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katiku野球人生第二話 少年野球入団 悪ガキモード炸裂!

どうもkatikuです!
ここでは、僕がシングルマザーの方や仕事で忙しくて時間が取れない等の理由で、もしお子さんが野球やキャッチボールをしたいって言われた時に指導やお手伝いをさせていただきますよという話で、まず僕はどんな人なのかという事を知ってもらおうという事で僕の野球人生をまとめてます!
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前回は僕の野球を始めるまでという事をお話ししてきました。

一見幸せに思うかもしれませんが、実は父は僕の野球を見にきた事は一度もありません。(甲子園の時くらいかな?)
あんまり言いたくはないですけど、親の仲はすごく悪かったんですよね。
毎日のように喧嘩して僕が部屋にいるのに僕の部屋で喧嘩を始めて、僕は下に降りてテレビを見てるとまた、下に降りてきて、上に上がる。
朝から喧嘩が始まって怖くて野球に行けなかった事もありました。

母は離婚する事を考えたようですが、出身の長野への転校を兄弟も含め僕がすごく嫌がったので、我慢してくれていました。

そんなこんなで父はあまり人前に登場する事はなかったです。
ただ、家ではキャッチボールしてくれたり、バッティングを教えてくれたり、DVDとか買ってくれて野球を教えてくれました。

僕は別にそれだけでありがたいと思ってましたけど、野球に行く時に『katikuの父さんはなにしてるの?』と言われるのがすごい恥ずかしくて言えなかったんですよね。それはすごく辛かったし、母も肩身が狭かったろうなと思います。

しかも、僕は低学年の時は野球がやりたくて、入ったのに下手くそだったので練習をサボりがちでした。(まじでバッティングと紅白戦しかしなかったです。)
だから、仲間達からはマジであいつなんなの?と思われてたでしょうし、サボってるので上手くなくずーっと控えでした。

ただ監督もコーチも努力すれば4番打てるのになーとずっと言ってくれてましたが、僕はしんどい練習嫌だったんですよね。(今はしんどい事やるべきと思いますが。)

ここで打ったらスタメンやとか右方向狙えって言われる場面で代打でホームラン打ったり、ライトにエンタイトルツーベース打ったりして器用な部分はその時から出てたかもしれません。

その頃からピッチャーに興味がありましたが、野球のルール知らない事だらけでセットポジションも牽制のやり方も分からないので、やらせてもらえませんでした。

6年生の最後まで背番号は2桁の控え外野手。
バッティングは一発あるけど打率低い。
守備は肩が強いけど、ボール捕るの下手すぎる。というまあ雑魚キャラでした笑
野球が全く面白いと思えずに少年野球時代は終わります。才能もセンスもない。家庭環境も良くない。まあ野球やらせてもらえるだけ恵まれてるんですが、そこをちゃんと努力できるような人ではなかったです。

しかも、小学校3年4年の夏休み中連続で足に原因不明のウイルスが入り込み、走る事ができない時がありました。練習は1ヶ月くらい休み。正直最高でしたが、マジで歩けないので家で足を固定する為縛られてました。
それでもマラソン大会は1位でしたけどね!
走るのは好きでした。

学校の部活では陸上部に入り、リレーに出たり運動は大好き少年で、学校終わりはドッチボールや警ドロ、カードゲームなど様々な男の子の遊びをしてました^_^
ちゃんと宿題をやってから遊んでましたよ(^^;;

まあ何が言いたかったというと、僕は初めからエリートでもすごい選手でも全くなかったという事です。努力が嫌いだし、だけど目立ちたいわがまま自意識過剰野郎だったという事です。

ですが、この少年野球時代であるコーチが『お前がピッチャーやったら、伸びると思うしエースになると思うけどなー』そう言ってくれる人がいました。

この言葉を胸に中学で僕は人生を変える出会いを果たします。

第3話は中学校に入って初めは野球部じゃない陸上部にしようとしましたが、結局野球部に入ってピッチャー初体験からエースにまで上り詰めた話をしまーす^_^

では、お楽しみに!

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