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性に依存しがちなADHD女子は映画「哀れなるものたち」に共感しまくると思うけど、どう?

自分語りな映画感想文、書いていいですか?

初めて映画の感想を書きます。

普段、映画の感想なんて、書かない。ぼんやり見て、帰るだけ。そして、忘れていく。
でも、この映画は違う。雨の中、ひとりでトーヨコの映画館に行ったあの日からもう1週間。なのに、忘れられない。ずーっと頭のどこかで考えてる。誰にでもオススメの映画じゃない、あらすじだけ聞いてオエッとなる人も多いだろう。レビューを見ると「★1:ただのエログロ、気持ち悪い」みたいなコメントも結構あった。

もともと感想なんて書くつもりなかったし、セリフの記憶も曖昧。あらすじや監督のうんちく、時代背景がなんちゃら……そんな難しい考察は、他の映画通の人たちのnoteに任せる!
でも、書かせてほしい。そして書く前に少しだけ、今の私の自己紹介をさせてほしい。ほとんどの人が共感できないであろう主人公ベラに私がなぜこうも感情移入し、涙したのか。映画の感想なのに、ほぼ自分語り。私のことから、書かせてほしい。

自己紹介

既婚アラフォー。ADHDの診断を受けたのは7年くらい前。言語凸。本質的な深い対話を好み、浅い雑談はまったく楽しめない。夫とは10年以上セックスレス。相性が悪すぎて行為ができないので、子どもは体外受精で科学の力を借りて授かった。もともとセックスは好きだったので辛かった。女として生きることを諦められず、夜中によく布団の中で子どもたちにバレないよう泣いた。
その悩みをたまたま打ち明けた男性と、そのまま婚外パートナーに。ゆがんだ性的嗜好も、生きづらさに向き合い心の中の沼をのぞく深い知的好奇心も、まるでパズルのようにぴったりとはまってしまって、関係は3年近く続いた。そして、終わった。
今も私の心の中には、大きな空洞がそのまま残っている。個人事業主でやっていた仕事でさえ「彼にふさわしい人間でありたい、成果を出したい、高い年収、社会的なステータス、彼が誇れる人間でありたい」。すべては無意識に、彼に対しての飽くなき承認欲求だった。それに気づいてしまった今、はたらくことへの意欲さえ消えてしまって、こんなふうに、平日の昼間に映画館に行ったりする、ひとりで。

誰に向けて書くか

あ、そうそう。こういうのを書くときは、「どんな人に向けて書きたいのか」を明確にすべきと聞いた。
この文章は、性に依存しがちなADHD女子と、そんなADHD女子の心の闇を垣間見たい好奇心旺盛なあなた。そして、あの映画の主人公、ベラにまったく感情移入できなかったあなたに、お送りしたい。あの映画のどこに、感情移入するの?そんな、あなたに。ほんとのとこ、性依存ADHD女子と、おっさんだらけの居酒屋でビールと焼き鳥つまみに大きな声で下世話な感想を言い合いたい。そういう友人がいなくて、残念過ぎる。

ネタバレしないように気を付けて書く、なんて繊細なことはできないので、感じたことをそのまま書く。でも結果、ネタバレにはならない気がする。ということで、まだ言葉にまとまっていないことも多いけど、1週間たっても脳内にこびりついて離れない「何か」をここに書きつけたいと思う。

★マークからは、感想という名の「自分語り」です。

印象に残った場面5選の自分語り

1.主人公ベラが、エロ男ダンカンとお屋敷を出ていくとき。

ダンカンは「夜中に内緒でこの家を出よう」と誘ったのに、ベラは堂々と、父親的存在であるゴドウィンに「私はダンカンとこの家を出ていく!彼は私のことを守ってはくれなさそうだけど。でも、私は世界を見たい。だから、出ていく!」と宣言する。
この頃のベラはまだ知能が幼児レベルなので、純粋に隠し事ができなかっただけ。うちの末っ子だって、内緒だよってチョコレートあげても次の瞬間には兄に「あのねー!チョコレート、最後の1個、食べた!」って絶対言っちゃうもんね。
なのでこの場面は、「一生このお屋敷からベラを出さずに閉じ込める」と、勝手に決めた婚約者に契約書まで書かせようとした執念の父ゴドウィンと対等に戦い説得し、自由へのチケットを手に入れた!なんて立派な場面ではなく、ただ幼児が自分のワガママを通しただけのシーンなんだけど。

★それでも私は感動してしまった。私も父がすごく厳しくて、小さい頃からお小遣いの増額やアルバイトの可否、門限時間の延長など交渉事はことごとく聞いてもらえず無視され、却下されてきた。なので、こんないい歳の大人になってもいまだに父に意見が言えない。私の意見は聞いてもらえない。父だけでなく、世の中に対して、かなりそう思っているところがある。
だから、無邪気に自分の意志を通した幼いベラのまっすぐさに、自分とは違う強さを感じてしまった。


2.旅先でセックスしまくるベラとダンカン。

セックスしまくり、ダンカンが疲れ切っていびきをかいて爆睡している間に勝手に出て行って、外の世界を見る危いベラ。
愛とか恋とか、相手への変な依存や感情を持たず、純粋に行為として快楽を求めるベラはここでもまっすぐ。

