらないことを望んでいる方の方が多く選挙に行っているから仕方がない。

いくら今後の町政が今のままでは先止まりで、子ども中心の町づくりをする事により、経済と支援を湯河原町で回す事が唯一の生き残り方法だと訴えても、もっともっと本能的で反射的な理由で判断する湯河原町民が多く選挙に行ったのである。

こう考えると、妙に納得いってしまった。
「議会は町の縮図」だと、度々私は話をしていたが、正に議会は町の縮図だった。滞納者リストを議会に提供して回収をしていない事に異論を訴えた新人議員に対し、謝罪や説明をするどころか、懲罰という多数決の暴力で弾圧をして口を封ずる。
そう言った、反射的で暴力的な行為が、湯河原町の中のところどころで行われていると感じる。

私は相手候補のネガティヴキャンペーンはできないし、政策度外視で情けに訴える選挙もできない。

湯河原町の限界値は冨田町長であり、今回私の出る幕はなかったという事である。

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