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このマガジンの名前『数学する精神』について

(このポストは本マガジンの説明として書いたものです。マガジン内の記事ではありますが、どなたでも最後までお読み頂けます。)

確か2007年の1月くらいのことだったと記憶している。とある大手の出版社の編集者さんから、突然、京都の私の研究室に電話があった。聞けば、私の知り合いの配偶者さんのご友人とかで、初めてお話しする方である。内容は仕事の話で、なんと新書の執筆依頼であった。

今でこそ一般向けの数学の本はとても多い。当時もそこそあったとは思うが、これほど多くなかったと思う。しかし、それにしても「新書」とは!そもそも新書という書籍スタイルの印象は、通期途中のサラリーマンが電車の中で読むようなもの、という感じだった(今でもそうだろう)。今でこそ、数学の新書はそこそこあって、中にはとてもよく売れている(と思われる)ものもある。私も今までに何冊か出したし、これらかも出す(予定はある)。しかし、当時は数学の新書というと、思いつくのは遠山啓が書いたクラシックなものくらいである。だから、「数学の新書を書く」ということに、すぐには明確なイメージがわかなかった。

というわけで、正式にお引き受けする前に、数学で新書を書くことは可能であるという定理の証明●●●●●をしておかなければならないと思った。

編集者の方は二週間後に京大の研究室まで、東京からわざわざお見えになるという。これは大変だ!二週間しか時間がないぞ!

その日の帰りの電車の中で原稿を書き始めた。それから毎日、行き帰りの電車、昼休み時間、夜寝る前など空いた時間に原稿書きを詰め込んだ。

最初は普通に数学の啓蒙書というか、「数学面白いぜ最高!」的な本しかイメージできなかったので、とりあえずパスカルの三角形のような、よく取り上げられるものについて書き始めた。しかし、それが瞬く間に拡がっていき、パスカルの三角形を半平面に広げたり、分数べきパスカル半平面とか、果ては$${p}$$進数にまで話がおよぶにいたった。こうなると、もはや普通の数学啓蒙書とは言えないのではないだろうか。

数学をわかりやすく楽しく解説するなら、ある程度展覧会や博物館や動物園を巡り歩くような内容の書き物になるだろう。普段、観ることのできない動物や文物を鑑賞すると、それだけでワクワクさせられる。

しかし、私が書き進んでいった内容は絵画鑑賞というよりは、珍獣ハンティングのようなものになっていた。こうなってくると、なぜこんなことをするのか、そもそもどうして数学はこんなヘンテコなものを考えるのか、ちゃんと説明する必要が出てきた。

それどころではない。その理由を噛み砕いて説明しようとすると、どうしても「そもそも数学ってなんなのか?」という根本的な疑問を避けて通れなくなる。

そこで、それまで書いていた部分をすっかり本の後半に追いやって、「数学するとはどういうことか?」のような、少々哲学的なことを前半にまとめて書くことにした。そして、前半と後半の間に、こともあろうに「数学の美しさ」などという大それた閑話休題を挿入したのである。

かくして、毎日暇さえあればせっせと原稿を書き進めた結果、二週間のうちにあらかた原稿を書き上げてしまい、編集者さんが研究室にお見えになるときには、すでに密かに原稿ができあがっているという状況になっていた。編集者さんとの打ち合わせでは、はじめはもう原稿ができあがっているなどとはおくびにも出さず、「えー、いろいろ考えてみたんですが、数学の新書となるとどんな感じですかねー、例えば、こういう感じの内容だったら本になると思いますか?」などと困ったような顔をして話し出した挙句、私の言う「こんな感じの内容」を詳細に説明し始めた。何しろ全部書いちゃっているので、いくらでも詳しく説明できる。

ところが、その内容が思いのほか好印象で「素晴らしいじゃないですか!」などとおっしゃるわけで「ぜひ本にしたいです。書いてください!」ということなので、「実はもう書いちゃいました!」と白状した。相当驚かれた。

原稿の修正、初校、再校と出版に至る作業が進む中で問題になったのは、タイトルをどうするか?という問題だった。編集者さんの提案は「数学する精神」というもので、実は最初私は、少々ためらったのであるが、結局これが一番いいかな?ということになった。ためらった理由は「数学する●●●●」というのが、当時はあまり一般的な言葉遣いという感じがしなかったことにある。「数学する」ってどういうこと?と考えてしまうからだ。「数学する」という言葉をタイトルに用いた本は、まだ当時はなかったし、言葉自体が聞き慣れないものだった。

しかし、今ではこの風変わりなタイトルを、私はとても気に入っている。本の方は2007年9月に中公新書から刊行された。13年度の2020年6月には増補改訂版を出した。この本はバカ売れするほど売れはしなかったが、そこそこ静かに話題になり、それなりに好評だったと思う。いろいろな方々に愛読してもらえたようだ。

ともあれ、「数学する●●●●」とは、とてもいい言葉だと思う。なぜなら、よくよく考えてみると、本来数学とは「する」ものだからだ。そして、『数学する精神』という私の最初の本の中で私が訴えていたことも、詰まるところ、数学とは「するもの」なのだということに尽きるように思われるからだ。

数学とは教科書や参考書に陳列されている珍品・資料の類ではない。遠くで誰かが黒板に書いた文字や数字の羅列でもない。それはゲームや料理や運動や読書やおしゃべりや買い物や散歩や昼寝と同じように、主体的な行為として各人が「する」ものだ。それは「する」ことなのだから、数える・測る・計算する・見る・論証するなどなど多くの行為からなっていて、多くの道具や多くの対象を扱う。そして、それは「する」ものなのであるから、「人がする」ものである。「人がする」ものであるから、それは時間と手間と労力がかかる。しかし、「人がする」ものなので、それは楽しい。

さらに言えば、数学とは「する」ものなので、上手な人と下手な人と普通の人がいる。誰でもやれば上達する。しかし、上には上が必ずいる。巧者はいいセンスをしているし、目の付け所も違う。

新型コロナウィルスが蔓延し始めた2020年4月、世の中が大変だった時勢となって数学は無力だった。私は数学者なので、なにかできるとしたら自宅に籠もっている人たちに「数学しょう!」と呼びかけることだ。というわけで、ツイッター上で「$${\sharp}$$数学しよう」というハッシュタグを出してみたところ、これが結構多くの人たちに賛同を頂いて、世間に広がっていった。「数学する」ことは日常になりつつある。そういう世の中になるのはいいことだ。

数学の楽しみ方は無限だ。誰にでも自分の楽しみ方がある。ただの勉強ではない、自由な数学を楽しもう!数学に準備はいらない。いつでもどこでもどんな状況でも数学できる。「$${\sharp}$$数学しよう」で各々の数学の楽しみ方を広めよう!

こうして始まった「数学する=数学しよう!」の運動を、陰ながら進めていく一環として、このnoteマガジンを始めた。だから、このマガジンのタイトルは新書のタイトルと同じく『数学する精神』とした。

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数学にまつわるさまざまな話題(数学・数学と社会・数学と人工知能・歴史・数学者・研究・数学と人間・音楽と数学など)を、月に1〜3回くらいのペースで更新していきます。

このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…

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