★ずっとセックスレスだったところからパートナーができた私も、正直最初はこんな感じだった。まっすぐだった。お別れしたパートナーが恋しくなる、いかんいかん!
ここまで感情を切り離せたら楽しいだろうな。私はいつの間にか彼に、愛情やら、優しさやら、精神的な癒しやら共感やら、快楽以外にもいろいろなものを求めて依存するようになって、関係が破綻したから。「自分が気持ちいいか、『快楽』という幸せを感じるか」完全に自分に矢印が向いているベラ、私は大好き。
セックスの後、「こんなに気持ちいいことを、なんでみんなはもっとやらないの?」と聞いてダンカンをドン引きさせてたけど、わかる、わかるよ、不思議だよね、あんなに気持ちいいのにね。


3.ベラとダンカンのダンスシーン

高級なレストランでも、食事のマナーはめちゃくちゃ。空気の読めない下品なことばかり言ってダンカンを困らせるベラ。そのうち、オーケストラの奇妙な音楽が聞こえると、ベラはダンスホールに飛び出し踊り出してしまう。男女のペアで優雅にくるくるとフロアを回る上品な紳士貴婦人の中で、ひとりでめちゃくちゃなダンスをするベラ。誰かに見られて恥ずかしい、とか、このダンスを誰かに見てほしい、なんて気持ちは1ミリもない。ただ、踊りたいから。身体を音楽に委ねたいから、ひとりの世界にまっすぐ没入して、目を閉じて、自分だけの動きで、踊る。
ダンカンは慌てて立ち上がり、男女ペアで踊っているように見せるため、なんとかベラにテンポを合わせて一緒にめちゃくちゃなダンスをする。勝手にひとりで踊りたいのに、邪魔だとばかりのベラ。必死に食らいつき、彼女の手を取ってステップを踏むダンカン。この映画の中でも特に、純真無垢なベラにダンカンが思いっきり振り回される「滑稽で面白い」シーン。ひとつの見せ場なんじゃないかと思う。

★けれども…私はこの場面で涙腺が崩壊してしまった。小さい頃から空気が読めず、ADHDな脳内はいつも忙しくて、本当はひとりでへんてこなダンスを踊っていたかった。でも、それはできない。周りから変な目で見られないよう、みんなと同じステップが踏めるよう、小さい頃からずっと頑張ってきた。でも、上手にできない。こんな風に、ひとりで踊れたら良かったな。でも、私にはできない。そんなことして、「あいつオカシイ」って見られるのが怖い。おかしくない、「ふつうのひと」でいたい。
だからちょっとだけ、周囲から浮かないよう、「おかしくない自分」に見られるようペアになって変なステップで合わせてくれたダンカンの存在が羨ましかった。ダンカンは愛情とかそんな理由ではなく、変な女を連れている自分が恥をかかないよう、自分のため、世間体でやっていたのだと思うけれど。そういう人が、欲しかった。自分ひとりでは堂々と立てない、だから、誰かにマトモな社会と繋げてほしい、そう他人の求める依存的な自分。

で、このシーンについて散々考えていたら、あの映画を思い出した。私の大好きな「グレイテストショーマン」。
この中でも一番メジャーな曲「This is Me」。あの歌唱シーンは圧巻だった。それこそ涙が出て鳥肌が立った。ちょっと歌詞を見てみると、こう。

This is Me
前略~
I've learned to be ashamed of all my scars
私は自分の欠点を恥じてきたわ
Run away, they say
どっか行け、人々は言うの
No one will love you as you are
誰もありのままのお前のことなんか愛さない、と

~中略~

I make no apologies, this is me
謝ったりしないわ、これが私だもの
...This is me
…これが私よ

And I know that I deserve your love
私は愛される価値があることを知っている
There's nothing I'm not worthy of
私にふさわしくないものなんて何もないのよ

【和訳】洋楽の歌詞を和訳する趣味ブログ

この歌詞を見てみると、「誰もお前のことなんか愛さない」~「私は愛される価値があることを知っている」。そう、「愛される」「受け入れられる」文脈なんですよね。この時も、さんざん生きづらさを感じて愛に飢えていた私はもう号泣したわけです。「これが、私よ!」かっこいいいいいい。

でも、ベラは胎児の脳をもって生まれたその瞬間からゴドウィンや婚約者、ダンカン、出会う男出会う男に、父性愛や異性愛、そのまんまで愛されてるから、そもそも「こう振る舞わないと愛されない」とか「誰にどう見られるか」とか1ミリもないんです。身体目当てであろうとも、そこに自分への好意が「ある」。当たり前に、空気のように「ある」。そして、そのまんま知性が発達して大人になっちゃうんです。すごくない?


4.豪華客船での上品なマダムとハンサム黒人カップルとの出会い

この二人との知的な会話を楽しみ、本を借り、どんどん知性が目覚めるベラ。私、この2人大好き。カップルって書いちゃったけど、おばあちゃんと孫くらいの年齢差。どういう関係なんだろう。

世界を斜めに見ている黒人青年ハリーと、ピュアピュアでまっすぐなベラ。
彼はそんなベラに、灼熱の世界で飢えて命の危機にさらされ、モノのように死んでいく貧困層の世界を見せる。うまれてから今日まで、恵まれた裕福な暮らししか知らなかったベラは、大きなショックを受ける。

★私はね。私だったらね。明らかに頭が悪い、本なんか絶対読まないオチンコ野郎のダンカンより、知的に新しい世界を見せてくれるハリーを好きになっちゃう、絶対。なので観ながら、「あーこれはハリーに寝返っちゃうパターン!!ベラ、マダムの男を取っちゃいかんよ!」と勝手に手に汗握ってたんだけど、まったくそんなことなかった。
そして、あ、ここでハリーのこと好きになっちゃうのは私だけか…と思った瞬間、私は気付いてしまった。

「私は、知的好奇心さえ、男に満たしてもらうことを求めている」

気付きたくなかった。元パートナーとの深い深い対話。そのへんのベストセラーじゃない、聞いたこともないマニアックな、でも心にぶっ刺さる読んだ本のシェア。自分の心の辞書にはない素敵な言葉が返ってくる、LINEの往復。それも私にとっては、ほぼ性的興奮に近かった。
性的な快楽も、知的な快楽も、愛情も優しさも、私はぜーんぶ元パートナーに満たしてもらおうとしていた。そしてお別れした今も、そういうのは全部、男が満たしてくれると思っている。だから彼一人を失っただけなのに、私は今、仕事さえもできなくなっている。

でも、ベラは違う。知的好奇心も、自分で本読んで学校に通って、誰かに期待せずちゃーんと自分で満たす。セックスもそう。「私のことを求めて…」とか「愛して…」とかメンドクサイ、ウザいこと言わない。「私が、したい!」いいよなぁ。ベラのこういうまっすぐなところ、本当に大好き。そして私の、いかに依存的なことよ……。これは悲しき自己発見でした。


5.お金を失い、娼婦としてはたらくベラ

ベラの衝動的な行動のせいで(わかる、わかるよ)お金を失い豪華客船を下ろされるダンカンとベラ。ここでも「私、なにもできない…あなたがどうにかしてよ!」とダンカンに泣きついたり責めたりなんて絶対にしない。人は、受容されることが当たり前に「ある」状態だと逆にこんなにも自立できるものなの?「私が何とかする!」と雪降るロンドンの街に出て、ダンカン以外の男性と、初めて娼館でセックスしてお金をもらう。ダンカンとの違いを面白がり、びっくりする。そして、初めて稼いだお金でパンを買い、ダンカンにも与える。売春したと聞いてぶちギレるダンカン。でもベラは、「はぁ?何が悪いの??」とまったく意に介さない。

★ここでの私の印象的な場面。それは、ベラが客の男に「あなたの幼少期のことを教えて?」と言って、お話してもらってからセックスするシーン。
ここね、結構な男たちとベラとのセックスシーンが短い時間でパンパンパンとうつるのだけど、みんな性癖がぜんぜん違うのです。
私がね、もしこういう仕事するなら、たぶん同じこと聞くと思う。どんな幼少期を過ごし、何を感じて生きてきて、今この性癖になったの?ただの娼婦ではない、こういう、ちょっとしたとこ、性的好奇心と知的好奇心が絡み合ってるとこも、「ベラ好きだなぁ」と思う。どうせなら、人生まるごとぶち込んだような、ゆがんだ性癖にどっぷり浸かりたいよね、セックスって、その人の生き方や人生を表すよね、私も、そう思う。


最後に

ここまで、映画感想という名の自分語りを繰り広げてきた。衝撃のラストについては、あえて何も触れない。だって、衝撃ではあったけど、私が感情移入したのはそこじゃなかったんだもん。

「哀れなるものたち」。この映画はフェミニズムという文脈で語られることも多いけど、私はフェミニズムなんてわからない。「女性」という大きなくくりで、何かを語ることなんて、私にはとてもできない。
でも、たったひとりの、個の「女」として、この映画は自分がいかに「男」という存在に頼って、期待して満たされようとして生きてきたか、という依存性を突き付けられる内容であったことは間違いない。

だからと言って、これからは依存せず、自立して生きていこう!と前向きになるわけでもない。なんだろう。私はベラの姿を通して、自分の深い感情に向き合えた気がする。
ただただ美しく、もの悲しいこの映画をただ映画館で座ってみていただけ。だけど、なぜか、自分の人生の走馬灯を違う切り口で見ているようだった。

主人公、ベラに自分の感情を重ねられる人は少ないような気がする。だからこそ、文字に残してみたくなった。
性に依存しがちなADHD女子のあなた、このnoteに共感できたら、ぜひメッセージください。一緒に、おっさんだらけの居酒屋に行きましょう。ビールって最初に書いちゃったけど、レモンサワーでもいい?
ADHDだけどぜんぜん共感できないわ!というあなたは、一緒にワイン飲みましょう。


本当にいい映画だった。誰がなんと言おうと、私はベラの生き方が大好き。
以上です。

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